2023年9月4日月曜日

【読書感想文】大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』 / 自由競争も弱者救済も嫌いな国民

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競争と公平感

市場経済の本当のメリット

大竹 文雄

内容(e-honより)
日本は資本主義の国のなかで、なぜか例外的に市場競争に対する拒否反応が強い。私たちは市場競争のメリットをはたして十分に理解しているだろうか。また、競争にはどうしても結果がつきまとうが、そもそも私たちはどういう時に公平だと感じるのだろうか。本書は、男女の格差、不況、貧困、高齢化、派遣社員の待遇など、身近な事例から、市場経済の本質の理解を促し、より豊かで公平な社会をつくるためのヒントをさぐる。


 導入は「市場競争はいいのか悪いのか」「政府はどこまで市場に介入すべきか」「なぜ日本人は海外と比べて自由競争を嫌う傾向があるのか」なんて話でけっこうおもしろかったのだが、本題に入ると話があっちこっちにいってしまう。

 個々の話はけっこうおもしろいんだけど、『競争と公平感』というタイトルとはほとんど関係のない話も混ぜられていて、どうも散漫な印象。

 ワンテーマでくくる新書ではなく「経済学者のおもしろコラム集」みたいな感じで出せばよかったんじゃないかな。



 日本人は自由競争が嫌いなんだそうだ。

「貧富の差が生まれるとしても、市場による自由競争によって効率性を高めたほうがいいか?」という問いに対して、賛成する人の割合が日本は他国と比べて極端に低いという。

 極端なことをいえば、「金持ちになれる人からなっていこう」よりも「みんな同じくらいに貧しい」ほうがマシ、と考える人が日本には多いのだ。

 ぼくもわりとそっち側なので、気持ちはわからなくもない。「自分は100円得するけど金持ちが大きく得をする」政策と「自分は100円損するけど金持ちは大きく得をする」政策があったら、後者を選びたくなる。冷静に考えれば前者のほうがぜったい得なんだけど、でもどっかの誰かが得をしていることが許せない、というひがみ根性がある。

 これはわりと生来的な感覚なんじゃないかとおもう。子どもを見ていても「自分が損をしたこと」ではなく「他の誰かが得をしたこと」に怒っている。自分がお菓子を買ってもらえなくても怒らないけど、妹だけが買ってもらってたら激怒する、みたいに。

 だからぼくの正直な感覚としては「日本人はなぜそんなに不平等を嫌うのだろう?」というより「諸外国はなぜそんなに不平等を許せるのだろう?」なんだよな。

 とはいえ日本人もすべての不平等を憎むのではなく、努力などで富を手にした人のことはわりと素直に認めるようだ。

 日本人は「選択や努力」以外の生まれつきの才能や学歴、運などの要因で所得格差が発生することを嫌うため、そのような理由で格差が発生したと感じると、実際のデータで格差が発生している以上に「格差感」を感じると考えられる。また、日本の経営者の所得がアメリカのように高額にならないのは「努力」を重視する社会規範があるためかもしれない。一方、学歴格差や才能による格差を容認し、機会均等を信じている人が多いアメリカでは、実際に所得格差が拡大していても「格差感」を抱かない。こうしたことが、日米における格差問題の受け止め方の違いの理由ではないだろうか。つまり、所得格差の決定要因のあるべき姿に関する価値観と実際の格差の決定要因とに乖離が生じた時に、人々は格差感をもつのだろう。

 たとえば大谷翔平選手に関する報道を見ていると「彼はこんなに努力をしている」「彼は学生時代から一生懸命夢を追い続けて、高い志を持って、日々鍛錬を重ねてきた」という記事が多い。たぶん、そういう報道を見ることで、日本人は大谷選手が稼ぐことを“許して”いるんだとおもう。

 大谷選手が努力をしてきたことはまちがいないが、じゃあそれだけで彼があそこまでの選手になれたのかというと決してそんなことはない。持って生まれた身体、健康状態、家庭環境など“生まれ持った幸運”によるものも大きい。すべての野球少年が大谷選手と同じだけの努力をしたら同程度のプレイヤーになれるのかというと、それはまちがいだ。

 でも我々は彼の幸運には目をつぶり、「大谷選手は努力をしてきたから高額報酬を手にする資格がある」と“許す”ことにする。


 なんのかんのといって企業が採用時に学歴を重視するのも同じことかもしれない。「彼は東大を出ている。ということは彼は学生時代に人より努力をしたのだ。だから彼はその努力に見合うだけの報酬を手にする資格がある」と考える。



 日本人が努力を重視すること自体は悪いことではないかもしれない。しかし問題は、えてしてそれが「成功しなかった人は努力が足りなかったからだ」という誤った結論を導き出すことにある。

 日本人は他国の人に比べて「貧しい人の面倒を見るのは国の責任である」と考える人の割合が極端に少ないのだそうだ。「あいつが貧しくなったのは努力が足りなかったから、自業自得でしょ」となるわけだ。

 だから、生活保護をもらうことを避けたり、その反動かもらっている人に対する風当たりが強かったりする。

 日本人は親切なんていうが、あれは「身内と認定した人には親切」であって、見ず知らずの他人を救いたくないという気持ちは強い。なにしろ国が率先して「自助、共助、公助」なんていう国だ。


 国民の経済的豊かさを引っ張り上げるためには「市場による自由競争によって効率性を高める。結果として貧富の差は拡大するが、セーフティネットを強化するなど国による貧困対策で資産を再分配することで差を縮める」がいちばんいい方法なのだろう。

 が、「ほんとに自由な競争が嫌い」「見ず知らずの困っている人を国が救うのが嫌い」という国民性では、なかなかそれが実行できない。

 日本の経済的衰退の要因のひとつかもしれない。



 日本は人の育成に金をかけない国だと言われている。

 国家支出における教育費の割合が他国よりもずっと小さい。

 なぜなら、教育の恩恵を受けられない老人世代の声がでかいから。

 投票者の高齢化は、政治に大きな影響を与える。年金、医療、教育といった年齢別にその利害が異なる政府支出は多い。中位投票者が高齢化するにつれて、政府支出の中身は、年金・医療・福祉といった高齢者がより需要するフトしていく可能性が高い。
 高齢者向けの政府支出が政治的理由で増えていくことのデメリットは、そのために人的資本への投資が少なくなることで、経済成長に悪影響を与えることである。また、高齢者向けの歳出をまかなうために、税や社会保険料が高くなると、勤労世代の労働意欲を低下させる可能性もある。

 今後もどんどん高齢化してゆく。そうなると、ますます政治家は高齢者の言うことを聞いて、教育費を削ってゆくことになるのだろう。そして若い人が貧しくなり、少子化は加速し、さらに年寄りが増え、年寄りが嫌いな教育費はどんどん削られてゆく……。

 この流れが止まることはあるのだろうか。年寄りだけが死んでゆく伝染病が大流行しないかぎり、そんな世の中を見ることはできないかもしれない(そのときにはぼくも死んでいるのでどっちみち見られない)。


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