「あげるよ」
「えっ。なにこのお金」
「なにって……。一万円だけど」
「いやそういうことじゃなくて……。えっと、おれおまえに金貸してたっけ?」
「借りてないけど」
「だよね。じゃあなんで」
「なんでって……。あれ、もしかしてお金嫌い?」
「嫌いじゃないけど。大好きだけど。嫌いな人なんていないだろ」
「じゃあいいじゃん。もらっとけば。かさばるものでもないし」
「いやいやいや。もらえないよ」
「なんでよ。お金好きなんでしょ」
「お金は好きだけど、こんなよくわかんないお金もらえないよ。怖いよ」
「あーたしかに福沢諭吉ってちょっといかめしい顔してるもんな」
「そういうことじゃなくて。この状況が怖いって言ってんの。いきなりこんな大金渡されたって受け取れないよ」
「じゃあいくらなら受け取ってくれるの」
「いくらとかじゃなくて、百円でも嫌だよ。理由なく渡されたら。まあ十円ぐらいなら受け取るかもしれないけど」
「じゃあとりあえず十円渡しとくわ」
「いやいいって。なんでそんなにお金渡したがるかがわかんないんだけど」
「なんでそんなにお金を受け取ろうとしないのかがわかんないんだけど」
「え、この状況でおかしいのおれのほう!?」
「そりゃそうだよ」
「なんでよ」
「だってさ、おまえはお金が好きなんでしょ。よく金ほしーとか今月金欠だわーとか言ってるじゃない」
「言ってるけど」
「だからどうぞって言ってるの。それで受け取らないほうがおかしいでしょ。定食屋でうどんくださいって言って、うどん運ばれて来たらいりませんって言うようなもんじゃない」
「いやそのたとえは違うくない? おれはおまえから金ほしいって言ってるわけじゃないから」
「じゃあ誰からほしいのよ」
「誰ならいいとかじゃなくて」
「あ、わかった。おまえ、おれが金貸そうとしてるとおもってる? だから嫌がってるんだろ。大丈夫、これは貸すわけじゃなくてあげる金だから。ぜったいに返せとか言わないから」
「だからそれが怖いんだって。借りるほうがまだいいよ」
「なんでよ。もらうより借金のほうがいいなんておまえ変わってるな」
「変わってるのはおまえのほうだよ」
「なんで怖いの。あ、もしかしてこの金と引き換えになにか要求されるとおもってるんでしょ。後からとんでもないお願いされるかも、って」
「あーそうかも。だから怖いのかも」
「大丈夫だって。ほんとにただあげるだけ。恩を売るつもりもないし。こうしよう、おれがおまえに一万円あげて、そのことをお互いに忘れよう。それならいいでしょ」
「忘れられるわけないだろ。こんな異常な事態」
「なんで受け取ってくれないかなあ」
「なんでそんなにおれにお金くれようとするわけ。あ、もしかして宝くじ当たったとか万馬券当てたとか? 幸せのおすそ分け的な?」
「いやべつに」
「こんなこと聞いちゃわるいかもしれないけど……。もしかして宗教の教えとか? 喜捨しなさい、みたいな」
「おれがそういう不合理なこと嫌いなこと知ってるだろ」
「だよなあ。でも、理由もないのに友だちにお金あげるほうが不合理じゃない?」
「おいおい。おれは不合理なことは嫌いでも、人としての情はあるの。
たとえば、おまえが十個入りのチョコレートを食べてるとするよな。そこにおれが来たとする。おまえはどうする?」
「一個どう? って訊くよ」
「そう。それがふつうの人間の感覚なんだよ。だからおれが十万円持ってたら、おまえに一枚どうぞって言うのが人としての常識なんだよ」
「なるほどな……。ん? いやいや、やっぱりおかしいって。その例でいうならさ、チョコレートどうぞって勧めて、いりませんって言われてるのに無理やり押しつけようとしてるようなもんじゃん。それはやっぱりおかしいよ」
「まったく、ああ言えばこう言う……。それは本心からチョコレートをいらないとおもってる場合でしょ? そこで無理に勧めるのはたしかにおかしいよ。だけどさ、おまえの場合はお金好きなわけじゃん。そしてお金ダイエットをしているわけでもない」
「なんだよお金ダイエットって。お金減量中です、なんて人いないだろ」
「つまりおまえは遠慮してるわけだよ」
「まあ遠慮といえば遠慮かな……」
「だったら無理やりにでも押しつけてあげるのが優しさだろ。さ、受け取れよ」
「嫌だってば。おまえから一万円渡されたって受け取れないよ」
「じゃあ誰ならいいわけ?」
「誰であっても知り合いからもらうのは嫌だよ」
「じゃあ知らない人ならいいわけ?」
「もっと嫌だよ。知らない人からいきなり一万円渡されるとか、怖すぎるだろ」
「知ってる人からもらうのは嫌、知らない人も嫌。なのにお金ほしいってどういうことだよ?」
「うーん……。わかった、理由がないのが嫌なんだ。貸してた金を返してもらうとか、労働の対価とか、理由があれば受け取るよ、ぜんぜん」
「こないだおまえ『あー、どっかの金持ちがぽんと十億円ぐらいくれないかなー』って言ってたじゃん」
「あれは冗談。実際にはもらうべき理由がないのにお金渡されたら怖いよ」
「そんなもんかねえ。でもさ、こないだミナモトさんが四国に旅行行ってきたからってお土産のお菓子買ってきたとき、おまえももらってたじゃん」
「もらってたよ」
「なんでよ。もらうべき理由がないじゃん」
「あれはお土産じゃん」
「だからなんでよ。ミナモトさんが休みの日に四国に行ったこととおまえにどんな関係があるの? おまえがミナモトさんの旅費出したの? だったらわかるけど」
「いやそうじゃないけど。でもほら、お土産ってそういうもんだから。特に理由なくてももらうもんだから」
「じゃあおれもこないだATMに行ってきたから、そのお土産としておまえに一万円あげるよ」
「だからそれはおかしいじゃん」
「なんで? お土産なら理由なくてももらうんでしょ」
「だからそれは……。
ああ、もういいや。この件で議論するの疲れたわ。もらう、もらうよ。その一万円もらうよ」
「もらってくれるのか」
「ああ」
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「どういたしまして。で、おまえに折り入って頼みがあるんだけど……」
「やっぱり! やっぱりそうきた! でもちょっと安心した! ちゃんと理由のある金でよかったー!」
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