2018年9月20日木曜日

片付けの非合理性

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一番きらいなのが「片付け」。家事の中で。

畳んだ服をたんすに入れる、使ったボールペンをペン立てに刺す、乾いた食器を食器棚にしまう。
イヤだ。すごく苦手だ。できることなら一生やりたくない。ごみ屋敷の住人の気持ちがよくわかる。

何がイヤって「また使うのに」片付けないといけないのがイヤだ。
服をたんすに入れたって数日したら出してきて着る。食器棚にしまった皿もすぐまた出してきて使う。
だったら出したままにしとけばいいじゃない。

めったに使わないものなら苦にならない。
喪服を着終わったらちゃんと衣装ケースに入れて吊るしておく。客用ティーカップも使ったら食器棚にしまう。めったに使わないから。

でも一日か二日したらまた使うものは片付けたくない。なんて非合理的なんだろう。

じっさい、ひとり暮らしのときは片付けなかった。
包丁もどんぶりもコップもタオルも出しっぱなしだった。洗いはするが、すぐ使えるところに置いておく。だってまたすぐ使うもの。

でも家族と暮らしているとそうもいかない。つづきを読む本や今晩使うコップや気が向いたときに回したいハンドスピナーであっても、片付けることを求められる。
合理的に生きたいというぼくの崇高な願いは、きれいな部屋で暮らしたいという妻の俗世間的な願いの前に一掃されてしまう。

いいじゃない、片付けなくたって。どうせまた使うんだし。どうせいつか朽ちるんだし。どうせみんな死ぬんだし。

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