2022年3月1日火曜日

【読書感想文】北尾 トロ『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』

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ぼくはオンライン古本屋のおやじさん

北尾 トロ

内容(e-honより)
ここ数年で急激に増えているネット古書店。たった一人でサイドビジネスとして始める人、従来の古本屋さんのネット進出、さらには脱サラ独立組みもいて、活況を呈している。開業のための講座も人気だ。著者はライター稼業から、ネット古書店・杉並北尾堂を始めてしまったのだ。具体的なノウハウはもちろん、日々の楽しみなどを綴る。

 まだインターネットといえば個人ホームページが中心だった時代(1999年)に、ネット古書店を立ち上げた著者のルポルタージュ。北尾トロさんといえば裁判傍聴の人(『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』)というイメージだったのだが、それ以前はこんな活動もしていたのか。

 この本では「ネット古書店の作り方・運用の方法」を懇切丁寧に書いてくれているのだが、残念ながらここに書かれていることは今となってはまったく役に立たない。なぜなら、インターネットの世界がこの二十年でまったく様変わりしてしまったから。

 なにしろ、書かれているのが個人ホームページの作り方。それも、アクセスカウンターを設置とか、掲示板を作るとか、リンク集ページを作って相互リンクを貼ってもらうとか。ああ、なつかしいなあ。ぼくがかつて作っていた大喜利ホームページ(2004~2010年ぐらい)もまさにこんなんだった。この頃はまだこれで人を呼べたんだよなあ。インターネットのつながりっていっても口コミの延長みたいなもんだった。

 この頃って、まだインターネットは個人のものだったんだよね。企業はホームページを持っていない会社も多かったし、持っていても「とりあえず作っておくか」ぐらいの気持ちだったのでWeb上で集客をしたり販促をしたりというのはあまり本気で考えてなかったんじゃないかな。

 楽天市場ができたのが1997年、Amazonの日本向けサイトAmazon.co.jpが誕生したのが2000年11月。まだまだ「インターネットで本を買う」のがめずらしかったどころかほとんど誰も知らなかった時代だ。

 北尾トロさんが作ったネット古書店「杉並北尾堂」は、かなり先駆け的存在だった。当然ながらWeb決済なんて影も形もなかった時代ので、注文はメール、決済は郵便為替。メールで注文して、入金方法や発送方法はメールでやりとり。今から見ると、ずいぶんのどかな時代だ。

 Web広告もSEOも存在しない。なんせGoogle日本版がサービス開始したのが2000年。「検索する」という行為すら一般的でなく、Yahoo!のようなポータルサイトからリンクをたどってWebサイトを見つけなくてはならない時代だった。

 だからこの本に書かれている集客方法は「有名サイトにリンクを貼ってもらって集客しよう」。インターネット自体がこぢんまりとしたコミュニティだったのだ。ああなつかしい。


 懐古しだすときりがないのでこのへんにしておくが、とにかく「杉並北尾堂」がそれなりの集客をできて、スタートしてすぐにある程度の売上を確保できていたのは、「インターネットで商売をやる」がまだめずらしかった時代だからだ。当然ながら今このやりかをまねても、一ヶ月で一冊も売れないとおもう。それどころかほとんど誰もやってこない。

 今はどうなっているんだろうと「杉並北尾堂」を検索してみたが、やはりというべきか、跡形もなかった。当時北尾トロ氏がやっていたブログは見つかったが、店へのリンクは当然ながらリンク切れ。

 Amazonや楽天やマーケットプレイスに飲みこまれ、個人古書店サイトが生き残る余地などなくなってしまったのだ。寂しいことだ。

 だが、古本屋自体は今の時代も健在。大きい街には古本屋は存在するし、Amazonなどのサービスを使ってオンラインで売上を立てている古本屋も多い。「個人ホームページで売る」という販売形態が立ちいかなくなっただけで、ビジネス自体は衰えていない。まあ楽な商売ではないだろうけど。

 結局、始めやすいものは終わりやすいんだな、ということをつくづく思い知らされる。

 毎年毎年「これからは〇〇で副業の時代!」と次々に新しいサービスが生まれるが、その中で十年後も同じように稼げる仕事がいくつあるだろうか。うまくいかないものは消えるし、うまくいくものには大手資本が参入してきて競争力を持たない個人は駆逐される。
「〇〇でかんたん副業」は、趣味程度に考えておいた方がよさそうだね。




 やってみてわかったのは、こんな本が売れるのかと半信半疑でアップしたものは、よく売れることである。どんな古本が売れるかを一般論で考えてはいけない、逆だ。一般性がないものだから新刊で売れず、すぐ絶版になり、ずっと探し続ける読者がいるのである。本好きをナメてはいけないのだ。彼らの懐はぼくなど及びもつかないほど深い。

