人を褒めるのが苦手だ。
本当にすごいとおもっていても、
「なんかおべんちゃら使ってるようでかっこわるいよな」
「『すごいですねー』って、上から褒めてるように受け取られるんじゃないかな」
「嘘くさいとおもわれそう」
とあれこれ考えてしまって、なかなか褒められない。
本当におもっていても褒められないのだから、いわんや「おもってもいないのに社交辞令で褒める」なんてとうてい無理だ。
その一方で、自分が褒められるとうれしいものだ。たとえお世辞が半分、いや百パーセントだとしても、「すごいですね」「頭いいですね」「おもしろいこと言いますね」と言われるとやっぱり悪い気はしない。
だったら他人のことも褒めてやりゃあいいのに、と我が事ながらおもう。社交辞令だって、嘘くさくったって、褒められて悪い気はしないものなのだから。
とはいえ、子ども相手なら素直に褒められる。
たとえば三歳の娘がぬりえを見せてくれたとき。
「はみだしまくりだし、色づかいもむちゃくちゃだし、色調も汚いし、ひどいもんだな」と心の中ではおもうけど、それでも「うわーすごい! 上手だねー!」と褒めてあげる。照れも恥じらいもなく、全力で褒められる(さすがによその人がいる前ではやらないけど)。
なぜ子ども相手なら全力で褒められるのか。
それは、最初に挙げた「褒めるのをためらってしまう理由」を、子ども相手なら気にしなくていいからだ。
おべんちゃら使ってるようでかっこ悪い
→ おべんちゃらではなく褒めて自信をつけさせる教育である。
上から褒めてるように受け取られるんじゃないかな
→ そりゃそうだろ。三歳児相手に上から褒めて何がおかしい。
嘘くさいとおもわれそう
→ 三歳児はそこまで見抜けない。
てらいもなく褒められる。
ということで、子どもをしきりに褒めていたら、大人相手にもちょっとは褒められるようになってきた。「すごいですね」「すばらしい」などと。何事も慣れだ。褒めるのが苦手な人は、子どもを育てたりペットを飼ったりするといいかもしれない。
そういやアメリカ人はとにかく人を褒めるイメージがある。すぐにぐれーととかわんだほーとかまーべらすとか言う印象だ。あくまでイメージだけど。
もしかして彼らは、周囲の人間をみんなガキんちょだとおもっているのかもしれない。
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