2016年5月25日水曜日

【読書感想文】スティーヴン・D・レヴィット他『ヤバい経済学』

このエントリーをはてなブックマークに追加

スティーヴン・D・レヴィット
スティーヴン・J・ダブナー
望月衛(訳)
ヤバい経済学〔増補改訂版〕―悪ガキ教授が世の裏側を探検する

内容(「BOOK」データベースより)
アメリカに経済学ブームを巻き起こし、170万部のベストセラーとなった話題の書。若手経済学者のホープが、日常生活から裏社会まで、ユニークな分析で通念をひっくり返します。犯罪と中絶合法化論争のその後や、犬のウンコ、臓器売買、脱税など、もっとヤバい話題を追加した増補改訂版。

橘玲『言ってはいけない』の参考文献の一冊。
というか『言ってはいけない』の大部分はこの本がつくりだしたといってもいいのでは。そういえば橘玲氏の文体まで、『ヤバい経済学』に似ている気がするぞ。

「一般には○○と思われているけど、じつは××なんだよ」という手の話が好きな人には(みんな好きだよね)、読んだら影響を受けずにはいられないぐらい刺激的な本。
翻訳もいいしね。

『経済学』と書名に入っているけど、株価もマルクスも税制も景気も利益もほとんど出てこない。
この本を読んでも経済学の勉強にはならない。
おまけに日常生活にも役には立たない。
役に立つとしたら、酒の席での話のネタか、「おもしろい問いを立てるにはどうしたらいいか」という物の見方が身に付く(かもしれない)ことぐらい。
たとえば「不動産広告によく使われる言葉と価格の関係を調べれば、言葉を見ただけで家の価格の傾向がわかるのでは?」という仮説に基づいて検証した結果。

 不動産広告で使われる言語を調べると、ある種の言葉が家の最終売却価格と強く相関していることがわかる。
(中略)
 一方「最高」というのはあいまいで危ない形容詞で、「素敵」もそうだ。この2個の言葉は不動産屋さんの営業担当者が使う暗号で、その家は具体的に言えるようないいところはあんまりないよということのようだ。「広々」した家はだいたい古くて使い物にならない。「環境良好」は買い手に、あのね、この家はあんまりよくないかもしれないけど周りの家はいいかもしれませんよ、と語っている。不動産広告で感嘆符(!)を見たら間違いなく悪いニュースで、本当に足りないところを中身のない勢いでごまかそうとしているのだ。

あー。
言われると、なるほどな、という感じだ。
求人広告も一緒だよね。
「アットホームな職場です!」
「やる気のある方なら誰でも大歓迎!」
「たいへんやりがいのあるお仕事です」
みたいな求人広告は危ないね。
具体的にアピールできるところ(「年収600万円」「週休完全2日」とか)がないから、抽象的な文句でお茶を濁しているんでしょう。


けっこうどぎつい表現も出てくる。
というか「見も蓋もない」というか......。
黒人は白人よりも貧乏になる可能性が高いことが生まれたときから決まってるよ、とか、名前を見ただけで子どもの将来がある程度予測できるよ(要するにキラキラネームをつけられた子どもは非行に走りやすい)、とか、中絶禁止制度をなくして望まれずに生まれてくる子どもを減らしたら犯罪率が大きく低下したよ(つまり生まれたときから犯罪をおかしやすい子どもは決まっている)、とか。

こういうのって書き方によっては読み手に大きな不快感を与えるんだろうね。
でも『ヤバい経済学』では、淡々と「だからどうしろと言ってるわけじゃなくて現実はこうなんですよね」といった調子で書いているので、ぼくはあまりイヤな気はしなかった。
(そうはいっても発表後はだいぶ非難もあったみたいだけど)

ものごとをドライに考えられる人にとってはすごくおもしろい本だとおもうよ。
刊行は十年以上前ですけどぜんぜん古びてない。
正確さには欠けるところもあるけど、それを補ってあまりあるほど読み物としておもしろい。

最後に、ぼくが特におもしろいと思ったくだりをご紹介。
(なぜ麻薬の売人は儲からないのかということについて。育ちの悪い子にとってギャングのボスは映画スターと同じくらいみんなの憧れの職業だとした上で)

 そういう売り出し中の麻薬貴族は労働市場不変の法則にぶち当たった——たくさんの人がやりたいと思い、たくさんの人がやれる仕事は、普通、給料が悪い。これは給料を決める四つの重要な要因の一つだ。他の三つは、その仕事に必要な特殊技能、その仕事のつらさ、そしてその仕事が提供するサービスに対する需要である。
 こうした要因の微妙なバランスを考えると、たとえば、典型的な売春婦が典型的な建築家よりも稼いでいるのがどうしてかわかる。一見、そんなの間違っていると思うかもしれない。建築家のほうが高度な技術(「技術」を普通に言うときの意味だとして)を要求されるようだし、(やっぱりふつうの意味で)勉強もしているはずだ。でも、ちっちゃい子が売春婦になりたいと夢見て大きくなることはないので、売春婦の潜在的供給は相対的に限られている。彼女たちの技術は、まあ「専門的」というわけではないかもしれないけれど、とても特殊な状況で用いられる。仕事はきついし、少なくとも二つの重要な点で近寄りがたい──凶悪犯罪に巻き込まれる可能性があることと、安定した家庭生活を得る機会が失われることだ。では需要は? ま、建築家が売春婦を呼ぶことの方がその逆よりも多いとだけ言っておこう。


 ね、正確さには欠けるでしょ?



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