2023年1月12日木曜日

【読書感想文】村田 らむ『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』

人怖

人の狂気に潜む本当の恐怖

村田 らむ

内容(e-honより)
その男は社会のアンダーグランドを長年取材してきた。中には命の危険を感じることもあった。しかし、そんなものより恐怖を感じる瞬間―。それは理解不能な人間の狂気に出会ったときだった…。世の中の闇に精通する筆者が綴る、思わず背筋が凍る人怖物語。


 怖い話、といっても幽霊だのおばけではなく、生きている人の怖い話を集めた本。

 死体遺棄、悪意、暴力、動物虐待、詐欺など、個人的には「怖い」というより「胸くそ悪い」話がほとんどだった。

 ぼくもけっこう胸くそ悪い話が好きで(というと語弊があるけどついつい読んじゃう)、後味の悪い小説はよく読む。ということもあって、『人怖』に載っている話は「たしかに嫌な話だけどそこまで衝撃的なものはないな……」という印象だった。

 描写のグロテスクさでいえばこないだ読んだ『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』のほうがずっと上だったし、読後感の気持ち悪いさでいえば吉田修一氏の小説のほうがよっぽど嫌な気持ちになる。

 ハッピーな物語しか読まない人だったら『人怖』もずいぶん衝撃的な内容だとおもうけど。




 ホームレスの取材相手を探している雑誌記者の話。

「どんなホームレスを取材したいのですか?」
「死にそうな人いないですか? 取材している間に死んで欲しいんですよね」
「ええ? あ、死にそうな人ですか?」
 ……面食らった俺は、オウム返ししてしまった。
「そうなんですよ。別にその日のうちに死んでくれってわけではないですよ。うちは予算があるので、かなり長く取材ができますから。半年くらい取材をしていて、ある日小屋にいつも通り行ってみたら、彼が亡くなっているのを発見……とかが理想的ですよね。そこで、テロップで『我々はなぜ、彼を救えなかったのだろう?』って出すわけです。これ、すごい受けると思うんですよ!!」

 こういう報道関係者はいっぱいいるんだろうな。ここまであけっぴろげではなくても、うっすらと願っている記者はいっぱいいるだろう。

 こないだ読んだNHKスペシャル取材班『ルポ車上生活 駐車場の片隅で』にも近いものを感じた。記者がストーリーを作って、それにあう被取材者を探して、ストーリーにそぐわない話は切り捨てる。さらにたちの悪いことに、記者たちは「社会正義のため」と信じてやっている。「自分や視聴者の野次馬根性を満たすため」だということをすっかり忘れている。

 仕事とか社会正義という大義名分があるときのほうが、道徳心は忘れやすいんだよね。

 テレビディレクターの藤井健太郎さんが『悪意とこだわりの演出術』の中で、こんなことを書いていた。

 逆に、何かを悪く言ったりしているとき、意図的に事実をねじ曲げていることはまずあり得ません。悪く言われた対象者からは、事実だったとしてもクレームを受けることがあるくらいなのに、そこに明らかな嘘があったら告発されるのは当然です。
 そんな、落ちるのがわかっている危ない橋をわざわざ渡るわけがありません。そんな番組があったらどうかしてると思います。どうかしてる説です。

 悪ふざけだとおもっているときは、「渡っちゃいけない橋」に対して慎重になる。やりかたを間違えると、反撃されたり、訴えられたり、捕まったりすることがわかっているからだ。

 ところが〝正義〟のためならついつい暴走してしまう。先のホームレスで言うなら「ホームレスを取材して悪意たっぷりのおもしろおかしいコンテンツを作ってやろうぜ!」とおもっている人は、法や人々の道徳心にぎりぎり触れないラインを狙うだろう。

 ところが「『我々はなぜ、彼を救えなかったのだろう?』がテーマの美しくて崇高な物語をつくろう」とおもっている人は、ついついそのラインを踏み越えてしまう。正義は危険だ。




 犬を飼うのに世話をしない母親の話。

 でもある日、母から電話がかかってきて、おいおいと泣いているんです。
「犬が死んじゃって、もう悲しくて、悲しくて。あの子(義兄)も犬の亡骸を抱いて泣いていたのよ……」
 どうして急に死んでしまったのかを聞くと、

「保健所で殺処分してもらったの」

 母は、ペット不可の団地で犬を飼っているのが面倒になったらしく、保健所に連れて行って殺させたらしいです。
 つまり母は、自分で犬を殺しておいて、「犬が死んじゃった」 って泣いていたんです。

 たしかにひどい話なんだけど、こんなのめずらしくもなんともない話で、ペットを捨てたり、保健所に犬や猫を連れていくやつってたいがいこんなんじゃないの?

