2024年2月5日月曜日

【読書感想文】奥田 英朗『オリンピックの身代金』 / 国民の命を軽んじる国家組織 VS テロリスト

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オリンピックの身代金

奥田 英朗

内容(e-honより)
小生 東京オリンピックのカイサイをボウガイします―兄の死を契機に、社会の底辺ともいうべき過酷な労働現場を知った東大生・島崎国男。彼にとって、五輪開催に沸く東京は、富と繁栄を独占する諸悪の根源でしかなかった。爆破テロをほのめかし、国家に挑んだ青年の行き着く先は?吉川英治文学賞受賞作。

 舞台は昭和39年。アジア初のオリンピック開催を目前に控えた東京。

 警察幹部の自宅や警察学校で爆発事件が起き、警察宛てに、東京オリンピックの妨害を予告する手紙が届く。人質は東京オリンピック、要求された身代金は八千万円。警察は犯人を突き止めるが、彼は学生運動もしておらず、将来を嘱望された東大生エリートだった。なぜまじめな学生だった島崎国男が、日本中が待ち望んだオリンピック開催を妨害しようと考えたのか……。


 エリート学生が兄の死をきっかけに肉体労働の現場に身を投じて資本主義社会の矛盾に気づいてゆく様子、ダイナマイトやヒロポンを手に入れ社会の暗部へと足を踏み入れてゆく様、彼を追う同級生と刑事の奮闘、警察内での刑事部と公安部での対立、身代金をめぐる攻防、そして東京オリンピック開会式を舞台にした大捕物と、緊張感あふれるシーンの連続で長い小説なのに少しも退屈させない。つくづくうまい。

 ストーリー展開も見事だが、感心したのが、昭和39年の風俗を映す小説にもなっていること。流行や当時のファッションがちりばめられ、会話文はもちろん地の文にも当時の言葉遣いが用いられている。

 著者は昭和34年生まれらしいので、当時の世相はリアルタイムでは知らないはず。がんばって書いたなあ。




 この小説は2008年刊行。2020年東京オリンピック(2021年に延期)は開催どころか決定すらしていない状況で書かれた小説だが、驚くほど1964年東京五輪と2020年東京五輪には酷似しているところがある。

 それは、開催にあたって国民をまったく大事にしていないこと。

『オリンピックの身代金』には東京オリンピックを控えて浮かれる国民の様子が書かれるが、一方で、オリンピックのために犠牲を強いられる人々の姿も描写される。

 棚田の並ぶ坂道を上りながら、国男は村を見下ろした。舗装路は一本もない。瓦屋根の家がここでは珍しい。火の見やぐらは木造だ。堤防は土を盛り上げただけのもので、毎年洪水がある。病院も診療所もない。水道もなく、井戸水は女たちが汲み上げなくてはならない。電気は通っているが始終停電する。テレビのない家がたくさんある。電話は村長の家にしか自家用車は一台もない。平均世帯収入はおそらく年間十万円程度だろう。米どころと言っても平地が少ないので、大半が一反歩以下の超零細農家である。食べるにやっとの毎日だ。若者はいない。農閑期は女と老人ばかりになる。晴れていればいい景色だが、天気が悪いと墨汁を垂らしたような陰々滅々とした風景となる。夜は真っ暗だ。自殺者が多い。
 この村の貧しさと夢のなさはどういうことなのか。経済白書がうたった「もはや戦後ではない」とは東京だけの話なのか。この村は戦前から一貫して生活苦にあえいでいる。生活が苦しいと、なんのために生まれてきたのかわからない。まるで動物のようだ。

 東京ではオリンピックに備えて着々と新しくきれいな建物がつくられ「外国からのお客様」を迎える準備が整えられる。その一方で、主人公・国男の故郷である秋田はその開発から取り残されたままだ。

 この対比により、国民(東京以外の)の生活よりも外国からの体面を気にする国家の姿勢がありありと浮かび上がってくる。

 貧乏なのでご飯に漬物だけの食事をしながら、世間体を気にして高級外車を買うようなものだ。なんともあほらしい。


 また、テロの予告があり、現実に爆破事件が何度も起きているにもかかわらず、警察は徹底的に事件を隠す。マスコミには一切情報を流さず、爆破もただの火災と発表。開会式の爆破が予告されても一切公表しない。なぜなら「公表しないことによって一般市民が命を落とすことよりも、公表することで外国からの評判が落ちるのを防ぐことを優先したいから」。

