半藤 一利
「昭和史」を名乗ってはいるが、書かれているのは昭和20年まで。サブタイトルに「1926-1945」とつけてはいるが、63年のうち20年だけを書いて「昭和史」と掲げるのは景品表示法違反じゃないか。
ま、それはいいとして。
昭和元年から20年までの、一般庶民の風俗についてのトピックを拾い集めた本。A面(政治・経済)に対するB面ということだが、そうはいっても政治や経済について語ることなくこの時代を語ることは不可能なので、じっさい半分近くはA面の話題。まあこれはしかたない。
大正12年、つまり昭和元年の3年前に起こった関東大震災について。
「まったく関東大震災さまさまでした」なんて今だったら大炎上してる発言だけど、まあ鉄道会社社長からしたら本音だろう。
結果的に関東大震災があったからこそ東京は鉄道網や住宅地の整備が進み、都市化が進んだ。地震が起こる前の東京都の人口は400万人ぐらいだったが、昭和15年には700万人を超えている。空襲で激減したものの、その後に起こった再度の人口増加はご存じの通り。地震と空襲という二度の災害が、東京を大都市にしたんだね。
そういや大地震にも空襲にも襲われていない京都市の中心部では、地上を鉄道が走っていない(昔は路面電車が走っていたが)。阪急も京阪も地下。JR京都駅は中心部からずいぶん離れている。道は狭く、バスやタクシーは渋滞で動けない。
大きな災害がないのはいいことだが、都市開発という点では必ずしもいいこととはいえなさそうだ。
昭和6(1931)年の話。満州事変後の報道について。
このへんはひとつの分岐点だったのかもしれない。陸軍の暴走があったことはまちがいないが、ここで報道機関や国民が冷静になっていれば……ひょっとして無謀な戦争への突入は避けられたのかもしれない。
翌昭和7年の話。
NHKの朝ドラなんかだと「勝手な戦争をしかけたえらいさんのせいで、我々庶民がひどい目に遭う」みたいな描き方をされがちだけど、そんなことはない。庶民こそが旗を振って戦争突入を後押ししたのである。
斎藤 美奈子『モダンガール論』にも同じような記述があった。それまで女は家の外のことに口出しするな、だったのが、勤労奉仕、銃後の守りを理由にどんどん家の外に出て活躍できるようになった。多くの女性にとって戦争協力は喜びに満ちたものだったにちがいない。
昭和11年。国際連盟を脱退した3年後。日中戦争開戦の前年である。
このへんが最後の平穏という感じだろうか。昭和9~10年頃は景気もよく、喫茶店やミルクホールが流行るなど都市の市民は平和を謳歌していたらしい。 岩瀬彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』にも、昭和10年頃のサラリーマンが銀座で飲み歩いたりしていた様子が描かれている。まさか数年後に、南国に出兵して命を落としたり、空襲で家を焼かれたりしているなんて想像もしていなかったことだろう。たった数年で「大卒サラリーマンの結婚ブーム」から「戦争で焼け野原」になるなんて。
もっとも平和を謳歌していたのは都市部の話で、昭和9年の東北は大飢饉で娘を身売りする家が相次いでいたそうだ。都市と地方の生活格差は今の比ではなかったのだ。
昭和15年。太平洋戦争開戦前夜。
この感じは今の状況にも近いかもしれないね。
景気は悪い、経済が上向く見通しも立たない。こうなると人々は「強いリーダー」「現状を打破してくれるおもいきった方針」を支持するようになる。
漸進的に変えていきましょう、という地に足のついた意見は人気を集めず、改革だ、維新だ、刷新だ、という聞こえのいいだけの言葉に飛びつくようになる。貧乏人ほど一発逆転を狙って宝くじやギャンブルに走るようなものだね。もちろん『カイジ』じゃないんだから崖っぷちのギャンブルで勝てるわけないんだけど。
昭和19年の「竹槍事件」について。長くなるので要約。
毎日新聞が「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ 海洋航空機だ」と見出しをつけ「敵が飛行機で攻めてくるのに竹槍では戦えない」と書いた。
これを読んだ首相の東条英機が激怒。「国民一丸となって戦え」と演説をしたことにケチをつけられたと感じたこと、海軍が戦力増強を求めても陸軍がこれに応じなかったことなどが背景にあった。面子をつぶされたと感じた東条は、毎日新聞の記事は反戦思想だとして毎日新聞社に記者の処分を求めたが、毎日新聞社はこれを拒否。すると軍は書いた記者に召集令状を出す。
これに海軍が「大正時代に徴兵検査を受けた記者を徴用するとは何事か」と抗議。すると、陸軍はなんと大正時代に徴兵検査を受けた他の兵役免除者250人にも召集令状を出したのだ。
もう、むちゃくちゃ。「竹槍では戦えないから飛行機を増やしたほうがいい」は誰が見たって正論だ。しかし正論なのがよくなかったのだろう。無茶を言っている人は正論を言われると逆ギレする。さらに見せしめのような徴兵、さらには東条英機のプライドを守るためだけにルールまでねじ曲げる。ひでえ。
ひどい時代だったんだなあ。まるで、賭け麻雀をやった黒川弘務検事長たったひとりを守るために、強引に法律をねじまげて不起訴にした検察組織みたいなむちゃくちゃだ。あっ、今もひどい時代だった……。
読んでいておもうのは、ほんとに国全体が戦争に向かって突き進んだんだなってこと。もちろん中には戦争反対を貫く人もいたけれども、総体としてみれば戦争に傾いていた。そりゃあ軍部や政治家は特に悪いけど、そこだけの責任ではない。国民も報道機関も、みんなで突き進んだから、もう誰にも止められなくなっていた。総理大臣でも、天皇でも。
そして、人々の気質は今もそんなに変わってないなってことも感じる。みんな、なんとかなるさとおもっている。自分がなんとかしなきゃとはおもっていない。国会議員も、総理大臣も。もちろんぼくも。
だからまあ、戦争かどうかはわからないけど、似たような大失敗をまたやらかすんだろうな。反省もなく。
国民が〝強いリーダー〟を求めているんだから。自分が強くなることよりも。
そんなわけでもうすぐ参院選です。選挙に行きたい人は行きましょう。行きたくない人は行かなくてよろしい。
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