ピーター流生き方のすすめ
ピーター・フランクル
ぼくの子どもの頃のあこがれの人が、ピーター・フランクルだった。
たしかはじめて知ったのはテレビ番組『平成教育委員会』だったとおもう。数学者であり、大道芸人でもあり、十二ヶ国語を操る。その知性のわりにとっつきにくさはまったくなく、飾らない人柄で日本語でジョークまで飛ばしていた。
なんてかっこいい人なんだ。まるで七つの力を持つ鉄腕アトムみたいな人だ。こんな超人にぼくもなりたい……。とそうおもった。
残念ながらぼくは数学者にはなれなかったしお手玉はできないし海外にも数えるほどしか行ったことがないけど、ピーター・フランクル氏は今もぼくのあこがれの存在だ。
そんなピーター・フランクル氏が若い人に向けて書いた、〝生き方〟の本。
気さくな人柄が本にも出ている。若い人向けのアドバイスというとどうしてもえらそうになってしまうものだが、己の失敗談やユーモアもまじえて楽しそうに語っている。
くりかえし語っているのが、自分のために時間を使おうということ。
ついついネットサーフィンで時間を浪費してしまうぼくにとっても耳の痛い話だ。
「テレビはリアルタイムで観なくていい」という主張はたいへんうなずける。
ぼくも最近ではほとんどリアルタイムでテレビを観ることはなくなった(生で観るのは朝の子ども番組だけだ)。 録画で観ると、観たい番組を選ぶことになるし、終わった後に「ついつい次の番組まで観てしまった」なんてこともない。高校野球やサッカーのワールドカップもダイジェストでしか観ない。好きな人からしたら邪道とおもうかもしれないが、どうせ生でテレビ観戦したって、スタジアムに足を運んだって、全部の選手の全部のプレーを全部の角度から観ることなどできやしないのだ。だったらダイジェストでもたいして変わらない。
特に拍手を贈りたいのがこの意見。
これねえ。なんで教師って部活をさせたがるんだろうね。今はどうだか知らないけど、ぼくが学生のときは「よほどの事情がないかぎりは全員何かしらの部活に入るように」と命じられていた。そんなに部活をさせたがるわりに、掛け持ちはいい顔をされなかったのも謎だ。
放課後校外でよからぬことをされるより、部活をやらせて教師の目の届くところにいさせたい、って魂胆があったのかな。むしろ部活こそが暴力やいじめの温床になっていることも多いけどな。
ぼくが高校では部活に属していなかった。いや正確には野外観察同好会なる組織に属してはいたが(しかも会員ふたりしかいないのでぼくが会長だった)、三年間で五回ぐらいしか活動していない。部活をやらなくてよかった、とつくづくおもう。
放課後、友人の家に集まって音楽を聴きながらくだらないおしゃべりをしたり、公園で野球やサッカーをしたり、川に行ってパンツ一丁で泳いだり、気が向いたら勝手に陸上部や弓道部の練習に参加したり、毎日楽しく過ごしていた。遊んでいただけでなく、勉強したり本を読んだりもした。
そのときいっしょに過ごしていた友人とは今でもよく遊ぶ。
部活に打ちこんでいたいた人は「部活をやっていてよかった」と言うかもしれないが、彼らは部活をやらない楽しさを知らないのだ。話半分に受け取った方がいい(もちろんぼくも部活にすべてをささげる楽しさは知らない)。
もちろん、部活をしたい人はしたらいい。プロ野球選手になりたいとか、遊びも勉強も犠牲にしてでも吹奏楽だけをやりたいとか、そういう人を止める気はまったくない。
でも「何か部活をやらなくちゃ」ぐらいの気持ちだったら、やらないという選択肢もあってもいい。というよりやらないのがふつうだとおもうのだが。
特に今はかんたんに趣味を通じて世界中の人とつながれる時代だからね。
ピーター・フランクル氏が尊敬する父親について。
ぼくも人の親なので教育関係の本や記事を読むんだけど、こういうこと言う人って少ないんだよね。
子どもを勉強させるにはどんなご褒美を用意したらいいか、どんな部屋にしたらいいか、どんな塾に入れたらいいか。
いやいやいや。まず第一は「勉強を好きにさせる」だろ。これが最初にして最大の方法だ。
サッカーを嫌いな子をサッカー選手にすることはぜったいにできない。どんなに優秀なコーチやトレーニング設備をそろえても無理だ。それと同じだ。
じゃあどうやったら好きになるか。そりゃあ勉強の楽しさを教えることだろう。
勉強は楽しい。わからなかったことがわかるようになる、こんなに楽しいことはない。
「勉強したら〇〇してあげる」「勉強しないなら××しない」と物で釣る、これはまったくの逆効果だ。なぜならこういうことを言う人は「勉強は苦痛」とおもっているからだ。その姿勢は子どもにも伝わる。
「一時間バトントワリングできたらお菓子あげるよ」「がんばってバトントワリングしないと将来苦労するよ」と言われて、「なんだかわかんないけどバトントワリングって楽しそう!」とおもえる人がいるだろうか(ちなみにここで適当に名前を使わせてもらったが、バトントワリングとは新体操みたいな競技だ)。
ものに対する考え方も共感できる。
ピーター・フランクル氏がブランド物のズボンを買った後、自転車で汚してしまった話。
そう! まったくもってそう!
ぼく自身、服や車や時計を買うときは「価格」と「機能」以外のものを気にしたことがない。そりゃあダサいよりはかっこいいもののほうがいいけど、市販されているものはどれもそんなにダサくない。
靴や時計で高いものを勧めてくる人はこんなことを言う。「きちんと手入れをすれば一生ものだよ。一生使えるとおもえば決して高くないよ」と。
げええ。なんで一生靴の奴隷にならなきゃいけないんだ。一生お靴様にかしづいて磨いてやらなきゃいけない人生なんて最悪じゃないか。一生同じ靴や時計に縛られる人生なんてごめんこうむる。
足を守るために靴を履いてるのに、なんでこっちの手を汚して靴の手入れしてやらなきゃいけないんだよ。「一生ものの靴」なんて最もいらないものだ(それにたいてい「一生使えるとおもえば高くない」というやつに限ってすぐ買い替えるんだ)。
高いものをぞんざいに扱っている人はかっこいい。金持ちなんだな、とおもう。
でも高いものを大切に大切に扱っている人は「貧しいな」としかおもえない。
とはいえぼくも、こないだ新しい靴を買った翌日に雨の中公園で遊んでどろどろにしてしまったときは「新しい靴履いていくんじゃなかった……」と落ちこんだな。気にせず笑えるような人になりたい。
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