ひと
小野寺 史宜
高校生のときに父親が事故死し、つい最近実家の母親が孤独死してしまった主人公。若干二十歳で天涯孤独となり、大学は中退。そんな折、ふとした縁を機に商店街のお総菜屋で働くことになる。亡き父や母に思いを馳せながら、次第に己の進む方向を見極めようとする……。
『ひと』というタイトルが表すように、人について丁寧に書いている。主人公はもちろん、亡き父母、周囲の人々、ちょっとした脇役までとにかく丁寧に人となりを書いている(解説文を読むまで気づかなかったが、すべての登場人物にフルネームが与えられているそうだ)。
そう、丁寧。丁寧な小説。それはいいことでもあり、悪いことでもある。
たとえば、主人公と女ともだちがお酒を飲みながら交わす会話。
どうよこのクソつまらない会話。こういうのがだらだら書かれている。会話文がほとんどはしょられていない。だから内容のない会話をひたすら読まされる。
いや、たしかにリアルなんだよね。酒の席の会話ってぜんぜん頭を使ってないからこの程度のうすっぺらさだけど、それを文章で読まされるのはなかなかつらい。実直ではあるが、ケレン味がない。
ほら、まじめないい人の話ってつまらないじゃない。会話をしていてもずっと凪。悪口もゴシップも嘘も自慢も冗談もない会話。そんな、まじめでつまらないいい人を小説にしたような作品。
リアルだったらいいってもんでもないな、丁寧だったらいいってもんでもないな。
いい小説だとおもうんだよ。小説にハッピーなものだけを求めている人にとっては。
ただ、ぼくみたいなへそまがりな人間向きではないってだけで。
なーんかね。おとぎ話みたいだったんだよな。
優しくて、謙虚で、まじめで、性的なこととかまったく考えない若者が主人公で、つらい目にあったりもするんだけどそれでもやさぐれることなく一生懸命生きていたら、その努力をちゃんと見てくれている人がいて、きっちり報われるというお話。『かさじぞう』とか『はなさかじいさん』みたいなお話。
最近知った言葉に〝公正世界仮説〟というものがある。正しいことをしている人は必ず報われる、悪いことをしている人はいつか必ずしっぺ返しを食らう、と人は考えてしまいがちだというもの。
そりゃあ世の中は公正だとおもっていたほうが楽だ。というか、そう信じていないと「やってらんねえよ」と言いたくなる。この世の中は。でも、そんな世の中でもぼくらはそこそこまじめにやっていかなくちゃいけない。悪いやつがふんぞりかえっていたり、優しくて謙虚でまじめな者が不幸な目に遭ったりするけど、だからといって『はなさかじいさん』の世界に引っ越すことはできない。
だからせめてフィクションの中ぐらいは勧善懲悪の単純な世界であってほしい。その気持ちもわかる。正しい主人公が報われて「正義は勝つ!」ってなる物語は読んでいて気持ちいいよ。こんなに優しい(と自分ではおもっている)のに現実世界では報われないボクが転生して別世界で大活躍できたら、そりゃあ楽しいだろうよ。
でもなあ。それで満足してしまっていいのか、ともおもうんだよね。ポルノをポルノとおもって消化する分にはぜんぜんいいんだけど、この小説を読んで「心があたたかくなりました」とか「勇気が出ました」とかいう人には大丈夫か? と言いたくなる。大きなお世話なんですけど。
「正義は勝つ」は、容易に「勝たなかったあいつは正義じゃなかったんだ」「おれは勝ったから正義なんだ」になっちゃうから、すごく危険な思想なんだよね。
この小説は「正義は勝つ」感が強くてちょっと気持ち悪いな、と感じちゃった。ごめんね、ほんとに丁寧でいい小説なんだけどね。けっこうおもしろく読めたし。メッセージが個人的に嫌いだっただけで。
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