 自分では責任はとりたくない、でも好きなときだけかわいがりたい、でもそのために金や時間や労力を犠牲にしたくない、でも動物は好き、だけどめんどうなことを引き受けるぐらいなら動物が死んでもしかたない、でも死んだら悲しい。

 そういう思想じゃなきゃ、なにがあっても最期まで飼う覚悟もないのに犬猫をペットショップで買ってきたりしないでしょ。ペットショップ界隈には掃いて捨てるほどありそうな話だ。




 (おそらく)最近話題になっている某宗教について。

 そんなEさんの信仰が終わったのは、その教団が事件を起こしたからです。
 当該の教団は、韓国のキリスト教系の新興宗教団体でした。
 信者には「自由恋愛禁止」「合同結婚式で相手を強制的に選ぶ」という人権を無視してまでも、ピュアさを求める教団でしたが、教祖は全く逆の行動をとっていました。
 教団は、見た目がいい女性信者を多数、教祖の元へ”みつぎ物”として届けました。
 そして教祖は手当たりしだいに数多くの性的暴行をしました。
 女性を風呂場に裸で並べさせて、順番に性的暴行をしていったというスキャンダル記事も出ました。日本の女性信者も教祖の元に送り込まれ、性的暴行の被害者が出ました。
 教祖は韓国国内で刑事告発され、教祖は国外に逃亡、2007年に中国のアジトに潜伏しているところを逮捕されました。
 その段階になってEさんは、
 「え? さすがにおかしいんじゃないか?」
 と思ったそうです。
 教祖のスキャンダルさえ出なければ今も信仰を続けていた可能性があったと、Eさんは語っています
 そして僕が何より恐ろしいと思うのは、この団体は今でも活動を続けており、日本でも活発に勧誘活動をしているということです。
 つい最近になって日本で宗教法人格まで取得しています。

 2022年になって急にニュースになったけど、ずっとこういうことをやってきた団体なんだよねえ。




「人から聞いた話」がほとんどで、もちろん確かなソースなどもなく噂話とか都市伝説に近い。 掘り下げなどもなく、一冊の本として読むと少々読みごたえが薄い。

 Twitterとかで流れてきたら目を惹くような話なんだけどな。


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2023年1月11日水曜日

【読書感想文】『ズッコケ芸能界情報』『ズッコケ怪盗X最後の戦い』『ズッコケ情報公開㊙ファイル』

   中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第十五弾。

 今回は43・44・45作目の感想。いよいよラストに近づいてきた。

 すべて大人になってはじめて読む作品。


『ズッコケ芸能界情報』(2001年)

 女優になりたいと言いだしたタエ子さんの付き添いで、芸能プロダクションのオーディションに付き添った三人組。突然、元二枚目俳優・現プロダクション事務所の社長にスカウトされ……。


 あまりにも導入の展開が雑すぎる。初対面の芸能プロダクション社長がそのへんの小学生相手にいきなり「君たちは三人ともスターになれる! うちと契約してください!」って言ってくるんだよ。平凡な顔を見ただけ。演技も見ていなければ、話すらしていないのに。

 これが詐欺でなければなんなんだ。どう考えたって詐欺師だ。

 ははあ、じつは詐欺でしたーっていうオチだな、小学生に芸能界は魑魅魍魎が跳梁跋扈する甘くない世界だと教えるんだなとおもって読んでいたのだが、驚くことに最後まで読んでも詐欺ではないのだ。んなアホな。

