2021年8月18日水曜日

【読書感想文】川嶋 佳子(シソンヌじろう)『甘いお酒でうがい』

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甘いお酒でうがい

川嶋 佳子(シソンヌじろう)

内容(e-honより)
シソンヌじろうが長年演じてきた「川嶋佳子」が綴る、40代後半独身女の517日。恋、亡き母、人生。シソンヌじろう初の日記小説!!

 以前、バカリズム氏が書いた『架空OL日記』という本を読んだ。OLになったふりをしてつづった日記である。
 そして『甘いお酒でうがい』もやはり、シソンヌじろう氏が40代独身OLの心で書いた日記である。
 センスある芸人は女のふりして日記を書きたがるものなのか。なんなんだ。

 しかし気持ちはちょっとわかる。
 ぼくもときどき「あたし」という一人称で文章を書く。最近あんまりやってないけど、いっときはよく書いていた。

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 検索してみたらいっぱい書いてた。これでもごく一部だ。
 そして「あたし」が書いた文章はおもしろい。他人がどうおもうかわからないけど、ぼくはそうおもう。

 なぜなら、自由に書けるから。
 やっぱり「ぼく」が書いた文章ってかっこつけてるんだよね。
 ブログだから知人に読まれることはほとんどないんだけど、それでもついつい取りつくろってしまう。賢く見られたい。良識ある人間だとおもわれたい。論理的矛盾だとか前に書いたこととの整合性とかを気にしてしまう。
 ところが「あたし」の文章を書いているのはぼくじゃないから、自由に書ける。ばかなことも書ける。そのときによって「あたし」の人格は変わるから、整合性も気にしない。

 べつに女性である必然性はないんだけどね。
 お相撲さんでも軍人でもモデルでも政治家でも医師でも宇宙人でも、自分とちがう人の仮面をつけられるなら誰でもいい。
 ただ「あたし」はてっとりばやい。一人称を変えるだけでいいし、特定の職業に関する知識もいらない。
 力士のふりして文章書くと「そんなお相撲さんいねーよ」とツッコミがくる可能性があるが、「あたし」であれば「世界中さがせばひとりぐらいはこんな女性もいるかも」で許される(あくまで自分の中では、だが)。

 ということで、異性のふりをして文章を書くのは楽しい。「自分から解放される」楽しさがある。ねえ、紀貫之さん。




 ただ、『甘いお酒でうがい』は「べつの人格を着て好きなことを書いている文章」かというと、それはちょっとちがう。
 川嶋佳子という仮面をつけてはいるが、その仮面は一時的なものではない。「いつでも脱げる」とおもってあることないこと書いているわけではない。「これからも川嶋佳子として生きていく」という覚悟のようなものが見える。だから川嶋佳子を壊すようなことは書いていない。徹頭徹尾、川嶋佳子はひとりの女性でありつづける。
 じろうという人間から解放されるために別の人格をかぶっているのではなく、じろうから解放されて川嶋佳子に囚われている。


 だから『甘いお酒でうがい』は、率直にいっておもしろくない。というよりおもしろいことが起こらない。
 バカリズム『架空OL日記』はもっとおもしろかった。起伏に富んでいた。あくまでフィクションだから、読者がおもしろがることを書いていたのだ。
 だが『甘いお酒でうがい』はほんとにただの日記である。他人をおもしろがらせるための文章ではない。
 もしも「シソンヌじろうが書いた」という背景を知らなかったら、ぼくは二ページぐらいでこの本を放りだしていただろう。
 これは「別人格を着てつまらない文章を書くシソンヌじろう」を楽しむ文章なのだ。


 書かれるのは、ほんとに些細な日常だ。

[7/19(木)] 帰りの電車に外人さんが沢山乗ってた。
外国人の観光客を見ると、私はあなたよりこの
国を知っている、という優越感に浸れる。
あなたの目に日本はどう映ってる?
あなたの目で今の日本が見てみたい。
[11/7(水)] なんとなく佇まいが男性っぽいシャンプーと、
女性っぽいコンディショナーを買って帰宅。
お風呂場で二人きりにさせてあげる。
[12/16(日)] なんだろう。
なんだか無性に、
重い掛け布団の中で寝たい。

 ここに書いたのは、まだ「何か起こっているほう」の日常だ。これでも。




 本文よりもあとがきのほうがおもしろかった。
 あとがきを読んではじめて、四十代女性のつまらない日記が立体的に立ちあがってくる気がした。

僕は芸人になって1年目の冬に最愛の母を失った。母は僕の芸人としての姿を一度も見たことがない。母を失ってから時間が経つにつれ、僕の作るネタはどんどん変わっていった。登場人物が非常によく死ぬし、愛すべきキャラクターほど、最後に死というオチをつけることが多くなった。
悲しみをいかに笑いに変えるか。気がつかないうちに、それが自分の作るネタのテーマになっていった。この日記に付き纏う物悲しさ。これはやはり母の死が原因なのだと思う。自分で読み返していても、湿地に腰まで浸かっているような気分になる。川嶋佳子はとにかくついていない。しかし彼女は自分の不運を客観的に見て、自分に舞い降りる不幸に意味を持たせることで日常を楽しんで生きている。その姿勢こそが僕がテーマに掲げていることであり、この日記に触れた方に伝えたいことなのである。

 〝川嶋佳子〟も、母親を失っている。そして折に触れて、亡きおかあさんのことを思いだしている。「おかあさんだったらどうしてたかな」と。

 『甘いお酒でうがい』は、シソンヌじろう氏による母への追悼文なのかもしれない。素直に「おかあさんがいなくなって寂しい」と言いたいけど言えない。その気持ちを、川嶋佳子という別人格を借りて表現していたのかもしれない。


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