2022年3月8日火曜日

【映画感想】『のび太の宇宙小戦争 2021』

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『のび太の宇宙小戦争 2021』

内容(映画.comより)
国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画41作目。1985年に公開されたシリーズ6作目「映画ドラえもん のび太の宇宙大戦争(リトルスターウォーズ)」のリメイク。夏休みのある日、のび太が拾った小さなロケットの中から、手のひらサイズの宇宙人パピが現れる。パピは、宇宙の彼方の小さな星、ピリカ星の大統領で、反乱軍から逃れて地球にやってきたという。スモールライトで自分たちも小さくなり、パピと一緒に時間を過ごすのび太やドラえもんたち。しかし、パピを追って地球にやってきた宇宙戦艦が、パピを捕らえるためのび太たちにも攻撃を仕掛けてくる。責任を感じたパピは、ひとり反乱軍に立ち向かおうとするが……。

 劇場にて、八歳の娘といっしょに鑑賞。もともと2021年公開のはずが、コロナ禍で1年延びて今年公開となった。配信にしてくれたらいいのに、とおもうが、劇場の都合など考えるとそんな単純な話でもないのだろう。


 1985年版『のび太の宇宙小戦争』の映画は観ていないが、大長編コミックを持っていたのでストーリーはよくおぼえている。

『のび太の宇宙小戦争』はドラえもん映画の中でも好きな作品のひとつだ。特に、「ドラえもん映画にしては出木杉の出演シーンが多め」「ドラえもん映画では脇役にまわりがちなスネ夫としずかちゃんが活躍する」のがいい。

 だが、好きな映画だからこそリメイクをすると聞いたときは若干の心配もあった。


 ドラえもんの映画は、エンタテインメントに徹しているものもあれば、やたらと説教くさいものもある。環境保護だとか他の生物との共生とか。当然ながらおもしろいのは前者のほうだ。メッセージなんて観た人が好き勝手に受け取るものであって、製作者が押しつけるものではない。

 なので『宇宙小戦争』も、一時のドラ映画のように「センソウ、イケナイ。ヘイワ、ダイジ」的なメッセージ性の強いものに改悪されていたら嫌だなーとおもいながら劇場に足を運んだのだが、心配は杞憂だった。

 原作の魅力はそのまま残し、劇場版ならではの迫力は倍増。さらに登場人物の内面もより深く掘りさげられ、それでいながらスピード感があるので説教くささは感じさせない。とにかくわくわくさせてくれた。

 ウクライナで戦争が起こっている今だからおもうことはいろいろあるが、それについては書かないでおく。あくまでこれはドラえもんの映画。子どもを楽しませるための映画なのだ。現実の政治や戦争を語るために利用すべきではない。




『宇宙小戦争』がいいのは、ドラえもんが道具をちゃんと使えることだ。

 以前にも書いたが、ドラえもんの映画ではドラえもんの道具使用が制限されることが多い。ポケットがなくなったり、ドラえもんが精神異常になったり。
 そりゃあドラえもんの道具はほぼ万能だから封じたくなる気持ちはわかるが、この〝ハンデ戦〟をやられたら観ているほうとしたら興醒めだ。「はいはい、登場人物を窮地に陥れるために道具を使えなくしたのね」と、製作者の意図が透けてしまう。ピンチをつくるために無理やり道具を使えなくする。ご都合主義の反対、不都合主義とでも呼ぶべきか。ドラえもんの道具を封じたら、

 だが『宇宙小戦争』ではスモールライト以外の道具は問題なく使える。スモールライトを使えなくなる理由もストーリー的にまったく不自然でない。

 ちなみに昔『宇宙小戦争』を読んだときは「ビッグライトで戻ればいいじゃん」とおもったものだが、今作ではその解決法を封じるために「スモールライトで小さくなったものはスモールライトでないと戻れない」という設定をつけくわえている。

 ドラえもんがスモールライト以外のすべての道具を使えるのに、それでも敵わない。だからこそ敵の強さが伝わってきて、観ている側はどきどきする。『魔界大冒険』もそうだった。安易に道具の使用を制限しないでほしい。