 ストーリーの強引さもひどいが、キャラクターの性格が変わっていることも気に入らない。目立ちたがり屋でお調子者だったハチベエはどこへ行ったんだ。これまでのハチベエだったら一も二もなく芸能界入りの話に飛びついていただろうに、今作では妙に慎重。逆に両親が浮ついて「うちの子はスーパースターになれる」なんて言いだす始末。キャラクターを壊さないでくれよ。

 タエコさんも急に芸能界デビューしたいと言いだすし、器量がいいわけでも熱意があるわけでも演技がうまいわけでもない少女がオーディションでいいとこまでいっちゃうし。ハチベエはハチベエで、ほとんど練習すらしていないのにとんとん拍子でドラマ出演が決まるし。ほとんど夢物語だ。

 また、主役であるハチベエですら主体的に行動することはほとんどなく、エスカレーターに乗せられたかのように努力することもなくスターの道を登りつめてゆく(途中で落とされるが)。いわんや、ハチベエが東京に行ってしまった後のモーちゃんとハカセにいたってはほぼ出番なし。

 とにかく作者の立てた無理のある筋書きに、登場人物たちがいやいや付きあわされているという感じの作品だった。



『ズッコケ怪盗X最後の戦い』(2001年)

 みたび現れた怪盗Xから、新未来教なる新興宗教団体から黄金の草履を盗みだすという予告状が届く。だが新未来教の教祖は神通力があるから大丈夫と自信たっぷり。はたして怪盗Xは黄金の草履を盗みだすことに失敗したかに見えたが……。


 冒頭の、国会議員秘書が金を騙しとられるくだりは蛇足だったが、第二章からはおもしろかった。怪盗X三部作の中ではいちばんよかった。

 まず新興宗教団体を舞台にしているのがいい。神通力を持っていると自称する教祖VS天下の大泥棒。ドラマ『TRICK』を彷彿とさせる。また、怪盗Xが敗れたのでは? とおもわせておいて二転三転する展開もおもしろい。

 さらに「ハカセたちの近所に引っ越してきた男性が怪盗Xの正体なのでは?」というもうひとつの謎もストーリーにうまくからんでいて、終始飽きさせない。こっちの謎は最後まで明らかにならないところも余韻を残す感じでいい。

 一点不満があるとすれば、「Xの正体らしき人物」がハカセやモーちゃんと同じアパートに引っ越してくるのはあまりにご都合的すぎる。X側は三人組のことを知っているのだから、わざわざ近所に引っ越してくる理由がないとおもうのだが……。

『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』がかなりひどい出来だったので期待していなかったのだが、いい意味で予想を裏切ってくれた。



『ズッコケ情報公開㊙ファイル』(2002年)

 時代劇を観て、悪いやつをこらしめる諸国お目付け役になりたいとおもったハチベエ。ハカセに話したところ、だったらオンブズマンがいいんじゃないかと言われ、女の子にもてたい一心で市民オンブズマンになることを決意。情報公開のために市役所に行った帰り道、交通事故現場を目撃。被害者の男から書類とフロッピーディスクを託される。そこにあったのは市長の写真と交通費の書類だった……。


「情報公開」というおっそろしくつまらなさそうな題材だったが、中盤以降のストーリーはスティーブンソン『宝島』に似た王道冒険物語パターン。謎を解いたり、悪者に追われたり。『謎のズッコケ海賊島』にもよく似ているね。

『海賊島』と大きく異なるのは、中期以降は準レギュラーになっている荒井陽子・榎本由美子・安藤圭子たちと行動を共にすること。これまでは不自然に女性陣が登場していたが、今回は「フロッピーディスクの中身を調べるためにパソコンを持っている荒井陽子に協力を求める」という自然な筋書き。また危険なことにかかわりたくない榎本由美子が終盤でいい働きを見せるなど、女性陣をうまく扱っている。

「つまんなそうなテーマだな」と期待せずに読んだのだが、意外とおもしろかった。まったく期待しなかったのがよかったんだろうな。ただやっぱりオンブズマン制度の説明は子どもにはむずかしすぎる。娘(九歳)はほとんど理解できていなかった。政治家とか公務員とかすらよくわかってないんだから、オンブズマンだとか開示請求だとか言ってもわかるわけない。だいたいこの物語で三人組がやっていることはオンブズマン活動ではなく、恐喝屋からゆすりのネタを預かっただけである。情報公開請求なんてしていない。

