小学校のとき、同じクラスにAという女の子がいた。Aは四年生ぐらいで転入してきて、卒業と同時ぐらいに転校していった。目を惹くような外見でもなく、話しかけたら返事をするぐらいの活発さで、これといって印象に残るような子ではなかった。Aは眼鏡をかけていたのでぼくは「おとなしい子」という印象を持っていた。小学生にとっては「眼鏡をかけている女子=おとなしい」なのだ。ばかだなあ。
それはそうと、Aが転校していってから一年ぐらいたったときのこと。
中学生になっていたぼくは、Aと仲の良かったIという女の子としゃべっていた。どういう流れだったかは忘れたけど、Aの話になった。
Iが言った。
「知ってる? Aって万引き常習者だったんやで」
ぼくは驚いた。えっ。だってAだよ。眼鏡かけてたんだよ(まだ「眼鏡=まじめ」とおもってる)。
「あの子、毎日のように万引きしててんで。Aの弟も万引きしてたし。親から万引きしてこいって言われて」
「まさか」
まさかAが、と言えるほどAのことを知っていたわけではない。
ぼくがその話を信じられなかったのは、Aが、というよりそもそも「そんな親がいるわけがない」とおもったからだ。
人の親が、我が子に向かって「万引きしてきなさい」と命じるはずがない。
中学生のぼくは本気でそうおもっていた。
まだピュアだったのだ。
親は子に正しい道を教えるもの、そして眼鏡をかけている女の子はまじめ。当時のぼくはまだ純粋に信じていたのだった。
だけど今は知っている。
我が子に万引きを命じる親がいるということを。そして、眼鏡をかけている子がおとなしい子ばかりではないことを。
0 件のコメント:
コメントを投稿