 出木杉の活躍

 旧作『宇宙小戦争』の序盤は、出木杉が大いに活躍した。スネ夫たちが特撮映画を撮影するにあたって、のび太の代わりに出木杉を仲間に入れる。すると出木杉は次々にすばらしいアイディアを出し、映画のクオリティはどんどん上がる……。

 ところがリメイク版でははじめから出木杉が仲間に入っている。そこにドラえもんが道具を貸すことで、さらにクオリティが上がる……というストーリーだ。これは残念だった。出木杉がドラえもんの引き立て役になってしまっている。

 旧作のスネ夫の技術に出木杉の知恵が加わることですばらしい映画ができあがっていくシーンはほんとにわくわくしたのに。ドラえもんが道具を貸したらいいものができあがるのはあたりまえじゃん。足りない分を知恵で解決するところが特撮映画の魅力なのに。なんでもかんでもドラえもんの道具を使えばいいってもんじゃないぞ。

 また、「出木杉が塾の合宿に行った」という設定がつけくわえられ、途中で完全に出木杉は姿を消す(ラストシーンでだけ再び顔を出す)。これも、出木杉ファンのぼくとしては残念でならない。
 でもこれはよく考えたら出木杉に対する優しさだな。なんせ旧作では「途中まで仲間だった出木杉が何の説明もなくのけものにされる」んだもの。それに比べれば「塾の合宿があるから誘えない」という今作はずっと優しい。


 スネ夫の活躍

 やはり『宇宙小戦争』はスネ夫の活躍抜きには語れない。というより、本作の主役はスネ夫だといっていいだろう。リメイク版ではスネ夫の出番が減るどころか、より多くスネ夫にスポットライトが当たっていた。

「ジャイアンは映画では性格が変わる」とはよく言われるが、いちばん変わるのはのび太だ。特に最近の映画でののび太は、勇敢で意志が強くて行動的なスーパーヒーロー。原作ののび太は「何をやらせてもダメ」だからこそ多くの子どもに愛されるのに、映画版のび太は大谷翔平のような超人だ。まったく共感できない。

 のび太も、ジャイアンも、しずかちゃんも、とにかくまっすぐだ。一度自分のやるべきことを決めたら一切の迷いもなく突っ走る。
 そこへいくと人間・スネ夫は迷い、悩み、反省し、考える。自分の正しさをも疑うことができるのがスネ夫だ。『のび太の月面探査記』でも、唯一臆病さを見せていたのがスネ夫だった。

 ぼくが信用できるのはスネ夫のような人間だ。なぜなら多くの人間と同じだからだ。もちろんぼくもそうだ。

 行動に一切のためらいのない人間は信用できない。全力疾走する人間はたまたまいい方向に走ればすばらしい結果を生むこともあるが、まちがった方に向かえばとんでもない悲劇を生む。正しさなんて誰にもわからない。みんな自分が正しいとおもっているのだから。ヒトラーだってポル・ポトだって毛沢東だってプーチンだって、みんな自分は正しいとおもって一生懸命がんばってたんだぜ。

 戦争を始めるのが映画版のび太のような人間で、戦争を防ぐのがスネ夫のような人間なのかもしれない。

 だって、パピが言っていることが真実だとどうしてわかるの? もしかしたらあっちが多くの人を殺した大悪党なのかもしれないよ? 遠い星で起きた内戦で、どちらが正しいかなんて地球にいるのび太に判断できるわけがないよね。
 それなのに、一方の言い分だけを鵜呑みにして加勢するなんて怖すぎる……。


 いや、これ以上はやめておこう。ぼくはなにものび太たちの行動にケチをつけたいわけではない。子ども向けエンタテインメント映画なのだから、わかりやすい正義VSわかりやすい悪でいい。悪役はとことん悪くていい。生まれながらの悪で、四六時中悪いことを考え、いいことはひとつもせず、悪いことをするためだけに悪事をはたらく。そんなやつでいい。悪党にとっての信念だの道を踏み誤った背景だのはいらない。
 じっさい、『宇宙小戦争』の敵であるギルモア将軍はそんなやつだった。だからおもしろかった。

