ガール
奥田 英朗
2003~2005年に雑誌に発表された、働く女性を主人公にした短篇五篇を収録。
えっ……。2003年ってこんなにも古かったの……。あたりまえのようにおこなわれるセクハラやパワハラ、上司へのごますり、派閥争い、出世競争、連日の残業、アフターファイブの飲み会、カラオケ、ディスコ……。
これはどうなんだろう。奥田英朗氏の感覚が古くて、〝昔のニッポンの会社〟を二十一世紀に書いてしまったのか。それともこの頃の会社ってこんなんだったのか。
ううむ、まるで百年前の話のようにおもえてしまう。
いやわりといるけど……。同僚や上司や部下と「転職しないんですか?」とか「いずれ転職するだろうけど……」といった話をしたことは何度もある。今となっては「女性上司の発想」ではなく「数十年前の発想」だ。
ぼくは2005年に大学を卒業しているから、この時代の会社のこともまったく知らないわけではない。就活をしたり、先輩の話を聞いたりもしていた。
そういえば、2000年代初頭ってまだまだこんな時代だったかもしれない。一言でいうなら「昭和」。
そりゃあ今でも派閥争いをしたり、出世競争をしたり、連日のように飲み会や接待をしたり、セクハラやパワハラが横行している会社もあるだろう。完全になくなったわけではない。でも、少なくとも多くの人にとっては〝古くてダサいもの〟という認識を持たられている。
「いやあ、毎日接待で飲み会でね」という話を聞いて「サラリーマンはそうでなくっちゃ」とおもう人は、三十代以下では少数派だろう。多くの人の感覚は「大変だね」「気の毒に」「そんな会社やめたら?」「まさかそれが自慢になるとおもってんの?」「生産性の低いことやって給料もらえてよろしおすなあ」だ。
『ガール』に出てくる会社や人は、ことごとく古い。二十年もたっていないのに、まるで五十年前の価値観を持っているように見える。
「女性社員は職場の花だから若いほどいい」「妻が夫より稼ぐなんて」「女が会社で生きるには、男に負けないぐらい気が強いか、かわいくて男に甘えて生きるか」みたいな感覚を持っている。男も女も。
上司の男が部下の女性に「おっ、この後デートか?」みたいなことを言って、言われたほうが「もう! 課長それセクハラですよ」なんて言ってる。「それセクハラですよ」は「不問にしますよ」と同義だ。言われた女は「恥ずかしそうにする」か「冗談めかして怒ったふりをする」かの選択肢しかなかったのだ。「無視する」とか「冷ややかな目を向ける」とか「もっと上に通報する」とかはそもそもありえなかった時代。
こういうのを読むと、世の中って変わっていないようで変わっているんだなあと感じる。
どの短篇も、会社や社会に巣くう女性に対する抑圧に立ち向かう主人公、という構図になっているのだが、この図式自体が古く感じてしまう。
2022年も、一般的に女は男よりも働きにくい。そのことに変わりはないけど、でもいくぶん緩和されてはいる。「女性社員は職場の花だから若いほどいい」「男は家事や育児を置いてでも仕事に打ちこめ」という考えの人だってまだまだいるけど少数派だし、まして大っぴらに公言する人はもっと少ない。
今だったら、あからさまな女性差別をする会社があったら「闘って変えていかないと!」よりも「そんな会社は見切りつけて転職したほうがいいよ」になる。もっとまともな会社はいっぱいあるし、そもそも「生涯一社」のほうがめずらしいし。
でもこうやって「そんなセクハラ・パワハラが横行してる会社なんてごく一部だから、さっさと辞めちゃえばいいじゃん」と言えるのは、今の時代だからだ。自分が社会人になった2005年頃の雰囲気を思い返してみると、とてもそんなことは言えなかった。まだまだ「同じ会社に長く勤めて一人前」という風潮が強かったし、転職者に対する風当たりも強かった。「新卒入社した会社に定年まで勤めあげる」という神話がまだ生きていたし、不況だったこともあってブラック企業でもやめづらかった。必然的に、パワハラにもセクハラにも薄給にも長時間労働にも耐えなければならなかった。
くりかえしになるけど、世の中はちゃんと変わっている。
『ガール』に出てくるような、自分のできる範囲で闘っていた人たちがいたからこそ変わってきたのだろう(あと古い価値案を持った年寄りが会社から退場していったから)。
日本は貧しくなったし労働者のおかれている状況は厳しくなったけど、それでもぼくは「三十年前の会社で働きたいか」と言われたらノーと答える。
給料少なくても、残業なくて飲み会断れて休みの日まで拘束されない会社のほうがいいや。
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