2023年12月21日木曜日

【読書感想文】矢部 嵩『保健室登校』 / 唯一無二の気持ち悪さ

保健室登校

矢部 嵩

内容(e-honより)
とある中学校に転入した少女。新しい級友たちは皆、間近に迫るクラス旅行に夢中で転入生には見向きもしない。女子グループが彼女も旅行に誘おうとすると、断固反対する者が現れて、クラスを二分する大議論に発展。だが、旅行当日の朝、転入生が目の当たりにした衝撃の光景とは―!19歳で作家デビューを果たした異能の新鋭が、ごく平凡な学校生活を次々に異世界へと変えていく。気持ち悪さが癖になる、問題作揃いの短編集。


 まず断っておくけど、ハッピーな小説を読みたい人、わかりやすいお話が好きな人、グロテスクな描写が苦手な人にはまったくもっておすすめしない。とにかく展開はグロいし、わけのわからないことが起こるし、文章は癖が強くて読みづらい。でも、慣れるとそれが病みつきになってくる。珍味。

 ぼくは『魔女の子供はやってこない』ですっかり矢部嵩氏の濃厚な味付けにハマってしまったので(といっても頻繁に読みたいわけではない。たまに無性に読みたくなる)、『保健室登校』も読んでみた。こっちのほうが古い作品集だけど。




 うん、おもっていたとおりの変な味付け。『魔女の子供はやってこない』もずいぶん癖の強い味だとおもったけど、『保健室登校』はもっと洗練されていない。

  特に会話文はすごい。

 口語文とか言文一致とかいっても、小説の会話文と現実の会話文はまったくちがう。小説の会話は文法的に正しいし、無駄も誤りもない。ドラマのセリフもたいていそう。でも現実の会話はそうではない。もっとむちゃくちゃだ。省略も多いし語順も時系列も変だし文法的にもぜんぜん正しくない。矢部嵩作品は、その実際の会話文を忠実に再現している。

「私廊下見てたの教室のドアが開いてて確か、風入って寒いから誰か閉めればいいのにと思ってずっと気にしてたんだけど、それもあいまって覚えてる」
「ちょっと待って」吞み込みながらもう一度、可絵子は念を押した。「本当だね、授業中ずっと気にしてたのね。一人二人見逃したりしないで、ずっと廊下見てたのね。あなたの席から見える廊下はどれくらい」
「多分ずっと見てたと思う、席は一番後ろの列で、ドア開いてるとちょうどそこの」そういってA子は廊下の奥を指差した。「トイレあるでしょ、あれが男女とも見える。私の机から。その横の階段は見えないけれど、トイレの前を誰か通ればきっと見える感じ」

 じつはすごくむずかしいことをやっている。「私廊下見てたの教室のドアが開いてて確か、風入って寒いから誰か閉めればいいのにと思ってずっと気にしてたんだけど、それもあいまって覚えてる」なんて、口では言うけど、書こうとおもっても書けない。義務教育を受けていたらぜったいに修正されるから。

 すごいよねえ。どういう人生を送ってたらこういう文章書けるんだろう。学校行ったことないのか? とおもってしまう。

 こういう文章が並んでいるのですごく読みづらいんだけど、慣れてくるとリアルな会話を聞いているようでわりとすんなり入ってくる。黙読だと気持ち悪いけど、音読するとけっこう理解できるんだよね。