 とはいえ、こうやって他の児童文学が手を付けていない分野に挑戦する意欲は買いたい。流行っている推理物や怪談物に安易に手を出すよりはずっといいぜ。


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2023年1月10日火曜日

【読書感想文】中脇 初枝『世界の果てのこどもたち』 / 高カロリー小説

世界の果てのこどもたち

中脇 初枝

内容(e-honより)
珠子、茉莉、美子―。三人の出会いは、戦時中の満洲だった。生まれも境遇も何もかも違った三人が、戦争によって巡り会い、確かな友情を築き上げる。やがて終戦が訪れ、三人は日本と中国でそれぞれの道を歩む。時や場所を超えても変わらないものがある―。


 いやあ、すごい小説だった。胸やけするぐらいカロリーの高い小説だ。寝る前にちょっとずつ読んでたんだけど、後半は不眠症になるぐらい刺激的な小説だった。



【ネタバレあり】

 主人公は戦時中の満州で出会った三人の少女。開拓民の子として親しく遊ぶ仲だったが、やがてばらばらに。横浜に戻った茉莉は空襲で親や親戚を失い、美子は在日朝鮮人として差別や貧困と闘いながら生きてゆく。満州で終戦を迎えた珠子は日本を目指すが……。

 三人ともとんでもなく苦労をするのだが、中でも珠子のおかれた境遇はつらい。戦争が終わったとたん、それまで奴隷のように扱っていた中国人たちに襲われる。

 中国人は引き揚げていた。家々は焼かれ、めぼしいものは奪われていた。城壁内のあちこちに、日本人の死体があった。 
 珠子は初めて、殺された人の死体を見た。裸にされて、槍で突かれたのか血まみれになって、野菜畑で死んでいた。珠子たちを家に住まわせてくれていた呉服屋の主人だった。 
 呆然として珠子はその死体を見下ろしていた。こどもはそんなもんを見たらいかんと言う余裕のある人間はだれもいなかった。ひとりぼっちで立っている珠子を気にかける人間もいなかった。 
 珠子は昨夜から今までのことを思いだしていた。 
 なんでわたしらあは襲われたが? 
 なんでソ連軍やのうて、満人が襲うてくるが? 
 珠子は茉莉に見せてもらった絵本の絵を思いだした。遊んでいた日本人と朝鮮人と中国人。 
 なかよしやなかったが? 
 わたしらあ。 
 広い満洲では開拓団村の城壁の中で暮らし、昨夜は襲われて城壁の中から逃げだした。 
 なぜ城壁があったのか。なぜ外へ出てはいけなかったのか。 
 あれは、けものから身を守るためのものではなかった。 
 なぜ大人たちが鉄砲を持っていたのか。鉄条網を張りめぐらせ、見張りを立てていたのか。 
 珠子は気づいた。 
 ここは日本ではなかった。珠子たちは満洲の人たちから逃げていた。この土地にもともと住んでいた満洲の人たちから。
 翌日からは、絶え間ない略奪が始まった。ついてきた中国人たちは、日本人の列に入りこんでは、ポケットというポケットを漁り、金目のものがないか探す。一緒に歩きながら、まるで他の者に取られる前に取らなくてはと焦っているかのように、上着のみならず、男のズボン、女のもんぺ、こどもの服など、手当たり次第に剝ぎとっていく。 
 略奪に加わるのは男だけではなかった。女のみならず、珠子と同じ年頃の女の子や男の子まで、寄ってきては「拿出(出せ)」「脱下(脱げ)」と言って、抵抗できない日本人の大人たちの持ち物や着物を奪う。校長先生まで女の子にズボンを脱がされていた。中国人の警察隊も見て見ぬ振りだった。 
 日本人の女は髷の中や赤ん坊のおむつの中に宝石を隠しているという噂が中国人の間で流れているらしく、女は髷を切られて髪の中まで探された。おぶった赤ん坊は奪われ、おむつまで外されて丸裸にされた。女の服を脱がせて局所まで探す者もいた。


