マスカレード・ホテル
東野 圭吾
ここ十年か二十年ぐらいかなあ、急激に増えたじゃない。「お仕事がんばる女性小説」が。
慣れない仕事に戸惑い苦労しながらも、優しい先輩やお客様からの感謝の言葉に助けられ、少しずつ成長する若い女性を描いた朝ドラのような小説。その職業に関する蘊蓄と、そよ風のようなユーモアらしきものがちりばめられた小説。たいがいクソつまらない小説。あっ、ごめんなさい、クソつまらない「お仕事がんばる女性小説」を濫造してる出版社のみなさん。
「お仕事がんばる女性小説は鬼門」という認識があったので『マスカレード・ホテル』を読みはじめてすぐに「おっと、ホテルで働く女性が主人公か……」と身構えたのだが、すぐに杞憂だとわかった。さすがは東野圭吾氏。お仕事がんばる女性を主人公にしながら、ちゃあんとおもしろい。
「連続殺人事件が発生。犯人の殺害予告から、次の事件は一流ホテル・コルテシア東京で発生する可能性が高いことがわかった。だが容疑者はもちろん日時も被害者も不明。そこで刑事がホテルマンの恰好をして潜入することになる」
という少々無理のある設定。だが強引なのは最初だけで、以降は細かい設定を貼りつつ丁寧に話を進めていく。
ホテルマン蘊蓄なんかも入れてくるのだが、それが単なる蘊蓄披露にとどまらない。ちゃんとストーリーに活かされている。
おまけに細かいエピソードのどれひとつとっても無駄がない。ちょっとしたエピソードなのだが、
「この一件のおかげで登場人物の性格がわかる」
「この一件のおかげで主人公の心境が変化する」
「この一件のおかげで殺人事件を推理するヒントが見つかる」
といったぐあいに、すべてがゴールに向かって有機的につながっている。
「ホテルマンのお仕事」はあくまでストーリーを進めるための背景であって、「連続殺人事件の犯人逮捕」という大筋がしっかりしているから読みやすい。「お仕事がんばる女性小説」の多くは逆で、仕事情報を書くためにストーリーがあるんだよね。だからつまらない。
この小説はシリーズ化されたり映画化されたりしているそうだが、読んでいて映像化に向いているなあとつくづくおもう。
なんといっても「刑事がホテルマンになる」という設定が秀逸。現実にはありえないが、その非現実さを補って余りあるほどのギャップのおもしろさがある。
刑事と接客というのは正反対の仕事だ。
犯罪者を相手にして、目の前の相手を喜ばせる必要なんかまったくなく、ときには暴力も行使する必要のある刑事。優秀な刑事ほど接客には向いていないだろう。
そして、接客業の中でも最高のサービスが求められるホテル。特に一流のホテルではマニュアルよりも「お客様を不快にさせない」ことが優先され、ルールを超えたホスピタリティあふれる対応が要求される。
このまったく異質なものを組み合わせて、東野圭吾氏がミステリを書くんだからおもしろくないはずがない。
一流ホテルというのは単に泊まるだけの施設ではない。食事をしたり、人と会ったり、ベッドを共にしたり、秘密の話をしたり、結婚式をしたりする場でもある。そこには多くのドラマがある。
と同時に、人はホテルでは気取ってしまう。かっこいい自分、上品な自分、一流ホテルに場慣れしているを演じてしまう。
こんなにもホンネとタテマエが乖離する場所もそうそうないだろう。それを暴くだけでも、読んでいて楽しい。つくづく、いい設定だとおもう。
東野圭吾さんはミステリ作家として語られることが多い。が、近年は「超一流ミステリ作家」にとどまらず「超一流作家」といってもいい。とにかく小説がうまい(直木賞の選考委員を任されるのも当然だ)。
なにより感心したのが、伏線の張り方だ。
ネタバレになるので書かないけど、犯人の初登場シーンがものすごくさりげない。たぶん初めて読んだときにこの人を犯人とおもう人はいない。それでいて、ちゃんと読者の印象に残る。だから犯人があの人だとわかったときは、漫画みたいに「まさかあの人が!?」と言いたくなる。
いやあ。うまいよなあ。
「伏線のすごい小説」はめずらしくないけど、たいていわざとらしいんだよね。ああこの中途半端なエピソード、ぜったいに後で何かにつながるんだろうなあ、っての。
そういうのって野暮ったいし、宙ぶらりんのまま頭に入れとく必要があるから、読んでいて疲れる。
といってさりげなさすぎると忘れて「こいつ誰だっけ?」になっちゃう。
『マスカレード・ホテル』の「一度きれいに処理したものをもういっぺんひっぱりだしてくる」やりかたはものすごく鮮やか。近年読んだ「伏線回収」の中でいちばん感心した。
ぼくの大っ嫌いな「犯人が訊かれてもいないのに、最後の殺人を完了させる直前にべらべら動機やトリックを語る」パターンだったのでそこはマイナスだが(東野圭吾作品にはこれが多い)、それを差し引いても余りあるほどよくできた伏線回収だった。
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