 転校したばかりなのにクラス中からあからさまに嫌われる『クラス旅行』

 クラス対抗リレーで勝利するために足の遅い生徒が次々にけがを負わさればたばたと死んでゆく『血まみれ運動会』

 頭のイカれた教師がお気に入りの生徒の関心を引くために暴走する『期末試験』

 理科の実験中に宇宙人が盗まれてクラス内で犯人探しがはじまる『平日』

 合唱コンクールに向けて命を削った練習がおこなわれる『殺人合唱コン(練習)』

の五編を収録。

 どうよ、この異常なラインナップ。ちなみに上に書いたあらすじはこれでも抑えていて、本編はもっともっと異常だからね。作中で数十人は死ぬか重傷を負わされている。


 通っているときはなかなか気づかなかったけど、学校ってかなり異常なことがおこなわれていて、たかが遊びにすぎない部活のために他のあらゆることを犠牲にしたり、一イベントである文化祭や合唱コンクールのために遅くまで残ったり朝早く登校することを強いたり、なにかとおかしい。運動会とか文化祭とか合唱コンクールとかのためにがんばらないやつが悪いみたいな風潮とか。なぜ悪いかと訊かれても誰も説明できないだろう。
「そりゃあみんなががんばっているから……」
「みんなががんばっているときに自分だけがんばらないのがなぜ悪いんですか」
「……」
みたいに。

 でも学生にはその異常さがわからない。教師にもわからない。

『保健室登校』は、学校が抱える異常さを大げさに表現して教育問題に鋭いメスを入れる……というような大それた小説じゃないです、たぶん。ただただ気持ち悪い小説。




 ばったばった人が死ぬし、血は流れるし、脚はちぎれるし、のどは焼けるし、はらわたは飛び出る。

 グロテスクな話が続くが、それでもどこかユーモラス。

「あなたサブリミナル効果って知ってる」
「はいあのコーラですでもそれが何ですか」
「体育でビデオ見せられたでしょう走り方講座的なビデオを。あれがそうだったのよ」
「何ですって」
「あのビデオには知覚できないほどの短いコマ間隔でトラックを走る短距離走者の映像が挟み込まれていたのよ。おそらく実行委員は何度も見て個人の気持ちや事情に先立ちまずとにかく走らねばという観念にとらわれていたのよ。頭が」
「何てこと」駅子は戦慄した。「走っている人間の映像の間に走っている人間の映像が巧妙に挟み込んであったなんて」
「そう走っている人間の映像の間に走っている人間の映像をカットバックさせることで知覚出来ない人間の意識下に走っている人間の映像を刷り込んで秘密裏に脳に働きかけていたのよ。見ている人はただ自分は走っている人間の映像を見たと思うだけ、その裏に刻まれた走っている人間の映像の影響に気付くことはないというわけ」
「でっでもそんなことで本当にこんな事態に」
「のみでなくさらにこれよ」先生は包みを取り出した。
「それは差し入れの」
「お菓子なんかじゃないわこれ元気の出る薬よ」
「それじゃみんなは元気の出る薬と元気の出るテレビの影響でおかしくなってたというんですか」
「いえないでしょう」

 いろいろ書きたいことはある気がするけど、でもこの本の魅力は説明しようがない。だって類似の本がないんだもの。唯一無二の気持ち悪さ。

「変な本が好き」という人は読んでみてください。ハズレを引きたくない、という人にはまったくおすすめしません。


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2023年12月20日水曜日

【読書感想文】東野 圭吾『あの頃の誰か』 / 未収録には未収録の理由がある

あの頃の誰か

東野 圭吾

内容(e-honより)
メッシー、アッシー、ミツグ君、長方形の箱のような携帯電話、クリスマスイブのホテル争奪戦。あの頃、誰もが騒がしくも華やかな好景気に躍っていました。時が経ち、歳を取った今こそ振り返ってみませんか。東野圭吾が多彩な技巧を駆使して描く、あなただったかもしれれない誰かの物語。名作『秘密』の原型となった「さよなら『お父さん』」ほか全8篇収録。

 バブル期を舞台にしたミステリ短篇集……かとおもったけど、あれ?

