ナオミとカナコ
奥田 英朗
この感想は一部ネタバレを含みます。
百貨店勤務の直美は、学生時代からの親友・加奈子が夫からDVを受けていることを知る。自身の母親もDVを受けていた直美は、仕事で知り合った中国人社長、加奈子の夫に瓜二つの中国人不法滞在者、認知症の老婦人らを利用し、証拠を残さずに加奈子の夫を〝排除〟する計画を加奈子に持ちかける……。
いやあ、手に汗握るクライムサスペンス小説だった。すばらしいエンタテインメント。
犯罪小説としては、格別凝ったことはしていない。
計画を思いつく → 殺す → 証拠が残らないように後始末をする → 追及をかわす → ばれそうになる → 逃げる
あらすじを書いてしまうと、いたってシンプルだ。
だが「はたしてうまく殺せるのか」「予期せぬ事態が起こって計画通りにいかないんじゃないか」「うまくごまかせるのか」「ばれそうになってからはうまく逃げられるのか」と、中盤以降はずっと緊張感が漂う。まるで、自分の犯罪がばれそうになるような気分だ。いやぼくには隠してる犯罪なんかないけどさ。マジでマジで。
特に終盤の、徐々に捜査の手がせまってくるあたりや、追手から逃げるくだりは読むのをとめることができなかった。おかげで夜更かししちまったじゃないか!
似た作品に、貴志祐介『青の炎』がある。
「自分の人生を守るためには殺すしかない」という状況に追い詰められた主人公が、綿密な計画を練り、殺人を決行する。
うまくいったかに見えたが、些細なほろこびから疑いを持たれ、やがて捜査の手が伸びてくる……。
『青の炎』の結末がもの悲しくも「これしかない!」って感じだったので、『ナオミとカナコ』も同じような結末を迎えるのだとおもった。
だが……。
うーん、そうきたか。これはこれでアリだよなあ。倫理的には良くないのかもしれないけど、おもしろいもんなあ。こういう結末を許せない人もいるだろうけど、ぼくは嫌いじゃない。
これはやっぱり男女の差かなあ。女主人公が『青の炎』の秀一くんみたいな結末を選ぶのは違和感をおぼえるし、男主人公が『ナオミとカナコ』みたいな道を選んだら読んでいてスッキリしない気がする。なんでだろうな。
直美と加奈子は共謀して加奈子の夫を殺すのだが、「DV夫から逃れるため」という明確な目的があった加奈子とはちがい、直美のほうには殺人から得られるメリットがまるでない。
直美をつき動かすのは、「親友がひどい目に遭っているのを許せない」という義憤だけだ。
そんなことでほとんど会ったこともない人間を殺すかねえ、とおもうが、よくよく考えると案外そんなものなのかもしれない。いざとなったら損得よりも義憤のような感情のほうがずっと強いのかも。
そういえば桐野夏生『OUT』でも、死体遺棄をおこなうのはまるで利害関係のない人物だった。
意外と人間は、損得で動かない。
「殺されること」と「殺してしまうこと」はどっちがイヤだろうか?
そうなってみないとわからないけど、もしかしたらぼくは「殺してしまうこと」のほうがイヤかもしれない。
「誰かに殺されそうになる悪夢」はまったく見たことがないが、「自分が何か悪いことをして捕まりそうになっておびえる悪夢」は何度も見たことがある。心のどこかに「殺してしまうこと」「逮捕されること」へのおびえがあるのだ。ずっと。
殺されるのも怖いが、殺されたらそれでおしまいだ。その後はどうすることもできないし何も考えられない。でも殺すほうは、殺した後もずっと人生が続くのだ。悔やんだり、怯えたり、追われたり、糾弾されたりしながら。そっちのほうがおそろしい。
『OUT』を読んだときにもおもったが、完全犯罪(殺人)を成功させる上でいちばん大事なのは「死体が見つからないようにすること」だね。
死体さえ見つからなければ、どんなに怪しくても殺人罪で起訴できない。そもそも大人が行方不明になっても警察はまともに捜査しない。
そういえば推理小説でも「死体が見つからない事件」ってあんまりないよね。死体がなければ殺人事件にならないからね。アリバイだとかトリックとかより「死体を隠す」がいちばん大事なんだろうね。
ものすごくおもしろい小説だった。おもしろくてページをスライドする手が止まらない(電子書籍で読んだので)という、近年あまりない読書体験だった。
小説の登場人物に高い倫理観を求める人からしたら気にくわないだろうけど、そうじゃない人にはおすすめ。
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