 歴史の教科書やドラマでは、終戦は「戦争が終わった! これからは戦争のない世の中が始まる!」といった明るい転機として描かれる。だがそれは日本本土の話であって(もちろんそっちも大変だったのだが)、満州に残された日本人にとっては終戦は過酷な戦いのはじまりだったのだ。想像したことなかったなあ。

 財産をすべて奪われ、命も奪われ、命を守るために我が子を殺し、年老いた親を見殺しにし、それでも日本を目指してあてのない旅を続ける人々。


 ある年代の人々の中には中国人を蛇蝎のごとく嫌っている人がいたが、こういう経験をしたんなら一生憎むのもわからんでもないかなあ。もちろん、それ以前に日本人が中国人に手ひどい仕打ちをしてきたからこそ仕返しをされたのだけど。

 とはいえ軍人や官憲がおこなった悪行のしかえしを開拓民が被ったわけで、開拓民からすれば「一方的にやられた」と感じるだろうなあ。

「我々はただ開拓民として農業をして平和に暮らしていたし中国人とも仲良くやっていたのに、戦争に負けたとたん中国人たちがいきなり襲ってきた」という印象なのだろう。中国人にとっては、「先祖代々の土地を奪った憎い相手だが日本軍がいばっているのでおとなしく言うことを聞いていた。その軍隊が撤退したので、奪われたものを取り返した」って感覚なんだろうけどなあ。

 こうして憎しみは受け継がれてゆくんだなあ。




 さらに敵は中国人だけではない。

 夜が更けるにつれて、霜が降りてきた。女こどもを内側にし、みなで打ち重なるように円形に身を寄せ合って眠った。珠子は光子とともに母の胸にしがみついていた。夜更けにはソ連兵がやってきて銃先で上の人間をどかし、女性をみつけだすと銃を突きつけて連れていった。幸い、珠子のところにはやってこなかった。 
 遠くから途切れ途切れに聞こえてくる、夫や両親に助けを求めて泣き叫ぶ女の声を聞きながら、珠子は眠った。

 中国人に襲われ、ソ連兵にも襲われ、さらには日本人同士でも奪いあいがくりひろげられる。

『世界の果てのこどもたち』には、空襲で親を失った子どもから食べ物を奪って我が子に与える大人や、死者の所持品を奪う人々、敵に見つからないように子どもを殺させる大人(そしてそれに従って我が子を殺す親)、弱い者をだまして少しでも多くの食料を手に入れようとする人間などが描かれる。

 彼らは、決して生まれながらの極悪非道な人間ではないのだろう、きっと。彼らは彼らで生きるか死ぬかの状況にあり、生きるため、あるいは家族を生かすために他者を騙し、攻撃し、奪うのだ。

「苦しいときこそ助け合う」なんて真っ赤な嘘だ。他人に優しくできるのは、自らに余裕があるからだ。苦しいときこそ奪いあうのだ。




 珠子は中国人の襲撃から逃げ、ソ連兵から逃れ、その途中で妹や親しい人たちを失う。やっとのことでたどりついた収容所でも劣悪な環境によりばたばたと人が死に、さらに珠子は人さらいに捕まって売られてしまう。たまたま親切な中国人夫婦に買われて、中国人として育てられるのだが、今度は日本人であることが理由で辛酸をなめる。

 中国では大躍進政策、そして文化大革命の嵐が吹き荒れていたのだ。

 その後、部長と課長クラスの人間が一斉に批判の対象となった。批判集会の後は拘束され、工場長も部長も課長も、管理職にあった人間はすべていなくなった。 
 工場の生産は滞った。主任たちも、いつ自分たちが批判されるかわからず、怯えて、共産党員の工員たちの言うなりだった。自分が告発されたくないがために、家族であろうが同僚であろうが、なにもしていない人を先に告発することも、めずらしいことではなくなった。 
 ありとあらゆることが告発の種になった。おぼえていることもいないことも。かつてしたことをおぼえている人たちによって告発された。革命は総決算だった。したことがよいことかわるいことかではなかった。それをどう思っていた人がいたかだった。親が裕福だったこと、大学に行ったこと、有能で仕事ができたこと、そんなことが批判された。あることもないことも。もはや、それが真実かどうかさえ関係がなかった。それを人がどう思ったか。どう思って見ていたか。その思いが溢れだした。これまで口にできないでいた、その思いが。 
 だれもがだれもを疑い、これまでの人間同士の信頼や親しさというものが、すべて消えた。そもそもそんなものはありえない夢だったかのように。