 どうやら「バブル期を舞台にした」ではなく「著者がバブル期に書いたけど単行本未収録だった作品」を集めたものらしい。


『シャレードがいっぱい』

 シャレードとは、言葉あてゲームのことらしい。言葉が謎解きのカギになっているのは二つ。いっぱい……? どちらもそんなに質は高くない。

 女が男を所有している車で値踏みしていたり、クリスマスイブは高級ホテルの予約争奪戦をしていたり、設定はバブル丸出しでとにかくダサい。これをバブルまっただなかに書いていたというのがおもしろい。バブルの空気を茶化してるわけじゃなく、ほんとにこれがリアルだったんだなあ。


『玲子とレイコ』

 ある男性が殺された。近くで犯人の女性が見つかったが、彼女は二重人格で事件当時のことをまったくおぼえていない様子。おまけに犯人と被害者とは顔を会わせたこともなかった。彼女の“別人格”はなぜその男を殺したのか……。

 犯人が異常者なので、動機は理不尽、行動もかなりいきあたりばったり、その割に犯行後の行動だけはやたらと計画的。なんでなんだ?


『再生魔術の女』

 家族や科学技術を多く題材に扱う東野圭吾らしいテーマ。しかし話運びに無理があるし、そもそも「個人で養子縁組の斡旋をしている女」ってなんなんだよ。人身売買じゃねえか。


さよなら『お父さん』

 後の『秘密』の原型となった小説。事故により身体は娘だが心は妻になる、というSF設定。これは長篇に書き直して正解だったね。短篇だと「心が妻になった小学生の娘が大人になって結婚式」までの展開が急すぎてついていけない。


『名探偵退場』

 『名探偵の掟』シリーズの原型のような作品かな。年老いた名探偵が久しぶりのクローズド・サークルでの本格殺人事件に挑むが……という話。

 だが『名探偵の掟』が皮肉やユーモアがびしばし効いていたのに対し、こちらはどうもパワー不足。ギャグをやりたいのか、意外なオチをつけたいのか、どっちつかずという印象。


『虎も女も』

 あーこれおぼえてるなー。昔、講談社が『IN POCKET』という200円ぐらいの文庫サイズの雑誌を出していて、その中で『虎も女も』というタイトルでいろんな作家が競作をする、という企画があったんだよね(元ネタは19世紀の短篇『女か虎か?』)。その中の一作。

 誰が参加していたかはわからないけど、たいていの競作がそうであるように、ひどい出来の作品ばかりだった(そもそも広がりのあるお題じゃない)。その中でいちばんマシだったのが東野圭吾氏のこの作品。とはいえ地口オチで、ぎりぎり形にしたというレベル。これがいちばんマシだったんだからひどい企画だったんだなあ。


『眠りたい死にたくない』

 あこがれの先輩女性からデートに誘われた主人公。ところが女性に車で送ってもらっているうちに、不意に睡魔に襲われ、気づいたら……。

 十数ページの短い作品。これがいちばん完成度が高かったかな。ただ、犯人の動機やターゲットの選定に対して行動が大がかりすぎて、そこまで手の込んだことするか? とおもったけど。

 あとタイトルのせいで結末がだいたいわかってしまうのはよくないな。


『二十年目の約束』

 結婚するときから子どもはつくらないと宣言していた男と結婚した主人公。夫が何かを隠している様子なのでこっそり後をつけたところ……。

 いい話風。でもいろいろと雑。自分のせいで(とおもっている)幼なじみが死んだからその罪滅ぼしのために子どもをつくらない約束をした、というのも意味わからないし、子どもはつくらないけど結婚はするというのもますます意味不明。よほど結婚しなきゃいけない事情があったの? そのあたりが何も書かれていないけど。




 というわけで、未収録作品集の例に漏れず、出来のよろしくない作品だらけでした。これはむりやり本にまとめた出版社が悪い。出すべきじゃないから出してなかったのに。静かに眠らせてあげればよかったのに。

 ほんと、アーティストが死んだ後に出る未発表曲を収録したアルバムとか、遺稿集とか、出すのやめてあげてほしいなあ。作家だって望んでないだろうし、ファンもがっかりするし。尾崎豊なんて死後にコンピレーションアルバムを9枚も出されてるんだよ。生きてるときに出したアルバムよりも多い。死人を働かせすぎ。

