2018年9月27日木曜日
自分のちょっと下には厳しい
あくまで観測範囲の話でしかないけど……。
生活保護叩きなど貧困層に厳しい人は、貧困層のちょっと上~中流ぐらいの人に多くて、
大金持ちはむしろ最低賃金のアップやベーシックインカム導入など「貧困層に手厚い支援」を提唱している人が多い。
貧しい人が増えれば消費は鈍るし治安も悪化するし良いことなんてないのに、それでも貧困叩きをする人がいなくならないのは
「自分より下の階層がいてほしい」
という願望によるものだ。
ぼくが本屋で働いているとき、1日12時間労働、年間休日80日、年収200万円台というワーキングプアだった。
そんなとき、某有名芸人の家族が生活保護を不正受給しているというニュースを見て「なんてひどいやつだ! 許せん!」と思っていた。
でも、転職してもうちょっとだけマシな生活をできるようになった今、生活保護をもらっている人に対して寛容になった。
「まあそこそこの生活をできるようになるのはいいことじゃないかな」と思う。
不正受給は良くないけど、そっちを防ぐことよりも支援すべき人に支援の手を届けることのほうが優先事項だろう。多少の不正受給が紛れこむのはまあ仕方ないだろう、と。
月収16万円の人は、生活保護受給者が月15万円をもらっていたら許せないだろう。
でも月収50万円の人はいちいち目くじらを立てない。「まあ15万円ぐらいなら」と思うだろう。
月収1000万円の人なら「みんなに一律15万円配ってもいいんじゃない?」と思うかもしれない(稼いだことないから想像だけど)。
でも「月収800万円以下の人に200万円あげます」だったらやっぱり憤るだろう。
みんな、自分のちょっと下には厳しいのだ。
ぼくは勉強ができた。
中程度の公立高校で、校内トップクラスの成績だった。
これはすごく自信になった。
もし進学校に通っていたら学校内では下位だったかもしれない。そしたら勉強を嫌いになっていたかもしれない。
「鯛の尻尾より鰯の頭」とか「鶏口となるも牛後となるなかれ」なんてことわざがあるが、集団の中で上位にいることはすごく満足感を与えてくれる。
ぼくの旧友に経営者をやっていてそこそこ稼いでいる男がいるが、傍から見ていると「余裕がないなあ」と感じる。
休みなく働いていて、ひっきりなしに電話をかけていて、もっといいビジネスはないかと常にギラギラしている。
人よりずっと稼いでいるのに、まだまだ足りないという顔。
より稼いでいる経営者との付き合いが多いからじゃないかな。
幸せに暮らすコツは、近くを見ないことじゃないかな。
プロサッカー選手が〇〇億円の年俸をもらっているとか大企業の創業者が〇〇億円の資産を持っているとか聞いても、「ふーん、すごいね」と思うだけでべつに悔しくない。自分とあまりにかけ離れた世界の話だからだ。
でも会社の同僚が自分より多くの給料をもらっていたら悔しい。「なんであいつだけ」と思う。「なんでイニエスタだけ」とは思わないのに。
サウジアラビアの王族が贅の限りをつくしたとか中国の昔の皇帝がハーレムを築いていたとか聞いても「すごいなあ」と思うだけで悔しくはない。
でも隣の男が自分よりちょっとモテていたら悔しい。
すぐそばを見ない。遠くだけを見る。
灯台下暗いほうが幸せでいられそうだ。
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