ぼぎわんが、来る
澤村 伊智
母が読書家だったので実家にたくさん本があり、ぼくも母の本棚の本を手に取って読んでいた。ぼくが本好きになったのは母の影響が大きい。
母の本はあれこれ読んだのだが、まったくといっていいほど読まなかったジャンルがある。それが、恋愛小説と(霊が出てくる系の)ホラー小説だった。
恋愛小説に関しては男女で求めるものがだいぶちがうので、女性向け恋愛小説を男が読まないのも必然かもしれない。
ホラーについては、なぜだかわからないけどぼくの琴線にまったく触れなかった。やはり母が好きだったミステリやサスペンスは好きになったのに、ホラーだけは読もうという気にならなかった。
ホラーが好きじゃないというと「はあ、怖いからだな」とおもわれるかもしれないが、むしろ逆だ。
ぼくがホラーを苦手とするのはちっとも怖くないからだ。
幽霊だのお化けだのの存在は信じちゃいないし、「仮に人知を超えた存在が存在したとしても対策のしようもないわけだし怖がるだけ無駄」とおもってしまう。
たとえばヘビが怖ければ草藪に近づかないとか細長いものがあれば避けるとか対策を立てられるけど、目に見えない神出鬼没の存在は対策の立てようがない。そんなものを怖がってもしかたがない。だからぼくは霊的なものは怖くないし、怖がらない。
殺人鬼とか通り魔とか交通ルールを守る気のないドライバーとかは怖いんだけどね。
『ぼぎわんが、来る』は心霊系のホラー小説である。
なぜか〝ぼぎわん〟なる存在につきまとわれる主人公一族。〝ぼぎわん〟が来ても返事をしてはいけない。もし返事をしたら山に連れていかれる。死ぬ寸前まで〝ぼぎわん〟におびえていた祖父と祖母。彼らの心配が的中するかのように、主人公の身の回りで次々に怪異現象が起こりはじめる。そしてついに主人公は〝ぼぎわん〟に襲われ……。
一章を読みおえたときの感想は「ああ、やっぱり怖くないな」だった。
身の周りで不吉なことが起こり、近しい人がけがをしたり命を奪われたりし、化け物にだんだん追い詰められ、化け物がやがてはっきりと姿を現したときはもう逃れようがなくて……。
ホラーの王道パターン。怪談を怖がれる人にとっては怖い話なんだろう。でもぼくにとってはちっとも怖くない。「こんなやついるわけないし、もし存在したとしたら狙われたらどうしようもないから怖がってもしょうがない」とおもえる。
が、二章を読み進めるうちにその印象が変わった。
おお、これは怖い……。
以下ネタバレ。
〝ぼぎわん〟そのものには恐怖を感じなかったぼくでも、二章は怖かった。父親として。夫として。
一章で、謎の化け物〝ぼぎわん〟におびえ、けれども妻や子を守るために奮闘していた田原秀樹。彼は〝ぼぎわん〟によって命を奪われてしまう。
二章では、秀樹の妻である田原香奈の視点になる。そして明らかになるのが、「秀樹は自分のことを良き夫・良き父とおもっていたけど、香奈にとっては身勝手で無神経で押しつけがましくてプライドだけが高い消えてほしい夫だった」という事実。
おお、おそろしい……。
何がおそろしいって、秀樹の言動のうちのいくつかはぼくも似たようなことをやってるんだよな……。特に出産前後の立ち居振る舞いとか。
ぼくの妻も怒りをぶちまけずに静かに溜めこむタイプの人だから、知らず知らずのうちに怨みを買っている可能性は大いにある。まさか「消えてほしい」とまで望まれてはいない、と信じたいけど……。
月並みな言い方になるけど、「やっぱり生きている人間がいちばん怖い」なんだよね。
『ぼぎわんが、来る』のうまいところは、その人間の悪意と化け物の恐怖を組み合わせたところ。化け物自体は超常現象なんだけど、そいつを招き寄せたのは人間の敵意だったり悪意だったりする。
なるほどねえ。霊的なことは一切信じていないぼくでも、「身近な人間から心の底から憎まれている」とおもうとやっぱりイヤな気持ちになる。
呪いって、呪いそのものがおそろしいんじゃなくて「呪われるほど誰かから憎まれている」ことがおそろしいんだよなあ。つくづく痛感する。
他にも、化け物がだんだん知恵をつけてきて巧妙に人間を陥れるところとか、虚実交えた民俗学を展開して巧みなほら話に連れていってくれるところとか、小説としてよくできている。心霊もののホラーを怖がれる人にとってはめちゃくちゃ怖いだろうな。
個人的には、二章がいちばん怖かった。霊媒師がいざ〝ぼぎわん〟と対決する三章のクライマックスシーンなんかは退屈だった。ファンタジーすぎて、はあ霊媒師ですか、そりゃあすごいですねえ、という感じで。
やっぱりぼくは霊だの化け物だのよりも人間のほうが怖い。
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