 やっと手に入れた平穏の末、ついに日本に帰還を果たす珠子。だが幼少期から中国人として暮らしていたために、その頃には日本語どころか日本人として暮らしていた日々の記憶もほとんど失われていた……。

 なんとも壮絶な人生だ。もちろん珠子だけでなく、孤児となった茉莉や、在日朝鮮人として生きる美子もまたそれぞれ想像を超えるほど苦しい日々を送ることになる。

「戦争の悲劇」について語るとき、どうしても死者のつらさに重点が置かれるけど、ひょっとしたら生きのびた人のほうがずっと苦しい思いをしているかもしれない。「それでも生きていただけマシ」とはかんたんに言えないなあ。


 なんとも強烈な小説だが、あの時代を経験した人々からするとさほどめずらしくもない話なんだろう。一家全員無事でした、なんてケースのほうがめずらしいぐらいかもしれない。




 ぼくの祖父母は大正後半~昭和ヒトケタの生まれだった(昨年祖母が九十九歳で死に、全員鬼籍に入った)。戦争の記憶がある最後の世代だ。この世代は生きていても百歳ぐらいなので、もうほとんど残っていない。

 ぼくはとうとう祖父母から戦争体験談を聞かずじまいだった。祖父に関してはふたりとも出征していたそうだが。

 なぜ言わなかったのだろう、と彼らの心境を想像する。単純に「聞かれなかったから言わなかっただけ」の可能性もあるが、やはり言いたくなかったんじゃないだろうか。


 きっと、ぼくの祖父母も、生きるために他者から何かを奪ったんじゃないだろうか。金銭だったり、物資だったり、ひょっとすると生命を。きれいごとだけでは生きられなかった時代だ。もちろん奪われることもあっただろうが、奪うことも多かっただろう。

 きっと平和な時代にのほほんと生きる孫には言えなかったのだろう。どうせ「そうしないと生きていけない時代だったんだよ」と言っても、平和な時代しか知らない孫には伝わらない。だから戦争の思い出をまるごと封印したんじゃないだろうか。

 すべてはぼくの勝手な想像にすぎないけど。




 ものすごくパワフルな小説だった。三冊の重厚な小説を読んだぐらいの圧倒的なウェイト。

 まだ年のはじめだけど、たぶん今年トップクラスの本になるだろうな。


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2023年1月6日金曜日

【読書感想文】『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』 / 正論はエセ科学に勝てない

各分野の専門家が伝える
子どもを守るために知っておきたいこと

宋美玄 姜昌勲 名取宏 森戸やすみ 堀成美
Dr.Koala 猪熊弘子

内容(e-honより)
子育ては、人生の一大事業であり、社会にとっても重要なことがらです。しかし、「我が子を大切に育てるために、どうするのが最善なのだろう」と悩んだ末に、ネットや口コミで流れる怪しげな情報にすがり「よかれと思って」それを推進すると、結果的に子どもたちを不幸にしてしまいます。親、そしてすべての大人たちに必要なものは、根拠のない情報を鵜呑みにしない「知の防壁」、つまり「正しい知識」と「論理的思考能力」です。本書では、各分野の専門家たちが育児・医学・食・教育などの分野にわたり世に流布するデマを論理的に糺し、正しい知識を提供します。本書を座右に、子どもたちを守るためのスキルを身につけていきましょう。

 子育てをすると、周囲からいろんなことを言われる。あれに気をつけろ、これがいいらしい、それを早くやったほうがいい、と。病院、助産師、親、義両親、保育園、学校、親戚、他の保護者、近所の人、テレビ、SNS。

 言う方はたいてい親切心で言っているのだが、親切心ほどやっかいなものはない。営利目的での誘いなら「けっこうです!」と断れても、近しい人が親切心で言ってくる言葉ははねつけにくい。