 ただ、自分がスーパーヒーローになれないとわかったおっさんとしては、どうしてもスネ夫に肩入れしてしまうんだよね。ほんとはよその星の戦争なんかに参加したくないのに周囲に流されてついていってしまうスネ夫、ついていったはいいもののやはり怖くなってしまうスネ夫、戦う決心をしたもののいざ敵を目の前にすると足がすくんでしまうスネ夫、身の危険がないとわかると調子づいて戦うスネ夫……。なんて人間くさいんだ。

 今作は、スネ夫の人間的魅力が存分に発揮された作品だった。


 ドラコルル

 大ボスであるギルモア将軍は卑怯で、心が狭く、猜疑心の塊で、思考が単純で、そのくせ自信家で、どうしようもない敵だった。

 その点、ギルモア将軍の部下であるドラコルル長官はじつに魅力的な悪役だった。大長編ドラえもん史上「最弱にして最強」とも呼ばれているらしい。地球人ならかんたんに踏みつぶせるほどの小さな身体でありながら、その知恵と計略でスモールライト以外の道具を使えるドラえもんたちを追い詰める。決して敵を侮ることはなく、常にあらゆる可能性を想定し、どんなときでも落ち着いて思考し、行動する。

 彼は敵だけでなく、上司であるギルモア将軍を疑うことも忘れない。おそらく自分自身をも完全には信じていない。またドラえもんたちに追い詰められた後は「我々は敗れたのだ」と潔く負けを認め、ギルモア将軍のように保身のために逃走したりもしない。かっこいい男だ。もし彼がパピよりも先に地球にやってきてのび太と出会っていたら……。ピリカ星はまた違った運命を迎えていたかもしれない。


 前作とリメイク版との違い

 前作を最後に読んだのは二十年以上前だから記憶を頼りに書くが……。


・出木杉の活躍シーンの減少

 これは前に書いたとおり。残念。


・ウサギがぬいぐるみが横切るシーンの削除

 パピの初登場、スネ夫と出木杉が推理をくりひろげるシーンがまるっと削除。これにより、出木杉の活躍シーンがさらに減ってしまった。


・パピの姉・ピイナの存在

 原作には存在しなかったキャラクター・ピイナ。これはゲスト声優を出演させるための大人の事情ってやつなんだろうな。原作ではしずかちゃん以外に女の子が登場しないから。

 はっきりってピイナはいてもいなくてもほとんどストーリーには関係ないポジション。パピ大統領の子どもっぽい一面がかいまみれる、ぐらいのはたらきしかない。「ピイナとしずかちゃんの顔が似ている」設定も、だからなんだって感じだし。

 大人の事情はわかるとしても、無理やり新キャラをねじこむぐらいなら出木杉の活躍シーンを残しておいてほしかったぜ。


・その他細かいシーン

 果敢に戦うしずかちゃんを、それまで隠れていたスネ夫が助けるシーン。たしか原作でのスネ夫の台詞は「女の子を危険な目に遭わせるわけにはいかないよ」だったと記憶しているが、今作では「君ひとりを危険な目に遭わせるわけにはいかないよ」になっていた。これは当然、時代に即した修正。

 ラスト近く、逃げるクジラ型戦闘機にジャイアンが馬乗りになるシーン。原作ではジャイアンが服を脱いで戦闘機にかぶせて目隠しをしていたのだが、なぜか今作では服を脱がなかった。特に問題があるシーンとはおもえないが……。
 やっぱあれかね。男の子であっても小学生児童の乳首が見えるのはまずい、という配慮なのかね。そのわりにしずかちゃんの入浴シーンはしっかり残っていたが……。



 
 前作の良さを存分に残しているので、前作ファンにも楽しめる。もちろん前作を知らない人はもっとおもしろいにちがいない。娘も大満足だった。

 ただ一箇所だけ、ぼくは気になったところがある。

 すごく細かい揚げ足取りで申し訳ないけど、ドラえもんたちが戦車に乗っているシーン。ずっと画面隅に戦車のバッテリー残量らしきものが写っているのだがそれがどのシーンでもずっと残量90%だった。

 どうでもいいのだが、どうでもいいところだからこそずっと気になってしまった。


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