ブランド物の財布やバッグを持っている人は多いけど、ボロボロになるまで使ってる人がいるじゃない。あたしあれ見るともうダメ。
涙があふれて止まらなくなっちゃう。
すっごく悲しい。なんでこんな嫌な世の中に生きてるんだろって思っちゃう。
今日もいたのよ。
おばちゃんが。切符の販売機のとこで。
雑誌の付録みたいなバッグから、ヴィトンの財布を取り出したの。
その財布がすっごく年季入ってるの。
あちこちすりきれてるし、縫い糸もほつれてきてる。
それ見た途端、あたしもうこらえきれなくなっちゃって、風船から手を離して目頭を押さえた。
あたしの手から離れた風船はあっという間に空気が抜けて、目を輝かせて風船を見ていた男の子の頭にぽとりと落ちた(言い忘れてたけど、そのときあたしは改札の前でバルーンアートを作るアルバイトをしていた)。
いろんなブランドがあるよね。ヴィトンとかシャネルとかカバヤとか。
でもそういうとこの財布って、装飾ギトギトのショウウインドウで飾られたり、おしゃれなカタログ誌で紹介されたりするためのものなのよね。
おばちゃんのヘンなバッグの中でへろへろになるものじゃない。
昔は輝いていた芸能人が覚醒剤所持で逮捕されて痩せこけた表情でパトカーに乗り込む姿を見たら、なんだかいたたまれない気持ちになるじゃない。ちょうどあんな気分。
でもあたしは、ブランド品じゃなければぼろぼろになるまで使うのはぜんぜん平気。
ていうか、大好き。
中学のとき、隣の席の男の子のものが、ぜんぶクソボロだったの。
男子中学生サッカー部員が持つアホみたいにでかいスポーツバッグは、泥だらけだし破れてるしファスナーはぶっ壊れてた。ちょっとあんたYKKの想定以上の力のかけかたしてんじゃないわよ、って言いたくなるぐらい。
靴は、上靴も外履きも体育館シューズもぜんぶぱかぱかに割れてて、さきっちょから真っ黒い爪が飛び出していた(言うまでもないけど靴下も破れてるからね)。
きわめつきは学ラン。「学生が葬式でもランデブーのときでも着ていける服」だから略して学ランっていうのに、その子の学ランったらどろどろで、ランデブーはおろか、全国荒くれもの協会主催の第78回荒くれ晩餐会にも着ていけやしない代物だった。
でもあたしはその子のアホスポーツバッグやバカ靴やクソ学ランが大好きだった。
長く使われた物特有の愛しさがあったから。耳掃除をした後に自分の耳あかをまじまじと観察してしまうような気持ち。
すっごく長く使われた物って、持ち主に対して愛憎を抱くような気がするのよね。
愛情じゃないよ、愛憎。
江戸時代には九十九神(付喪神)って神様がいたんだって。
物が長いこと使われるとだんだん霊性を帯びてきて、九十九年目に人間の言葉を話したり化けて出たんだとか。
長いこと飼われた猫が化け猫になってその家の人を喰い殺しちゃうってのも同じことかもね。
長く使われてぼろぼろになった物は、きっと持ち主に対して愛情と憎悪の両方を持っていると思うのよね。少なくともあたしはそう感じる。
だからぼろぼろの道具に惹かれるのかもしれない。
「いつかこの男の子、ぼろぼろになったスポーツバッグに喰い殺されるかもしれない」
そんなことを想像すると、胸がすっごくどきどきして、息ができなくなった。
怖かったんじゃない。楽しみだったの。
手荒い使われ方をしていたスポーツバッグが、ある日突然叛旗をひるがえして泥臭い男子中学生を丸呑みにしちゃうのよ。わくわくしない?
でもきっとその男の子は助かるわ。
だってYKKも信じられないぐらい、そのバッグのファスナーは激しくぶっ壊れてたんですもの。
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