習慣の力
チャールズ・デュヒッグ(著) 渡会 圭子(訳)
私たちが日々おこなっている行動の多くが、その場の意思決定ではなく「習慣」にもとづいておこなわれているという。
だから行動を変えたかったら、気持ちを入れ替えるのではなく(そもそもそんなこと不可能だ)、習慣を変えたほうがいい。
痩せたかったら、「明日からダイエットするぞ!」なんて意味のない決心をするのではなく、お菓子売り場のない店で買い物をするとか、定期券を買いなおして強制的に一駅分歩くようにするとか、起きる時刻を変えてぜったいに朝食を食べるとか、習慣を変えなくてはならない。「なるべく運動するようにしよう」なんて決意しても無駄だ。それで運動を継続できる人ははじめから運動不足にならない(そもそも運動で痩せるのは相当むずかしいのだがそれはまた別の話)。
たしかに、ぼく自身の「ずっとやっていること」はいずれも習慣化している。中学生のころから日記をつけ、柔軟体操をし、もっと幼いころから読書をしている。それは「風呂から出たら日記をつける」「寝る前にはどんなに眠くても柔軟体操をする」「電車での移動中は本を読む。就寝前は少しでもいいから本を読む」と、日常生活の中でルーチン化しているからだ。
もはや生活習慣となっているから二十年以上も続いている。これが「なるべく柔軟体操をしよう!」だったらぜったいに三日坊主になっていた。「毎日日記をつける」は「書きたいことがあったら日記をつける」よりもずっとかんたんなのだ。
そんなわけでぼくはゴミ出しが苦手だ。なぜなら、毎日のことではないから。「仕事に行くときは必ずゴミを出す」ならそんなにむずかしくないけど、「火曜日は燃えないゴミを、木曜日は資源ゴミを出す」だと習慣にならなくてむずかしいのだ。
多くの大学生が授業をサボってしまうのも同じことだろう。高校時代のように「毎日決まった時刻に登校して、帰っていい時刻になるまで学校にいなくてはならない」ならちゃんと授業を受けられるのに、「日によってちがう時刻に大学に行って、ちがう時刻に帰る」だとついついサボってしまう。決意は続かない。
小学校で毎日宿題を出していたのは、宿題をやることそのものに意味があるというよりも、「自宅でも勉強をする時間をつくる」という習慣を形成させるためなんだろうな。
というわけで、間食をやめようとか、タバコをやめようとか、英語を勉強しようとか、行動を変えたかったら心構えを変えるのではなく、習慣を変えなくてはならない。
ストイックな人というのは、格別意志が強いわけではなく、習慣の扱い方がうまいのだ。
ぼくが年に百冊ほど本を読むというと、ほとんど本を読まない人には「すごいですね。私なんか読もうとしてもすぐやめちゃって」と言われる。ぼくに言わせると「読もうとする」からだめなのだ。読む人は読もうとせずに読んでいる。気づいたら本を手に取っている。
だがもちろん、習慣を変えようとおもってもかんたんには変えられない。
習慣化するには報酬が必要だ。
『習慣の力』では、ファブリーズがヒット商品になった経緯が紹介されている。
悪臭を消すことのできるファブリーズは、発売当初、開発者の予想に反しあまり売れなかった。マーケティング担当者が調べたところ、ネコをたくさん飼っているような家に住んでいる人ですら、ファブリーズを使おうとしなかった。くさい家に住んでいる人はにおいに慣れてしまい、自分では気づかないのだ。「染みついているにおいを消す」ことは報酬をもたらさないため、習慣とならないのだ。
そこで、当初無臭だったファブリーズにいい香りをつけ、においを消すのではなく、掃除の最後にファブリーズを撒くことで「よい香り」という報酬を付与することにした。これによりファブリーズを日常的に使う理由ができ、さらに「掃除の最後にファブリーズの香りがしないときれいになった気がしない」という習慣へと変わった。
行動を変えるのは習慣、習慣を変えるのは実利よりもお気持ち、というわけだ。
練り歯磨きにも「お気持ち」を満たすための物質が入っている。
歯磨き剤をつけて歯を磨くと、たしかに口の中がひりひりする。子どもはたいていあの感覚が嫌いだが、あれは「歯を磨いた感」を味わうためには必要なものだったのだ。たしかに磨き忘れたときや、歯磨き剤を使わずに歯を磨いたあとは、何かものたりない感じがする。
これまた「習慣」によるものだ。
ちなみに、この本によるとシャンプーが泡立つのも同じ理由かららしい。あの泡は汚れを落とすのには何も貢献しておらず、使った人の「洗った感」を満たすためだけのものらしい。
この本には、習慣をつくる方法、人々に報酬を感じさせる方法についての例がいくつか紹介されている。
スターバックスが大きく成長したのも、従業員の習慣の力をうまく利用したからだという。
中でも印象に残ったのがこの一節。
大きな裁量を渡された従業員ほど、時間的にも内容的にもよく働いた。つまり、軍隊や昭和をひきずった体育会系部活みたいに「おまえらは命じられたことだけやれ!」とやっていると部下の士気は下がり、生産性はオチ、ミスは増えるわけだ。
これは経験的にも納得のできる話だ。
無能な指揮官ほど細かいところに口出ししたがるんだよね。自分が無能であることをうっすら自覚しているから、「なめられないために」細かいところを指摘したがる。服装がどうとか、髪型がどうとか、電話ではまず何を言えとか、メールには何を書けとか、細部をコントロールしたがる。そうやって言うことを聞かせていれば、てっとりばやく「やってる感」を味わえるからね。
有能な上司はどっしり構え、大きな指針は示すが、細かいやりかたは各人に任せる。そうすれば優秀な部下はどんどん自分にあったやりかたで伸びていける。上司がやることは責任をとることぐらい。
このへんに日本経済の凋落の大きな原因がありそうな気がするな。
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