不死身の特攻兵
軍神はなぜ上官に反抗したか
鴻上 尚史
「世紀の犬死に」「ばかが考えた自軍の戦力を減らすだけの愚策」でおなじみの日本軍の特攻隊(あれをちょっとでも美化することのないようにきつめの言葉で表現しています)。
そんな「死ぬまで還ってくるな」の特攻隊員として9回出撃命令を受けながら、くりかえし生還し、終戦を迎え、2016年まで生きた兵士がいた。それが佐々木友次さん。すごい。
佐々木友次さんは何を考え出陣したのか、そしてどうやって生き残ったのかに迫ったルポルタージュ。
まず知っておかないといけないのは、特攻(爆弾を積んだ飛行機での体当たり)は人命を軽視しているだけでなく、もっとシンプルな理由で効率の悪い作戦だったということだ。
体当たりだと甲板しか攻撃できなくて戦艦の心臓部にはダメージを与えられない、爆弾を落とすよりも飛行機で突っ込むほうがスピードが落ちるので衝突時のエネルギーが小さくなる、チャンスが一回しかないので敵艦への接近が難しくても無理してつっこまなくてはならない、などの理由だ。
そのため特攻をやめるよう進言していた人たちもいた。命が惜しいからではない(それもあっただろうが)。戦術的に無駄だからだ。
特攻はコストだけ大きくてほとんどリターンのない作戦だったのだ。まさにばかが考えた作戦。
しかし、最初のばかが考えた作戦を正当化するため、初回の特攻の戦果は捏造されて実際よりもずっと大きく報告された。そのせいで「特攻は有効だ」という誤った評価が定着してしまった。
また、ばかはえてして手段と目的をまちがえる。「勝つためには死ぬこともおそれない」だったのが「死ぬためなら勝たなくてもいい」になってしまう。特攻はその典型だ。
これは現代でも同じだけどね。「売上を上げるために元気を出せ」が「元気を出していれば売上を上げてなくてもいいし、あいつは売上を上げていても元気がないからダメだ」になってしまうし、「試合で勝つために声を出せ」が「プレーに悪影響が出てもいいから声を出せ」になってしまう。
参謀本部にとって、特攻は何としても成功させる必要があった。勝利のためではない。自分たちが提案した戦術が有効だったと示すため。つまりは保身のために。
だから経験豊富で優秀なパイロットを特攻兵に選んだ。優秀だから、特攻なんかしなくても爆撃に成功できるようなパイロットを。
「特攻なんかしなけりゃよかったのに」と今いうのはかんたんだ。誰だってそう言うだろう。
だが、次々に兵士が死んでゆき、誰もが命を投げうって戦い、死を恐れるのはなによりもみっともないことだとずっと教育され、上官の命令は絶対だという軍隊の中にあって、「特攻は愚策だ」と言うのはとんでもなくむずかしいことだったろう。仮に言ったとしても何も変えられなかっただろう(変えられたのは昭和天皇ぐらいだろう)。
だが、そんな時代にあってもちゃんと自分でものを考え、ばかな命令よりも道理を優先させた兵士もいた。
なんて勇敢で、なんて理性的で、なんとかっこいい人だろう。
軍の上層部にいるのがこんな人ばかりだったなら、日本もあそこまで手痛くやられることはなかったんだろうな。
残念ながら、軍の許可を得ずに特攻機から爆弾を切り離せるよう命じた岩本益臣大尉は、この後すぐに戦死してしまう。戦闘で、ではない。「司令官が宴席に岩本を呼びつけたのでそこに向かう途中で敵機に撃たれて死亡」である。司令官が戦地での宴席に招いたせいで優秀な隊長を失ったのだ。なんとも日本軍らしい話だ。
この岩本隊長の機転や、整備兵や他隊員のサポート、本人の飛行技術、そして幸運にめぐまれて佐々木友次さんは何度も出撃しながらそのたびに生還した。
敵艦の爆撃に成功するなど戦果をあげたが、佐々木友次さんの軍での立場はどんどん悪くなる。生還したからだ。
戦果を挙げなくても命を落とした兵士が英霊としてたたえられ、戦果をあげても生きて還ってきた兵士はなじられる。
どこかで聞いたことのある話だ。そう、だらだら仕事をして残業する社員のほうが、早く仕事をこなして定時に帰る社員よりも評価される現代日本の会社だ。
完全に手段と目的が入れ替わっている。戦果をあげることではなく死ぬことが目的になっている。
特攻で死んだと天皇に報告した以上、生きていられては困る。上官の面子のために優秀な兵士を殺そうとする。終戦間際にはなんとこっそりと佐々木さんを銃殺する計画まで立てられていたという。
「戦果をあげて無事で帰還する兵士」ってふつうならもっとも優秀な兵士なのに、それを殺そうとする軍。負けて当然だよな。
佐々木さんはもちろんだが、この本を読むといろんな兵士がいたんだなということを知ることができる。あたりまえなんだけど。
命令をこっそり無視する兵士、特攻命令に逆らった兵士、嘘をついて引き返した兵士、そして「自分も後に続く」と部下たちを出撃させながら自分だけ台湾に逃げた司令官……。
小説なんかで「国や大切な人を守るためにと胸を張ってすがすがしい顔で出撃してゆく特攻兵」のイメージがあるが、当然ながらあれはフィクションだ。みんな生にしがみついていたのだ。死んでいった人たちももっと生きたかったと強い無念を抱きながら死んでいったのだ。
じゃあなぜ「胸を張って出撃していった特攻兵」というイメージがでっちあげられたかというと、生き残った者たちの罪悪感をやわらげるためだろう。他人を犠牲にして生きていることに耐えられなかった者たちが「あいつらは誇り高く死んでいった」とおもいこむことにしたんだろう。今でもそういう小説がウケるからね。
ぼくは、特攻兵が犬死にしたがるバカばっかりじゃなかったと知ってちょっと安心した。ちゃんと、生き残るため方法を考え、生き残るために自分ができるかぎりのことをしていたのだ。日本軍は組織としては大バカだったし参謀や司令官には大バカが多かったけど、命を捨てない賢人たちもちゃんといたのだ。
佐々木友次さんや岩本益臣大尉のような人が多ければ、組織も社会もずっといいものになるんだろう。
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