2020年12月23日水曜日

【映画鑑賞】『万引き家族』

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『万引き家族』

(2018)

内容(Amazonより)
高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母の初枝の年金だ。それで足りないものは、万引きでまかなっていた。社会という海の、底を這うように暮らす家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、口は悪いが仲よく暮らしていた。そんな冬のある日、治と祥太は、近隣の団地の廊下で震えていた幼いゆりを見かねて家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。

 カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した作品……っていってもパルムドールが何なのか知らないけど。なんかおいしそうな響き。

 評判にたがわぬいい作品だった。
 あっ、ぼくのいう〝いい作品〟ってのはいろいろ考えさせられる作品ってことね。感動するとかスカッとするとか老若男女誰でも楽しめるとかドラ泣きとかそういうのを求めている人の入口はこっちじゃありません。あしからず。

 しかし、リリー・フランキーの芝居はいいね。
『そして父になる』『凶悪』『万引き家族』と観たけど、どれもすごく印象に残る。


(ネタバレ含みます)


 ほんでまあ、作品名そのまんまなんだけど、万引きをやっている家族の話。っていっても万引きで生計を立てているわけじゃなくて、一応おとうさんは日雇いの仕事してるし、おかあさんはクリーニング屋で働いてるし、おかあさんの妹は女子高生リフレみたいな準風俗店みたいなとこで働いてるし、おばあちゃんも年金もらってるみたいだし、ってことでみんなそれぞれ働いてるわけ。
 でもおかあさんはクリーニング屋でポケットの中の金目のものをくすねちゃうし、おばあちゃんがもらってるのもどうやら年金じゃないみたいだし、おとうさんと男の子はタッグを組んで万引きをするし、家出してきたちっちゃい女の子をかくまっちゃうし、みんなそれぞれあかんことをやってるわけ。

 で、観ているうちにどうやらほんとの家族じゃないってことがわかってくる。どうもそれぞれおばあちゃんの家に転がりこんできてるみたい。年金や土地家をあてにして。
 とはいえおばあちゃんも騙されているわけではなく、そこそこ頭はしっかりしているようだし、騙されたふりをしているような感じで家に入れている。
 あんまり説明がないから想像するしかないんだけど。

 みんな悪いことをしながら、でもけっこう楽しくやっている。
「貧しいながらも楽しい我が家」って感じで、観ようによっちゃあ『三丁目の夕日』みたいな古き良き日本の暮らしをしているわけ。『三丁目の夕日』観たことないから完全にイメージで書いてるけど。


 この家族(血はつながっていないがまぎれもなく家族)は万引きに代表されるように数々の法律違反をしているわけだけど、観ていると「べつに悪いことはしていないんじゃないか」っていう気持ちになってくる。

 学校では「法律違反=悪いこと」って教わるし、だいたいの人はそうおもって生きているわけだけど、でもそこって完全にイコールではないんだよね。

「警察が取り締まってなければちょっとぐらい制限速度を超えてもいい」「ちょっとだけだから駐車禁止だけど停めてもいっか」「赤信号だけど急いでるし車も来てないから」「労働基準法なんかきちんと守ってたら会社がつぶれちゃうよ」みたいな感じで、ほとんどの人は法律違反をしている。

 こないだM.K.シャルマ『喪失の国、日本』という本を読んだ。インド人が見た日本の印象について書かれているんだけど、シャルマ氏は
「インド人は観光客には高い金をふっかけるし、土地に不慣れな人がタクシーに乗ってきたら遠回りして高い料金を請求する。日本人は『インド人は悪い』と怒るけど、インド人からしたら交渉や自分でチェックをしない日本人のほうが悪いとおもう」
というようなことを書いていた。
 インド人と日本人のどっち悪いということではなく、単なる文化の違いなんだとおもう。所変われば品変わるというように、それぞれの土地には土地のしきたりや慣習がある。そしてそれはときに成文法よりも強力にはたらく。
「ちょっとでも隙間があいていれば行列に割りこんでもいい」「一秒でも置きっぱなしにしているものは持っていってもいい」という文化は、世界中あちこちにある。
 海外のあまり治安の良くない地域で「財布の入ったカバンを置いてちょっと目を離しただけなのに盗られた!」と怒っても、それは「置いとくほうが悪い」という話だろう。