 国男は自分の兄のことを思わずにはいられなかった。兄もまた、ヤマさんと同じように粗悪なヒロポンを摂取し、心臓が耐えられず、昏睡状態に陥ったのだ。そして救急車を呼ばれることもなく、担ぎ込まれた先の病院で息をひきとり、心臓麻痺と診断された。
 塩野に問いただすと、「仕方がね、仕方がね」を繰り返すばかりだった。
「飯場で起ごるごどは、全部内輪で処理するのが慣わしだ。元請けにヒロポンさ打ってるごどを知られたら、山新が罰を食らって、そうなりゃあおらたちの給料が下がる」
 国男はそれを聞き、兄はなんて浮かばれない死に方をしたのかと、三十九歳で人生を終えなくてはならなかった無学な一人の男を、たまらなく不憫に思った。労働者の命とは、なんと軽いものなのか。支配層にとっての人民は、十九年前、本土決戦を想定し、「一億総火の玉」と焚きつけた時分から少しも変わっていない。人民は一個の駒として扱われ、国体を維持するための生贄に過ぎない。かつてはそれが戦争であり、今は経済発展だ。東京オリンピックは、その錦の御旗だ。
 オリンピックの祝賀ムードの中、水をさすような事件事故はすべて楽屋裏に隠したいのだろうか。新聞もまた、本来の使命を忘れ、オリンピックに浮かれているのだ。
 いったいオリンピックの開催が決まってから、東京でどれだけの人夫が死んだのか。ビルの建設現場で、橋や道路の工事で、次々と犠牲者を出していった。新幹線の工事を入れれば数百人に上るだろう。それは東京を近代都市として取り繕うための、地方が差し出した生贄だ。
 国男の中で沈鬱な感情が、まるで何年も作物が実らない荒地のように、ただ寒々しく横たわっていた。もはや自分がどうしたいといった欲望はない。あるのは死んでいった兄や仲間への、弔いの思いだけだ。
 雨脚が強くなった。このまま開会式の日まで降ってくれと、国男は黒い雲を見上げて思った。

 著者は予想していなかっただろうが、この「国民の命よりも体面を気にする国家の体質」は2021年東京オリンピックでも変わらず発揮された。

 新型コロナウイルス感染者数が増加し、多くの専門家が中止か延期にすべきと主張したにもかかわらず、政府は開催にとって都合のよいデータだけを並べて強引に開催に踏み切った。開催か中止を議論した上で決めたのではなく「何が何でも開催する」という結論が先に決まっていて、そのための理屈を並べたことが明らかだった。

「東京オリンピックが開催されていなければ死なずに済んだ人」もいただろうに、政府も報道機関も「経済全体のためだからしょうがないよね」という空気をつくって強引に開催してしまった(結果的に期待していた経済効果は得られず、儲かったのは汚職でうまい汁を吸った人間ぐらいだったわけだが)。

 過去の東京オリンピックを書くと同時に、未来(2021年)の東京オリンピックの予言にもなっていたわけで、その慧眼に感心せざるをえない。




 職務に忠実ではあるが、国民の生命を軽視する警察組織(に代表される日本という国家)。「国民の命よりもオリンピックのほうが大事」とする警察の非人道っぷりにより、対比的にテロリストであるはずの国男のヒーロー性が増す。とんでもないテロリストのはずなのに、どんどん応援したくなるからふしぎだ。最後は「東京オリンピックに一泡吹かせてくれ!」と願いながら読んだ。(昭和の)東京オリンピックがつつがなくおこなわれたことは史実として知っているのに、それでも失敗を願わずにはいられなかった。


 社会派サスペンスとしても、単純にクライムノベルとしてもおもしろい圧巻の内容だった。重厚なのにスピーディー。すっきり終わらないところも個人的には好き。

 国民の命を軽んじる国家組織 VS それに抗うテロリスト、とどっちも悪という構図がいい。

 いやあ、すばらしい小説でした。


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