2018年9月3日月曜日

【DVD感想】『アヒルと鴨のコインロッカー』

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『アヒルと鴨のコインロッカー』

(2006年)

内容(Amazon Prime Videoより)
大学入学のために単身仙台に引っ越してきた19歳の椎名(濱田岳)はアパートに引っ越してきたその日、奇妙な隣人・河崎(瑛太)に出会う。彼は初対面だというのにいきなり「一緒に本屋を襲わないか」と持ちかけてきた。彼の標的はたった一冊の広辞苑。そして彼は2年前に起こった、彼の元カノの琴美(関めぐみ)とブータン人留学生と美人ペットショップ店長・麗子(大塚寧々)にまつわる出来事を語りだす。過去の物語と現在の物語が交錯する中、すべてが明らかになった時、椎名が見たおかしくて切ない真実とは・・・。

注意:この記事は、小説及び映画『アヒルと鴨のコインロッカー』のネタバレを盛大に含みます。



伊坂幸太郎の同名小説の映画化。

原作を読んだ人ならわかると思うが、原作の大きな要素として叙述トリックが占めており、「はたしてこれをどうやって映像化するのか?」という点が気になった。

ネタバレをするが、小説『アヒルと鴨のコインロッカー』には河崎という男が出てくる。
この河崎という男が主人公に語る話の中に、たびたびブータン人が登場する。
ところが後になって、河崎はすでに死んでいることがわかる。河崎と名乗った男こそがブータン人だったのだ。

単純な入れ替えトリックだが「日本に来て数年の外国人が日本人に成りすますのは不可能」という思いこみがあるせいで読者は気づきにくい。
この入れ替えトリックが小説『アヒルと鴨のコインロッカー』の肝である。


じつはAとBが同一人物だった。
文章ならこの一行で済むトリックも、映像で表現するのは至難の業だ。なぜなら顔が一緒であれば見ている側は同一人物であることに一瞬で気づいてしまうのだから。
だからこそ「映像化不可能」と言われていたのであり、はたして監督はこの部分をいかに料理したのか――。



結論から書くと、最低の手法だった。

映画『アヒルと鴨のコインロッカー』には回想シーンがたびたび出てくる。
そこに登場する「今の河崎」と「回想シーンに出てくるブータン人」はまったく別の役者が演じている。本当は同一人物であるにもかかわらず、べつの役者が演じているのだ。

嘘じゃん。

いや、嘘をつくことがだめなわけではない。
登場人物の台詞としてであれば、どれだけ嘘が語られてもかまわない。
だが映像で嘘をついてはいけない。小説でいえば、台詞や独白は嘘でもいいが、地の文(状況描写)が嘘であってはならない。それはフィクションとして最低限の"お作法"だ。ここを破ったらなんでもありになってしまう。
こんなのはトリックでもなんでもない。ただのインチキだ。
ルール内で観客をだますから「だまされた!」と気持ちよく叫ぶことができるのであって、ルール無視でだまされたって楽しくもなんともない。ポーカーはルール内で駆け引きをするのがおもしろいのであって、イカサマトランプを使うやつは出入り禁止にするべきだ。

過去に原作を読んでいたぼくは回想シーンで別人が登場してきた時点で「ひでえ!」と叫んでまともに観るのを放棄したが、知らずに観てた人はかわいそうだ。
たとえば「自称河崎が人形劇仕立てで過去のエピソードを語る」みたいな説明方法にすれば、ルールを破ることなく(嘘の)回想シーンを描くことができただろうに。
あまりにもお粗末。知恵がないなら映像化困難な作品を映像化するなと言いたい。

余計な音楽がなくかなり原作の雰囲気を忠実に再現できていたのに、たったひとつの致命的なルール違反のせいで映画全体が台無しになっていたのがもったいない。

あと琴美ちゃんはかなりおバカさんだよね。
ことごとく殺してくれと言わんばかりの愚行を犯してたら、そりゃ殺されるぜ。あまりにおバカな殺され方をしたせいで悲劇性が薄れてしまったのも残念。
変にかっこよく描こうとしたせいでかえってバカみたいになっちゃった。


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