 万引き家族がやっていることも「そういう文化」だ。

 彼らは「お店に置いてあるものはまだ誰のものでもない」「店がつぶれなきゃいいんじゃないの」「家で勉強できないやつが学校に行く」と、独特のルールを設けている。日本の法律からは外れているが、一応彼らには彼らの論理があるのだ。
 だからどこでもかまわず万引きをするわけではないし、近所の人や同僚ともうまくやっていけるし、困っている人に手を差し伸べたりする。

 悪というより「日本の法律とは別の枠組みで生きている人たち」なのだ。
 万引き家族のような人たちはあまり可視化されていないだけで、日本の中にもけっこういるとぼくはおもう。ブラック企業経営者だって同類だし。




 児童虐待やネグレクトの本をたくさん読んで、
「子育ては親がするもの」という考えはおかしいとおもうようになった。

 いや、子育てしたい親はすればいい。ぼくも自分の子は自分で育てたい。
 でも、育てたくない親や、育てられない親や、育てちゃいけない親はたくさんいる。親が十人いたら、そのうち三人ぐらいは「親に向いていない人」なんじゃないかとおもっている。

 だが「親に向いていない人」から子どもを引き離すことは、今の日本では非常に難しい。どんなに実子をネグレクト・虐待をする親でも、殺しさえしなければほとんど罪に問われない。
 なにしろ、NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班 『ルポ 消えた子どもたち』によると、18歳になるまで家の中に子どもを監禁して学校に一度も通わせてもらえなかった親に下された判決がなんと「罰金10万円」だ。人間ひとりの人生を台無しにしても罰金10万円で済むのだ。司法が「親は10万円払えば子どもの人生をむちゃくちゃにしてもいい」と認めているに等しい。

「ぜったい親に育てられないほうがあの子は幸せだよね」と隣人や学校や児童相談所がおもったとしても、親が手放そうとしなければ、親から子どもを引き離すことはできないのだ。どう考えても制度の方がおかしい。


『万引き家族』で描かれる血縁以外でつながった家族は、子育てに向いてない親の下で育った子どもにとっては理想に近いんじゃないだろうか(もちろん万引きはダメだけど)。

 血縁ってそんなにいいもんじゃないとおもうんだよね。『おとうさんおかあさんは大切に』『親の子への愛情は海より深い』とか、うそっぱちですよ。中にはそういう親もいるってだけで。

「新卒で入った会社で定年まで働けるのがサラリーマンにとって何よりの幸せ」っておもう人がいるのは認める。会社にとっても労働者にとっても理想かもしれない。
 でも「だから新卒で入った会社がどんなにブラックでも辞めちゃだめ」ってのはまちがってる。
 それと同じように「実の親に育てられて大人になるのがいちばんいい」ってのも間違いなんだよね。現状が悪ければ、転職するように育つ家庭を変えたっていい。


「子育てに向いていない親」が悪いと言ってるわけじゃないんだよ。
 よく「子育てできないのに産むな」っていうけど、そんなの無理な話だよ。ぼくだって子どもをつくるときは一応ある程度の覚悟はしていたけど「五つ子が生まれてくる想定」とか「難病で年間数百万円の医療費がかかる子が生まれてくる想定」とか「出産直後に大地震に遭って家も財産も失う想定」まではしてませんよ。ほとんどの親がそうでしょう。そんなこと考えてたら誰も子どもなんか産めない。

 どんな子が生まれてくるかは産んで育ててみなきゃわからないし、自分の健康状態だって夫婦仲だって仕事だってどうなるかわからないわけじゃん。

 だから、産んでみて、育ててみて「あっやっぱ無理そうだわ」っておもったらかんたんに手放せる(または「手放させる」)仕組みがあったらいいとおもうんだけどね。誰にも責められることなく。
「うちら付き合ちゃう?」みたいなノリで付き合って「なんかおもってたのとちがうわ」で別れる。そんな感じで親や子を手放せてもいいとおもう。

 中世以前の日本は、わりと手軽に養子をとっていたという。次男坊や三男坊は家督を相続できないから子どものいない家の養子になる、みたいな感じで。
 むずかしい手続きを経なくても、お互いの利害が一致すればふらっと移籍できてもいいんじゃないかな。

 血のつながった家族でもなく、児童養護施設でもない、もっとゆるやかにつながれる枠組みがあってもいいのにな、と『万引き家族』を観ておもった。


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