2018年9月28日金曜日

【読書感想文】矢作 俊彦『あ・じゃ・ぱん!』

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『あ・じゃ・ぱん!』

矢作 俊彦

内容(e-honより)
昭和天皇崩御の式典が行われている京都の街中で、偶然、テレビカメラに映し出された一人の伝説の老人。「この男からインタヴューを取ってもらいたい」と上司から指示された人物は、新潟の山奥で四十年もゲリラ活動を展開してきた独立農民党党首・田中角栄その人だった。しかし、私の眼は、老人の側に寄り添う美しい女にくぎ付けになっていた。その女こそ…。来日したCNN特派記者が体験する壮烈奇怪な「昭和」の残照。

戦後日本がドイツや朝鮮のようにソ連とアメリカによって東西に分割されていたら……という設定の小説。
西側は「大日本国」として超経済大国になり、東側は「日本人民民主主義共和国」という名の社会主義国家になっているという設定(ちなみに東側の軍隊の名前が「社会主義自衛隊」で、西側からは「日本赤軍」と呼ばれているというのが秀逸)。
じっさい、ポツダム宣言の受諾がもう少し遅れていたらソ連が本土上陸して東西に分けられていた可能性は十分にあった。

村上龍『五分後の世界』も同様の設定の小説だ。
ただし『五分後の世界』はまだ戦争が終わっておらず、日本人同士が殺しあっているシリアスな物語だが、『あ・じゃ・ぱん!』のほうでは争いはほぼ終結しており、東西を隔てる壁(名前は「千里の長城」)によって分割されているものの人々の行き来もそこそこある。
パロディや諷刺などがちりばめられ、物語の展開はおおむね平和的。
読んだ印象としては、東北の寒村が突然日本から独立宣言をするという井上ひさし『吉里吉里人』に近かった。『吉里吉里人』を読んだのはもう二十年以上も前なので細かくはおぼえてないけど。

ひたすら長い小説、という点でも『あ・じゃ・ぱん!』と『吉里吉里人』は似ている。長い割にストーリーがたいして進まないところも。



設定はすごく好きだったんだけど小説としてはひたすら苦痛だった。つまんないとかいう以前に頭に入ってこない……。
行動の目的もないし、次から次へと人物が出てきてはたいした印象を残さないまま消えてゆくし、まるでとりとめのない日記を読んでいるかのよう。

ぼくは本をよく読んでいるほうだと思うが、それでもこの小説はちっとも頭に入ってこなくて読むのがつらかった。よほどのことがないかぎりは最後まで読むことを自分に課しているから、早く終われ、と念じながら読んでいた。

ところどころはおもしろいんだけどさ。
大阪府警が商売に精を出していたり、奈良ディズニーランドがあったり田中角栄率いる新潟だけは東西どちらとも距離を置いていたり。

でも通して読むとやっぱり話についていけない。
すごく時代性の強い小説だからかもしれない。
この本の発表は1997年。天皇崩御の少し後の時代(1990年ぐらい)が舞台だ。

1980年代後半生まれのぼくは、田中角栄も天皇崩御もベルリンの壁もリアルタイムではほとんど知らない。本で読んだので何が起こったのかは知っている。けれどその当時の空気まではわからない。

パロディというのは、知識として持っているだけではおもしろさが伝わらない。
身体感覚として共有するぐらいでないとその味を感じられない。
『ドラゴンボール』を大人になってから一度読んだだけの人と、小学生のときにかめはめ波の修行をするぐらいどっぷり漬かっていた人とでは、ドラゴンボールパロディにふれたときの心の震えも異なるように。

たぶん発表当時はすごくおもしろかった小説だったんだろうとは思うが、発表から20年以上たった今あえて読むほどの小説ではなかったな。


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