 東野圭吾氏もあとがきで言い訳を並べている。本人的にも「人気あるからってこんな本出しちゃって申し訳ない」という後ろめたさがあったんだろうなあ。

 せめて未収録作品集なら未収録作品集とちゃんとうたって出してほしい。だまして買わせるようなことはやめてよね、光文社さん。


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2023年12月19日火曜日

2023年に読んだ本 マイ・ベスト12

 2023年に読んだ本の中からベスト12を選出。

 なるべくいろんなジャンルから。

 順位はつけずに、読んだ順に紹介。


中脇 初枝
『世界の果てのこどもたち』



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 小説。

 重厚な大河小説を三冊分読んだぐらいのボリューム感。戦中戦後がどういう時代だったのかを鮮明に伝えてくれる小説。



米本 和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』




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 ルポルタージュ。

 オウム、エホバ、統一教会、ヤマギシというカルトの2世信者にスポットをあてた本。長年カルトの取材をしているだけあって、深いところまで切り込んでいる。

 これを読むと、エホバや統一教会やヤマギシってオウムよりもえげつないことしてるんじゃないの? とおもってしまう。



奥田 英朗
『ナオミとカナコ』 



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 小説。

 ある男の殺害を決めたふたりの女性。「はたしてうまく殺せるのか」「予期せぬ事態が起こって計画通りにいかないんじゃないか」「うまくごまかせるのか」「ばれそうになってからはうまく逃げられるのか」と、中盤以降はずっと緊張感が漂って読む手が止まらなかった。まるで自分が追い詰められているような気分だった。




加谷 珪一
『貧乏国ニッポン ますます転落する国でどう生きるか』



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 ノンフィクション。

 ここ三十年の日本の没落っぷりを嫌というほどつきつけてくれる。

「まともな政治をする」「高齢者に金を使うより教育に金をかける」をすればいくらかマシにはなるのだろうが、それができそうにないのが今の惨状なわけで……。




澤村 伊智
『ぼぎわんが、来る』


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 ホラー小説。

 怪異系のホラーってぜんぜん好きじゃないんだけど(まったく怖いとおもえないので)、これは「恐ろしい怪物の話」かとおもわせておいて「生きている人間が静かに募らせる恨み」の話だった。おお、怖い。とくに妻帯者は怖く感じるんじゃないかな。



二宮 敦人
『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』 




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 ノンフィクション。

 日本で最も入るのが難しい大学である東京藝大。謎に包まれた藝大生の生態を解き明かしていく一冊。超大金持ち、変人、奇人、天才が集う大学。自分とはまったく縁のない世界だからこそ、読んでいて世界が広がる気がして楽しい。



鴻上 尚史
『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』




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 ノンフィクション。

 太平洋戦争時、特攻を命じられるも9回出撃して生還した兵士の話。

 日本軍は組織としては大バカだったし参謀や司令官には大バカが多かったけど、特攻が戦術的にダメであることを見抜き、勝利をめざしてきちんと考えられる賢人たちもちゃんといたことを教えてくれる。



東野 圭吾
『レイクサイド』




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 ミステリ。

 前半は「そううまくいかんやろ」と言いたくなる展開だったが、その“うまくいきすぎ”にちゃんと理由があったことが後半で明らかになる。登場人物が身勝手な人物だらけで、後味も悪い。そういうのが好きな人にはおすすめ。



『くじ引きしませんか? デモクラシーからサバイバルまで』



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 ノンフィクション。

 今話題になっているくじ引き民主制について様々な立場からメリット・デメリットを語った本。職業政治家がぜんぜん有能でない(どうしようもないポンコツも多い)のは誰もが知るところ。

 読んだ感想としては、もちろんデメリットはあるけど、メリットのほうが大きいんじゃないかな。特に現行の投票制との併用はすぐにでも実施してみてほしい。



チャールズ・デュヒッグ
『習慣の力』




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 ノンフィクション。

 人間の意志はきわめて軟弱だから、何かを続けたかったら決心みたいな不確かなものに頼るのではなく、習慣を変えなければならない。習慣を変えるには行動を変えなければならない、行動を変えるには報酬(必ずしも金銭ではない)という内容。

