よく小学生とドッチボールをする。
ドッチボールがはじまるときの小学生たちの会話。
「チーム分けどうする?」
「じゃあ〝とりき〟な」
とりき?
鳥貴族?
首をかしげていると、男の子ふたりが「とーりっき!」と言いながらじゃんけんをはじめた。
勝ったほうから、他のメンバーを指名していく。
ああ、あれか。
ぼくが小学生のときは〝とりあいじゃんけん〟と呼んでいた(〝とりき〟の〝き〟ってなんだろう?)。
要するに、代表者ふたりによるドラフト会議だ。
じゃんけんで勝てば、好きなメンバーを自チームに引き入れることができる。負けたほうは残ったメンバーの中から、好きな子を選ぶ。
ひとりずつ獲得するとまた「とーりっき!」とじゃんけんをおこない、ドラフト二巡目がスタートする。
ぼくが子どものときもやってたけど、けっこう残酷なんだよなー。
最後のほうまで残った子がかわいそうだなー。ぼくも指名されるのは後半だったなー。
とおもいながら見ていたら、最後にひとりが残った(子どもが奇数だった)ときの反応に息を呑んだ。
「いるかいらんか、じゃんけんぽん!」
ぞっとした。
おいおいおい。それはさすがにひどすぎるだろう。
じゃんけんで勝ったほうは、残りひとりを「いる」か「いらん」で選ぶというのだ。
いくら「ドッチボールにおいて」という前提があるとはいえ「いらん」を宣告される子の身にもなってみろよ。
あわててぼくが
「『いらん』ってのは言われた子が嫌な気持ちになるから、最後のひとりはじゃんけんで勝った方のチームに入ることにしよう」
と止めに入った。
ふだんなるべく子どもの好きに遊ばせるようにしているが、このときはおもわずたしなめてしまった。
ほんと、子どもって残酷だよね。
ぼくが子どものときも同じことやってたけど。
なにがひどいってさあ。ドッジボールだぜ。
まだ野球ならわかるよ。メンバー全員に打順がまわってくるから、へたな子を入れるぐらいなら人数を減らして、その分うまい子に一回でも多く打席が回る方がいい。
でもドッジボールに関しては、人数が増えて得することはあっても損することはまずない。ひとり残ったら「チームに入れる」でいいじゃん。
まあ〝とりき〟はある意味公平ではある。
グーパーで別れた場合は戦力が著しく偏ることがあるが、〝とりき〟であれば実力が伯仲する。強い子と弱い子がバランスよく両チームに入るので、ゲームとしては盛りあがる。
しかしなあ。公平がいいとはかぎらんよなあ。
最後にぽつんとひとり残されて、「おまえいらん」と宣告される子からしたら、死ねと言われるに等しいぜ。たかがドッジボールとはいえ。
〝とりき〟は絶対こうなるんだよね。
強い子同士で〝とりき〟をした場合もそうだし、いちばん弱い子同士で〝とりき〟をさせても、結局強い子からとられてゆくから「三番目に弱い子」と「四番目に弱い子」が残ってしまう。
なので、ぼくがドッジボールに加わるときは「大人がいるときは大人を最後に指名すること」と決めた。
これで「最後に残されて『いらん』と言われる子」はいなくなるし、前半で目ぼしい選手が取られてしまって盛りあがりが後半失速するという〝とりき〟の構造的欠陥も軽減することができる(大人は強いからね。へへん)。
だから、プロ野球のドラフト会議も、「その年の目玉選手は最後に指名すること」っていうルールにしたらいいよね。
一番くじのラストワン賞みたいにさ。
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