ねじとねじ回し
この千年で最高の発明をめぐる物語
ヴィトルト・リプチンスキ(著) 春日井 晶子(訳)
「この千年で最高の発明は何か」について考えていた著者は、身近な道具の歴史についての調査を進め、最高の発明は「ねじとねじ回し」ではないかとおもいいたる。
そして様々な文献を読みあさり、ねじとねじ回しの誕生、そして進化、それらがもたらした影響について考察を進めてゆく……。
と、なんともマニアックな題材の本。
以前、アンドリュー・パーカー『眼の誕生 ―カンブリア紀大進化の謎を解く―』という生物に眼が誕生した経緯を追い求めるノンフィクションを読んだことがあるが、なんとなくその本を思いだした。
我々はあたりまえのように眼から情報のほとんどを獲得しているが、眼のような複雑な器官がどうやって誕生したのかを考えるとじつに不思議だ。さらに角膜や水晶体や脳の視覚をつかさどる部分などどれが欠けてもまともに機能しない。なぜ生物は「できかけの眼」を持つにいたったのか、それともそれらが同時発生的に誕生することなどあるのだろうか?
……眼の話になると長くなるので気になる人には『眼の誕生』を読んでもらうとして『ねじとねじ回し』の話に戻る。
たしかに、生まれたときからあたりまえのように身近にあったので今までねじやねじ回しについてじっくり考えたことがなかったが、言われてみればよくできた道具だ。
ねじ穴にねじをつっこみ、ねじ回しでくるくる回す。それだけなのにものとものががっちり固定される。多少はゆるむこともあるが、おもいっきり締めればたいてい十年はもつ。それでいて、反対側にまわせばゆるんではずせるのがすごい。
精密機械にも使われているし、大きな橋を見るとあちこちにボルトがつけられていたりもする。あんな巨大なものでもねじで支えられているのだ。見たことはないけど、きっとロケットや宇宙ステーションにだってねじは使われてるんじゃないだろうか。
おまけにねじのすごいのは、もうほとんど完成しているところだ。数十年前からねじの形状はまるで変わっていない。そりゃ細かい修正はあるのだろうが、形状は百年前となんら変わらない。
そういや『ドラえもん』に、ドラえもんのねじが一本はずれて調子が悪くなるというエピソードがあった。22世紀のロボットにもねじが使われているのだ。
電動ドライバーなるものもあるが、あれも人の手がやる部分を電気の力でやっているだけで、ねじとねじ回し部分はなんら変わっていない。
よく考えたら、すごいぞねじ。「この千年で最高の発明」という称号も決しておおげさではないかもしれない。
本筋とはずれるが、すごいのはねじだけではない。
この本には、他のすごい発明品も挙げられている。そのひとつが、洋服のボタンだ。
単純な仕組みでありながら、そして技術的にはさほど難しくないにもかかわらず、人類が何千年もおもいつかなかったボタン。
穴に、糸のついたものを通してひっかける。たったこれだけのことで、服が脱げたりずれたりするのを防いでくれるし、それでいて脱ぎたいときにはすんなり脱げる。言われてみればすごい発明品だ。
誰かがボタンを発明したとき、きっと周囲の人たちは「どうしてこんなかんたんなことを思いつかなかったんだ!」と悔しい思いをしただろうなあ。
正直言って、「ねじとねじ回しの発明」という本題はあまりおもしろくなかった。
最大の理由は、図解が少ないこと。ねじがどんなふうに進化してきたかを一生懸命説明してくれているのだが、こんなのはどれだけ筆を尽くしても伝わらない。がんばって説明しようとしているのはわかるが、ぜんぜんわからない。一枚の図解があれば伝わるのに……。
結局、どんなふうに誕生したのかはよくわからなかった。最後の最後でアルキメデスの名前が出てきたときは「おお、こんなところにまで登場するとはさすがはアルキメデス! 」と興奮したけど。
まあぼくがねじに興味がないからおもしろくなかっただけで、ねじ大好き! 四六時中ねじのことばかり考えています! というねじファンが読めば楽しいんじゃないでしょうかね。
今すでにある発明品について、なんとなく「遅かれ早かれ誰かが発見した」とおもってしまう。
ところが筆者によると、必ずしもそうではないらしい。
発明品には、世界各地で別々に発明されているものがある。たとえば文字は、あらゆる場所でそれぞれ無関係に発明された。だからルーツの異なる文字が何種類もある。
だが、たったひとりの発明家によって発明されて、それが世界中に伝わったものもある。たとえば、さっき書いたボタン。もし十三世紀にボタンが発明されていなかったら……ひょっとすると二十一世紀の今でもボタンが存在していないかもしれない。いまだに紐でぐるぐる縛っていた可能性もある。
一部の発明品は「遅かれ早かれ誰かが発明していたさ」とは言えないのだ。
ということは。
いまだに我々は、ボタンのようで「ごくごく単純な仕組みでありながら超便利な発明」をおもいついていない可能性がある。
二十六世紀の人々から「二十一世紀の人たちってヌローズでエネルギーを作る方法すらおもいつかずに石油や原子力で一生懸命発電してたらしいよ。ばかだねー」なんて言われているかもしれない。
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