 自分や他人の行動を変えたい人におすすめ。



リチャード・プレストン
『ホット・ゾーン ウイルス制圧に命を懸けた人々』



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 ノンフィクション。

 エボラウイルスとの闘いを描いた息詰まるレポート。エボラウイルスが新型コロナウイルスのように世界中に拡がらなかったのは、狂暴すぎて拡がる前に感染者が死んでしまうから。だが、今後より拡がりやすいウイルスに変異しないとも限らないという……。



デヴィッド・スタックラー サンジェイ・バス
『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』



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 ノンフィクション。

 不況や経済危機に陥ったせいで多くの人が死ぬことがある。だが、そうならないこともある。恐慌なのに死亡率が死なない国もある。

 かんたんに言えば「国や大企業のために引き締めをおこなえば国民は多く死ぬし復興も遅れる。国民の健康、就業、福祉などに金を使えば死亡率は抑えられるし復興も早くなる」ことを数々のデータから明らかにしている。ところで、今の日本はというと……



 来年もおもしろい本に出会えますように……。


2023年12月18日月曜日

小ネタ8

3in1

 レゴにクリエイター3in1というシリーズがある。これは、1つのセットで異なる3つ(以上)の作品をつくれるというものだ。たとえば3in1ダイナソーなら、ティラノサウルスをつくることができ、組み替えればトリケラトプスになり、また組み替えればプテラノドンになる(ついでに首長竜にもなる)。

 このシリーズ、動物、犬、乗り物、船、家、商店、町などさまざまなものがあるが、ぼくがあったらいいなとおもうのは「行事」だ。

 組み立てればクリスマスツリーになる。ばらして組み立てなおせば門松と鏡餅になる。また雛壇になってレゴ人形を飾ればひな飾りになる。兜とこいのぼりになり、笹と短冊になり、ハロウィンのカボチャになる……といったぐあいに。狭い日本の住宅にぴったりだ。

 もちろん最後は墓になってくれる。ぼくが死んだら墓はレゴでいい。


Winnie-the-Pooh

『くまのプーさん』の原題は『Winnie-the-Pooh』だ。

 英語で「A the B」は「BであるA(固有名詞)」という意味になる。たとえば『Popeye the sailor man』は「船乗りであるポパイ」、『Shaun the Sheep』の邦題は『ひつじのショーン』だ。Jack the ripper(切り裂きジャック)や、André the Giant(アンドレ・ザ・ジャイアント)など、人や動物の特徴を表すのに使われる。

 つまり『Winnie-the-Pooh』は日本語にすれば「プーであるWinnie」となる。調べたところ、“Winnie”とはアメリカで有名だったクマの名前だそうだ。クマといえばWinnie、というほど有名だったそうだ。レッサーパンダといえば風太、コリーといえばラッシー、ゴマフアザラシといえばゴマちゃん、みたいなものか。クリストファー・ロビンもクマといえばWinnieだよね、と安易に名付けたようだ。

 じゃあpoohってなんなんだ。この言葉、ふつうの辞書には載っていない(載っていたとしても「くまのプーさんのこと」などと書いてある)。諸説あるが、一説には「風の吹く音」からきているだそうだ。日本語の「ぴゅー」みたいなもの。

 つまり、『Winnie-the-Pooh』は『ピュ〜と吹く!ジャガー』とほぼ同じ意味。


死人に鞭うて

 とっととなくしたほうがいい慣習はいろいろあるが、そのひとつが「死人に鞭うつな」だ。

 隠蔽されたり言い逃れされたりするおそれがないんだから、生前の悪事を徹底的に追及したらいい。

 生きてる人と死んでる肉片、どっちを大事にしたほうがいいかっていったらどう考えても生きてる人だろう。

 ぼくのことも死んだら好き勝手言ってくれていい。だから死ぬまではあれもこれもだまっててほしい。



2023年12月13日水曜日

【読書感想文】高橋 篤史『亀裂 創業家の悲劇』 / 骨肉の争い

亀裂

創業家の悲劇

高橋 篤史

内容(e-honより)
会社を追われたセイコー御曹司。ソニー創業者・盛田昭夫の不肖の息子。コロワイド、HIS創業者とM資本詐欺。圧巻の取材と膨大な資料で解き明かす、有名企業一族8家の相克。