 なるほどなー。
 たしかに素人考えだと、人気作家の本やベストセラーのほうがよく売れるだろうとおもってしまうが、そんな本はブックオフにもあるし新刊書店でも買える。わざわざオンライン古本屋で買う必要がない。

「こんなの誰が買うんだ」とおもうような本は新刊書店からはすぐに姿を消し、市場に多く出まわっていないから古本屋でもなかなか見つからない。

 そういやぼくがはじめてインターネットで買い物をしたのもたしか星新一の絶版になっていたエッセイ集だった。ショートショートはどこでも買えるけど、エッセイは需要が少ないので見つからなかったのだ。

 今でこそネットでものを買うのはあたりまえだが、当時はごく一部の人だけの行為だった。一般的じゃない人が一般的じゃない方法で買うんだから、そりゃあ世間一般のトレンドとはちがうよなあ。

 人気のないもののほうがよく売れる、というのはおもしろい(もちろんまったく人気がないものはダメだろうけど)。




 古本屋は大好きな商売だけど、好きだからこそ古本屋ごときに必死になりたくないという気持ちがぼくにはある。せめて古本屋ぐらいは儲けた損したなんて二の次でいたい。なぜなら、オンライン古本屋になることは、ぼくがようやく見つけた余計なことはみんな忘れて熱中できる仕事』なのだ。大切にしないとバチがあたると、甘いのは承知でそう思う。

 この気持ちはよくわかる。

 ぼくはこうして読書感想文を書いている。ほんのわずかながら広告料も入ってくる(といっても年間で本を一冊買えるぐらいなので大赤字だが)。

 いろんな本の感想文を書いているうちに、どんな本の感想を書けばページビュー数を稼げるかはわかってきた。出てまもない本、話題の本、コミック、タレント本。要するに「多くの人が読む本」だ。

 そういう本の感想を書けば、アクセス数は稼げるだろう。人気作家の本を発売日当日に読んで誰よりも早く感想をアップすれば、ひょっとすると広告費が増えて黒字化できるかもしれない。

 でも、それをやると「いやいややる仕事」になってしまう。ぼくは読書感想文を書くのが好きだからこそ、必死になりたくない。市場を読んだり仮説を立てたり成果を検証したり利益を増やすために努力したり、そんなのは仕事だけで十分だ。わざわざ読書感想文を嫌いになることはない。




 ほんとはぼくも、こんなふうに好きなことを仕事にして生きていきたい。たとえ月の収益が数万円でも。

 でもぼくにはそういう生き方はできない。「なんとかなるさ」ではなく「どうにもならなくなるかもしれない」と悲観的に考えてしまう人間なので。

 だから筆者が古本屋稼業を楽しんでいる姿を読むだけでも愉しい。

 でも「その後オンライン古本屋がどうなったか」を知っているものとしては、読んでいて胸が痛む。

 文庫版(2005年)のあとがきより。 

 一方、アマゾンでは自分で値段がつけられる。しかも、新刊書との値段の比較になるので、どこにでもありそうな本でも、よく売れるという。そのためか、仕入れに混じる不要本だけをアマゾンで売る古本屋はかなりいる。ブックオフに代わる本の処分法として、これはこれで悪くないと思う。
 じゃあなぜやらないかと言えば、価格競争で消耗したくないからだ。アマゾンでは各店の値段が一目瞭然だから、安いものから売れていく。使用するデータは共通で、他にライバルがいたら値段の勝負になるわけだ。
(中略)
 そんなことが繰り返されれば、やがてはオンラインの古本屋はアマゾンがあればいいってことにもなりかねない。売り上げを伸ばすための参入が、めぐりめぐって店の存続をおびやかすことになるかもしれないのだ。最後に笑うのは、参加費と手数料で儲けるアマゾンだけ? うーん、それじゃあ哀しい気がする。 「ぼくとしては個人も業者も入り乱れた土俵には上がらず、なるべくマイペースで店をやっていきたいと思っている。

 著者の懸念である「やがてはオンラインの古本屋はアマゾンがあればいいってことにもなりかねない」がまさに現実化したのが今の状況だ。寂しいことだ。アマゾンヘビーユーザーのぼくがいうのもなんだけど。

 オンライン古本屋だけでなく、あの頃はまだ「インターネットをうまく使えば無名の個人でもすごいことできる」という夢が十分現実的だった時代だったな。じっさいうまくやってた人もいたし。 

 でも誰もがPCやスマホを使うようになると、結局は大手資本と著名人が人の流れを寡占してしまうようになった。ああ、せちがらいぜ。


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