『誰もが嘘をついている
~ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性~』
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ (著)
酒井 泰介 (訳)
Googleのデータサイエンティストが、検索データやその他さまざまなビッグデータから人の行動を解き明かしていく。
社会学や心理学といえば、これまではフロイトのように「ほんまかいな。わからんと思ってテキトーに言ってるやろ」的な言説が幅を利かせていた分野だが、数多くのデータが手に入るようになったことで統計的な裏付けのある事実が次々に明らかになるようになった。
この本の中でも書かれているように、ビッグデータを扱えるようになったことで社会学は検証可能な「本当の科学」になるのだ。
意外な事実が数多く紹介されていて、すごくおもしろい。
ただサブタイトルがどうも安っぽいのだけがマイナス点。
『ヤバい経済学』もそうだけど、この手の翻訳書ってどうしてこういうダサいタイトルをつけちゃうのかなあ。
2016年の大統領選挙で、大方の評論家の予想を裏切ってドナルド・トランプがアメリカ大統領選挙に勝利した。
多くの人の予想がはずれたわけだが、Googleの検索結果にはトランプ勝利の兆候は表れていたという。
この傾向は2012年だけの話ではない。
「あなたは有色人種に対して差別意識を持っていますか?」という質問をすれば、ほとんどの人はノーという。
ところが、「人種差別意識を持っていない」と答えた人が、ひとりでパソコンモニターやスマートフォンを前にするときは「Nigger」といった人種差別的な言葉を打ちこむのだ。
トランプ氏が下馬評を覆して勝利したのは、表にはあらわれないが根深く残る人種差別意識も一員だったとGoogleの検索データは教えてくれる。
人はかんたんに嘘をつく。他人に対して見栄を張るのはもちろん、匿名アンケートや無記名投票でも嘘をつく。
ぼくはマーケティングの仕事をしているが、「マーケティングリサーチなんて嘘っぱち」ということはよく知られている。
「〇〇という商品があったら買いますか?」とアンケートをとったら多くの人が「買う」と答えるが、いざ発売してみたらぜんぜん売れない。こういうことがよくある。
アンケートに答えた人だって嘘をついたつもりはない。「あーいいねー」と思って「買う」と答えるわけだ。
でもじっさいに自分の財布からお金を出す場面になると「やっぱりいいか」となる。
自動車会社の創業者であるヘンリー・フォードの言葉(とされる言葉)に
「もし顧客に彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう」
というものがある。
消費者は、自分がほしいものをよくわかっていないのだ。
リサーチと実際の商売がぜんぜん異なる結果になることなんてごくあたりまえのことだ。
過去の社会学では、アンケートが大きなウェイトが占めていた。
「人々は〇〇と答えた。だから〇〇だ」
そんな血液型占いレベルの信憑性しかなかった調査に、ビッグデータが風穴を開けてくれる。
そうそう、わかる。
ぼくのAmazonお気に入りリストにも、小難しい本が並んでいる。「これは今読む気がしないけどいつか読んどいたほうがいい」とウィッシュリストに放りこむ。
でもいざ本を買うときになると「もうちょっと手軽に読めるやつのほうがいいな」「これは時間があってゆっくり読めるときに」と、べつの本を買うことになる。
かくしてぼくのウィッシュリストにある『キリスト教史』『サピエンス全史』 『進化の運命 -孤独な宇宙の必然としての人間-』はずっと買われぬままリストの下のほうに居座りつづける。
「人の言葉を信じるな、行動を信じろ」ってのはいい言葉だね。
ぼくもマーケターの端くれとして、さまざまなデータを活用している。
広告運用をしているのだが、よくクライアントから「こんな広告文がええんちゃうか?」といった提案を受ける。
キャッチコピーは誰でもすぐに作ることができるので(作るだけならね)、素人でも口をはさみやすいのだ。
ぼくは云う。「そうですか、では試してみましょう」
Webのいいところは、かんたんに複数パターンをテストできるところだ。
「見た目の美しさ、信頼性、そして機能性をあわせもつ高級腕時計」と「超クールでイカした高級腕時計。99,800円」のどちらがいいか、頭をひねって考える必要はない。アンケートをとる必要もない。
両方均等に配信すれば、どちらがクリックされたか、どちらが購入につながったのかがすぐにわかるのだ。
素人が五秒で思いついたコピーがいちばん良い成果を出すこともめずらしくない。
少し前なら広告代理店のコピーライターという人種にコピーを作ってもらう必要があった。作ってもらったコピーをありがたく拝受して、それがどれだけ売上につながっているのかもわからぬまま漫然と垂れ流すしかなかった。
そんな不確かなものに高いお金を払っていたのだから、今の時代から見るとなんてばかばかしいお金の使い方をしていたんだろうと呆れるばかりだ。
題材はGoogleの検索データだけではない。
題材はGoogleの検索データだけではない。
ポルノサイトの意外な検索データ、「大成する競走馬を見つけるにはどうしたらいいか」や「好きなプロ野球チームは生まれた年によって決まる」など、話題は多岐にわたっている。どれもおもしろい。
データ解析の強みだけでなく、「ビッグデータではまだまだ予測できないこと」も書いているのが誠実でいい。
個人的に強い将来性を感じたのは医療の分野。
これはすごい。
1万人に1人というようなめずらしい病気であれば、ベテランの医師でも過去に1人診察したかどうか。人間の目だとどうしたって見落としが起こる。
しかし1万人に1人でも、世界中の子どもの成長履歴をデータベース化すればまとまった量になる。予測精度は人間よりもずっと高くなるだろう。
こういう研究が進めば、医師の仕事はずっと少なくなるだろう。少なくとも診察は機械任せにできそうだ。
発見の制度は上がる、医師の負担は軽減される、やればやるほどデータは溜まって正確になる。いいことだらけだ。
AIが人々の仕事を奪うと言われているが、医師の仕事がなくなって看護師の仕事だけが残る、みたいなことになるかもしれないね。
ビッグデータからさまざまなことがわかるようになって、これから仕事や学習の方法はどんどん変わるだろう。
今までは「なんとなくよさそうだから」「ずっとこうやってきたから」「経験者がおすすめするから」「専門家がこういうから」という理由でやってきたことが、「それじつは意味ないよ」「もっといい方法があるよ」となってしまうのだ。それも、統計的にきちんと裏付けられた形で。
それってすごくいいことだよね。従来のやりかたでやってきた年寄りは困るだろうけど。
ただ気がかりなのは、こうしたデータを誰が持つのかってこと。
人類に広く共有されるのか、それとも数少ない大企業が独占して利益のために使うのか……。
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