 同族経営の会社は多い。

 経営のことなどまるでわからないぼくからすると、家族と同じ会社で働くだけでも嫌なのに、自分の子どもや兄弟を会社の後継者に据えようとする経営者の気持ちはまったくわからない。そんなの揉めるだけじゃない? しかも家族仲も悪くなるとしかおもえないんだけど。

 でも、多くの経営者が、経験や知識の豊富な他人よりも、(客観的に見れば)どう考えても劣っている息子に経営権を譲る。経営者だけではない。政治家も子どもに地盤を継がせようとするし、医者も子どもに病院を引き継ごうとしたりする。

 子どもに何か残してやりたい気持ちはわかるが、権力じゃなくて財産で分け与えるほうがいいんじゃないかと傍からはおもう。でもよほど旨味があるんだろう。理解できないけど。


 家族経営だと、うまくいっているときは「利害が一致しやすい」「情報伝達が早い」などのメリットもあるのだろうが、意見が食い違ったときなどには家族である分その対立は深刻なものになることが多い。他人同士であれば考え方の違いがどうしようもなく深まれば袂を分かつものだが、家族であればそれもできない。憎しみは深まるばかり。骨肉の争いというやつだ。

 ぼくが以前いた会社も同族経営だった。社長の息子がふたりいて、それぞれ常務と専務だった。ご多分に漏れず仲が悪かった。特に長男と次男は不仲で、ふたりが話しているところはほとんど見たことがなかった。父親(社長)と長男も目を合わさずにしゃべっていた。

 まあそうなるだろうな。ぼくは今父親とそこそこ良好な関係を築いているが、それは離れて暮らしていて、年に数回会う程度だからだ。いっしょの会社にいて毎日顔をつきあわせていて、さらに意見がぶつかっても最終的には自分のほうが折れなきゃいけない(相手は社長なので)となったら確実に嫌いになる自信がある。不仲になるほうがふつうだろう。それでも人は我が子を後継者にしたがる。




 そんな「家族経営の確執」八例を描いた経済ノンフィクション。金の流れだとか買収だとかの説明は会社法などの知識がないとわかりづらい。そのへんは飛ばして読んだが、主題は家族の対立なので特に問題はなし。


 有名なところだと、2015年頃にニュースをにぎわせていた大塚家具の父娘の対立。

 己の腕で会社を大きくしてきた自負のある父親と、新しいやり方を求める娘。一度は社長の座を娘に譲ったものの、方向性の違いにより娘は社長を解任され父親が社長に再就任。しかし娘は社内勢力を伸ばし、株主総会で父親を社長の椅子から引きずりおろす。父親は自分が大きくした会社を出て、新たな会社(匠大塚)を創設。

 再び社長の座についた娘だったが、父親とは異なる路線を求めすぎたことや、かつての取引先や職人の信頼を失ったことで業績は悪化。大塚家具はヤマダ電機に吸収される形で消滅した(匠大塚は今も健在)。


 ううむ。ワイドショーネタとして無責任に見ているにはおもしろい題材だが、我が事ならばこんなにつらいことはない。我が子と闘っても、勝っても負けてもいい結果にはならない。それでも闘わざるをえない。古今東西くりかえされてきた親子の対立。




 家族の対立は読んでいてなんとなく心苦しかったが、経営者のダメエピソードはなかなかおもしろかった(下世話)。

 大手外食チェーン・コロワイドの蔵人金男が「M資金詐欺」という詐欺に引っかかった話とか。GHQが占領下の日本で接収した財産を秘密裏に運用している「M資金」を提供するという話を持ちかけたマック青井という人物の話を信じ、数十億円を騙しとられたそうだ(ちなみにM資金の話を使った詐欺は60年ほど前からおこなわれていて、詐欺の常套手段らしい)。