 特に子育てに関してはほとんどの人がはじめての経験で失敗するととりかえしのつかないことになるので不安になりやすい。「よくわかんないけどやってみる。だめならもう一回」とはいかないから、正解を求めていろんな情報をさがす。いろんな人が(よかれとおもって)アドバイスをする。

 で、中にはまちがった知識、有害となる知識もある。バカな話をバカな人が信じているだけなら好きにしたらいいが、そこがバカのゆえんで、バカ知識を他人に押しつけたりバカ知識にもとづいて他人の行動を変えようとしたりする。


 子育てをする上で、そういう「エセ科学」に染まらないようにするための本。

 自然分娩、母乳育児、オーガニック食品、食品添加物、放射性物質、ホメオパシー、反ワクチン、江戸しぐさ、EM菌、水からの伝言などをテーマに、信頼のおける本やデータをもとに「正しいであろう知識」を紹介している。




 やっていることはすごく正しい。あたりまえのことを丁寧に伝えていくことは大事だ。ただ「届けなきゃいけない人には届かないだろうな」という気もする。

 正しいことっておもしろくないんだよね。この本もぜんぜんおもしろくない。教科書を読んでいるよう。正しいことをまっとうに書いている。ふーん、とおもうだけ。

「水にやさしい言葉をかけるときれいな結晶になる」とか「江戸時代の人たちに伝わっていたマナーが現代に通ずる」とかのほら話のほうがおもしろい。ほら話だからね。残念ながら。


 そもそも、エセ科学に夢中になる人って正しい知識なんて求めてないんじゃないだろうか。

 以前、ある俳優さんが語っていた。自分は陰謀論に染まりかけていた。ネットやYouTubeで仕入れてきたソースの怪しい話を知人に「どうだ知らないだろう」と話していた。だが、親しい仲間からそれは陰謀論でまともな話じゃないと指摘され、目が覚めた。改めて考えると、たしかにそのときの自分はおかしかった。陰謀論を知れば、無知でも、努力をせずに賢くなった気になれる。だからどんどん引きこまれていった、と。

 これはすごく冷静な指摘で、なかなかここまで客観的に自分を見つめることができる人はいないだろう。

 エセ科学や陰謀論にはまる人が求めているのは「楽して専門家よりも賢くなった気になれること」であって、「丹念につみあげられた証拠」や「膨大な実験結果」や「論理的に正しい可能性が高いであろう推論」などではない。ソースをあたれとか自分で調べろとかいうけど、ずいぶんトンチンカンな話だ。一獲千金を求めて馬券を買う人に「こつこつ働いて貯金しなさい」と言うようなものだ。

 ぼくだって、科学や政治経済の勉強はよくできたほうだし本を読むのも苦にならないからそれなりに科学リテラシーがあるほうだと(自分では)おもっているけど、そうじゃない分野に関していえばあっさりエセ科学的なものに染まる可能性はある。たとえばアイドルの分野にはまったく興味もないし自分で調べようとすらおもわないから「アイドルの○○は実は□□なんですよ」なんてことを、事情通っぽい人にもっともらしく言われたら「ふーんそうんなものか」と信じてしまうかもしれない。検証するのはめんどうだし。


 だから陰謀論やエセ科学を信じている人に対して、まともな議論や確かな証拠をいくらぶつけたってひっくりかえすことはできないとおもう。馬券を買う列に並んでいる人に「人間まじめに働かなきゃだめだよ」って言うのと同じで。上に挙げた俳優さんみたいなケースは、例外中の例外。

 陰謀論をひっくりかえせるのは別の陰謀論だけだとおもう。「ワクチンは身体に悪い!」って信じている人の考えを変えられるとしたら「いいや本当に危険なのはまだ世に知られていないXだ。ここだけの話、ワクチン反対論者はXの脅威を隠すために矛先をワクチンに向けているのだ!」みたいな別の陰謀論だろうね。




 保険対象となっている医療行為や薬はリスクもあるけどメリットのほうが大きい、食品添加物も基準を守っていればほぼ悪影響はないし恩恵も大きい、福島県の放射線物質はまったく心配するような量ではない、など、まああたりまえといえばあたりまえの話ばかりが続く。たぶんこういう本を手に取る人からしたら「そりゃそうでしょ」的な内容が多いだろう。