 こうした話を聞くと「ビジネスの場で数々の修羅場をくぐっているはずの経営者が、そんな嘘くさすぎる話に引っかかるなんて」とおもうのだが、百戦錬磨の自信家経営者だからこそ引っかかるのかもしれない。

 にしてもなあ。“マック青井が持ってきた秘密組織に関する儲け話”に数十億円出すかねえ。よっぽど話がうまかったのかね。




 ソニーの創業者の息子・盛田英夫の話もぶっとんでいた。

 そうしたなか、エクレストンからゲイノーに対しまたとない情報がもたらされた。フランスの自動車メーカー、プジョーがF1エンジン部門を売却する意向を持っているというのだ。ゲイノーは初期投資額を2億ドルと見積もった事業計画を策定するとともに、スカラブローニを窓口に立て買収交渉を進めた。
 合意に至ったのは2000年12月のことである。買収額は5000万ユーロとされた。これを用立てるのに利用されたのもレイケイが保有するソニー株だテルライド買収時と同様のスキームでMINTはソニー株を担保として差し入れ、ベルギーのデクシアから60億円を、アメリカのシティから165億円を調達した。計229億円はルクセンブルのF1事業統括会社AMTHに貸し付けられた。
 この頃、英夫はレイケイにおける会議でこう発言している。「F1事業はハイリスクであり、投資の配当の何の保証もない。また、この貸し付けはたぶん返済されないことを認識している」というのである。F1参入は最初から採算を度外視した常識外れに贅沢な、きわめて個人趣味の色彩が濃いものだった。

 典型的なバカボンの金の使い方。どんどんソニー株を売り、スキー場やF1などの趣味につっこんだらしい。当然ながら大損。

 この人、調べたら「実家が太い」が唯一のとりえである人が通う大学として関西では名高いA大学出身だった。あーなるほど。

 「コネ以外に何のとりえもない坊ちゃん」と見られる
→ それを払拭するため、社内の誰もやっていない事業に金をつっこむ
→ 誰もやっていないということは儲からないから。当然ながら失敗する
→ さらに挽回しようと一発逆転に賭ける

という、破滅するギャンブラーのような思考をたどるんだろうな。

 こういう重役がいると、金銭的な損失だけでなく(それもものすごいけど)真面目に働いている社員のやる気も削ぐんだよなあ。百害あって一利もない存在なのだが、それでも親だけは甘やかしてしまうのよね。親の愛はどんな人の目も曇らせる。




 なんかあとがきでおそろしい話が書いてあった。

 筆者が知る例では、その経営者が代理母の調達に選んだのは東南アジアだった。多忙なためだろう、自らにかわって現地に派遣したのは長男だ。精子提供主はその経営者だが、卵子を提供したのが誰かは分からない。妻のものかもしれないし、ひょっとすると、その手のマーケットで購入した第三者提供のものかもしれない。その後、生まれた子供たち十数人の一部は来日し、皆、都内の有名幼稚園に通ったと聞く。その子らの戸籍上の扱いもまた不明だが、それぞれの名前には経営者が一代で築き上げた会社の名前の一部がつけられているとい来日組とは別の子供らはスイスなど海外で育てられているらしい。
 代理出産によって大量に生まれた彼ら彼女らは成長の過程で自らの出自についてどのように教えられるのだろうか?その時、彼ら彼女らはどんな反応を示すのか? 兄弟姉妹の関係性は保てるのか、保てないのか? あるいは、はなからそうしたものとは別種の関係性のなか、育てられているのか? 遺伝上の父親が望むとおり彼ら彼女らはグループ各社のトップに就く道を選ぶのだろうか?そして、グループは思惑どおり永続的な発展を遂げることが可能なのか?疑問は尽きない。

 こんなSFみたいなことがもう起こってるの?

 ウソみたいな話だけど、技術的には可能だし、どんなにボンクラでも自分の子どもというだけで重用する経営者たちの話を読んだ後だと、ひょっとしたら……という気にもなってしまう。


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