 無農薬野菜にもリスクがある、という話。

 そのリスクのひとつは、天然の有毒物質が混じる恐れがあること。天然の有毒物質をあまり意識したことがない人も多いかもしれませんが、自然界には人間が食べると毒になるものがたくさんあります。食用ではない植物の多くは有毒です。実際、この天然の有毒物質が、オーガニックでもしばしば問題になっています。本当は残留農薬よりも、様々な作物に含まれている天然の有毒物質のほうがリスクは高いのです。
 たとえば畑に生える雑草の中には、有毒なアルカロイドを含むものがあります。2014年には、輸入されたオーガニックベビーフードからナス科のアルカロイドであるアトロピンとスコポラミンが検出されてリコールされたというニュースがありました。このときに検出された量は、赤ちゃんに影響が出る可能性のある量でした。畑に雑草が多いことがオーガニックのよいところだと言う人もいますが、野生の植物は混じらないほうが安全です。
 もうひとつのリスクは、オーガニックの食品は、カビ毒汚染が多いということです。植物には真菌(カビ)が原因となる病気が多いのですが、これら真菌は植物を傷めて収穫量を減らすだけではなく、ヒトを含む動物にとって有害なマイコトキシンと呼ばれる一連の毒素を作ります。これらの種類は多く有害影響も様々ですが、有名なのはトウモロコシなどによくみられるアフラトキシン、小麦などによくみられるデオキシニバレノールなどです。実際、前出の企業のオーガニック製品から、カビ毒のオクラトキシンが検出され、回収されたこともありました。これらの残留農薬よりはるかに害が大きい自然の毒素は、農薬を適切に使うことで減らすことができます。
 もちろん、普通に販売されている商品のほとんどには問題がなく、安全性については普通の農産物も有機農産物も意味のある差はないと言えます。

 よく「○○は身体に悪い!」と言われるけど、まあたいていのものは人体に悪影響を与えることができるんだよね。どんなものでも摂りすぎは健康に良くない。

 そしてついつい「○○を摂取する」と「○○を摂取しない」で比べてしまうけど、何も食べないと死んでしまうのだから、比べるべきは「○○の害」と「○○ではないものの害」でなくてはならない。農薬を使った野菜の害と比較すべきは、無農薬野菜を食べる害だ。そして後者は決して小さくない。何人もの人が、自然にあるものを口にして命を落としてきた。

「農薬の害」はよく語られるけど「無農薬の(食べる人にとっての)害」はほとんど語られないのはフェアじゃないよなあ。




 個人的には取りあげるトピックに「早期英語教育」も入れてほしかったな。

 巷にあふれる幼児向け英語教育は、効果が怪しいものが大半だとにらんでるんだけどな……。


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母親として、子どもに食べさせるものには気をつかいたい



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2023年1月5日木曜日

いちぶんがく その18

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



未亡人ギャグも冴える。

(竹宮 ゆゆこ『砕け散るところを見せてあげる』より)




ああ、このままずっと君に回されていたい。

(爪切男『クラスメイトの女子、全員好きでした』より)




こんなことしてて いいのです

(ニコリ編『すばらしい失敗 〜「数独の父」鍜治真起の仕事と遊び』より(鍜治 真起))




かかりつけの釈迦に相談するべきだったのだ。

(上田 啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』より)




三角の布は、おばあちゃん同様、臭い。

(『悪童日記』より)




自分の居場所を愛した記憶がない彼にとって、怒りや苛立ちをうじうじ反芻するのは、故郷に帰るようなものだった。

(大岡 玲『亀をいじめる』より)




おめでとう、人。

(岸本 佐知子『死ぬまでに行きたい海』より)




もしもキュウリが違法化されたらどうなるか、考えてみてほしい。

(ウォルター・ブロック(著) 橘 玲(超訳)『不道徳な経済学 ~転売屋は社会に役立つ~』より)




「腐らない人間なんていやしませんよ」と一蹴。

(特掃隊長『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』より)




死人をいやがるのはしばらくの間で、白骨ともなれば話し相手にもなった。

(石野 径一郎『ひめゆりの塔』より)




 その他のいちぶんがく