2018年7月2日月曜日

【読書感想文】 橘 玲『朝日ぎらい』

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『朝日ぎらい
よりよい世界のためのリベラル進化論』

橘 玲

内容(e-honより)
朝日新聞に代表される戦後民主主義は、なぜ嫌われるのか。今、日本の「リベラル」は、世界基準のリベラリズムから脱落しつつある。再び希望をとり戻すにはどうすればいいのか?現象としての“朝日ぎらい”を読み解いてわかった、未来に夢を与える新しいリベラルの姿とは。

主に「国内外のリベラル派の置かれている状況」について書かれていて、「朝日」はメインテーマではない。どっちかっていうと「リベラル嫌い」について語っている本。
タイトルからは「朝日新聞出版から出している本にこんなタイトルつけても許しちゃうなんて懐が広いっすよね」というリップサービス感が漂ってるけど、内容はすごくおもしろかった。
橘玲氏のべつの著作『言ってはいけない』もそうだったけど、「そんなこと言っちゃまずいんじゃないの」ということを、実験データに基づいてずばずば書いてしまうのがおもしろい。

たとえば、知能が低い人ほど保守派になりやすいとか。
知的好奇心が高く、言語運用能力の高い人ほどリベラルに、そうでない人ほど保守派になりやすい傾向があるそうだ(あくまで傾向)。
知能の高い人ほど社会的に成功しやすい。つまり、成功者ほどリベラルである傾向が強い。
だからといってリベラルの主張通りに世の中が動かないのがおもしろいところだ(リベラルからすると困ったことだが)。アメリカ大統領選でトランプ氏がクリントン氏を破ったことやイギリスがブレグジット(EU離脱)を決定したのがまさにその典型で、賢い人が「立派なこと」を言うと、「えらそうにしやがって」「きれいごと言ってんじゃねえよ」と反発する人が世の中にはたくさんいるのだ。

「朝日」が嫌われるのも同じ理由で、高学歴な社員たちが「誰もが住みよい世の中にしよう」「弱者を守ろう」なんて主張をしても、「上から目線で言いやがって」「おまえらは高収入もらってるからきれいごと言ってられるけどよ」と反発を招く。
本来ならリベラルが守ろうとしている人たち(社会的弱者やその予備軍)までもが、「高学歴で大手企業に勤めてるやつらの言うことなんて」と攻撃している。

イギリスでもアメリカでも、白人・労働者階級・男性というかつては社会的に大きなポジションを占めていた人たちが貧困化していき、「おれたちの待遇が良くならないのは誰かが不当に利益をむさぼっているせいだ」と移民や女性を叩くことに精を出している。日本でも同じことが起こっている。知識社会に取り残された日本人男性がネトウヨ化し、外国人を攻撃している。
そして彼らは自分たちのことを切り捨てようとしている政党を支持して、弱者の権利を拡大しようとしているリベラルを非難している。

この結果、アメリカでも日本でもどんどん金持ち優遇社会になっていく。持たざる人たちがそれを支持している、というのがなんとも悲しい。

……でも、こういう上から目線の憐みの姿勢こそがリベラルが嫌われる原因なんだろうな。誰だって憐憫の目で見られていい気はしないもんな。
憐みを受けるぐらいなら、たとえ幻想でも強者側に立って他人を叩いているほうが幸福なのかもしれない。



世の中がリベラル化したことでリベラル派が力を失った、という指摘にはうならされた。

ぼくはタバコを吸わない。
公共の場のいたるところにタバコの煙が充満している時代だったら「嫌煙家が煙を吸わない権利を守れ!」と主張する政党に魅力を感じていただろう。
でも、ずいぶん分煙が進んだ今、「飲食店は原則禁煙にせよ!」なんて主張を聞いても、「うーん、現時点でさほど迷惑してないし、きっちり分煙してくれるなら全面禁煙じゃなくてもいいんじゃない?」と逆にかばいたくなる。

女性も障害者も共働き世帯もLGBTも病弱な人も、昔の日本に比べればずっと生きやすくなっているわけで、世の中が良くなっている分、「誰もが暮らしやすい世の中にしよう」という主張は力を失っていく。
世の中が良くなればなるほど、「世の中を良くしていこう」派が力を失うというのは逆説的だが興味深い。戦後は反戦主義が主流だったのに、戦争から離れることでその傾向が弱まっていくのにも似ている。

逆に、満ち足りているからこそ「きれいごとばかり言ってんじゃねえよ」という反発が支持を集めてしまう。

「リベラル」の最大の失態は、「雇用破壊」とか「残業代ゼロ」とか叫んでいるうちに、同一労働同一賃金などのリベラルな政策で保守の安倍政権に先を越されたことだ。普遍的な人権を至上の価値とするリベラルこそが、先頭に立って日本社会の前近代的「差別」とたたかわなくてはならなかった。なぜそれができないかというと、大企業の労働組合もマスコミも、正社員の既得権にしがみつく中高年の男性に支配されているからだろう。
 ここに、日本の「リベラル」の欺瞞がある。彼らは差別に反対しながら、自らが「差別」する側にいるのだ。
 日本的雇用は権力によって強制されているわけではない。「非正規社員を雇用しなくてはならない」とか、「女性を管理職や役員にしてはならない」という法律があるわけでもない。彼らがほんもののリベラルなら、まずは自分たちの会社で差別的な雇用制度を廃止し、積極的に女性管理職を登用したうえで、堂々と同一労働同一賃金の実現や「女性が活躍する社会」を主張すればいいのだ。

このリベラルの弱点を、橘玲氏は「ブラックスワン問題」という言葉を使って表現している。たとえ1%でも白くない白鳥がいれば「白鳥は白い」と言えなくなるように、「きれいごと」を唱えるリベラルはわずかな落ち度があるだけで「でもおまえ自身できてないじゃん」という反論を受けてしまう、というものだ。

「朝日」や大手マスコミが叩かれやすいのもこれが理由のひとつだ。「正しい主張」をしているからこそ「えらそうなこと言ってるけどおまえらだって間違えたことあるじゃん」という批判が鳴りやまない。いろんな方向に失礼なことばかり言っている大臣が失言をしても「もう麻生のおじいちゃんがまたバカ言って、しょうがない人ねえ」みたいに受け取られるのに。

「たったひとつの汚点が目立つ大企業」と「ゴミの中にいる批判者」が戦えば、そりゃ後者のほうが失うものがない分強いよね。



リベラルの失敗について。

リベラルが高齢化し、知識社会で力を持ったことで、本来なら社会の変革を唱えるはずのリベラルが既得権益を守ろうとする保守派になってしまった。なんとも倒錯した状況だ。
いくらリベラルが「弱者を守ろう」と言って改革を主張しても、それは「オレたちの既得権益が守られる範囲でね」なのだ。朝日新聞はリベラルな主張をしているが、女性役職者の割合は半数に遠く及ばないし、正社員と派遣社員の待遇は違うし、たぶんサービス残業が常態化している。「おまえらはどうなんだよ」と言われたら返す言葉もないだろう。

今後も高齢化は進み、知識社会化は進み、貧しい若者が這いあがるどんどん若者が貧しくなっていく。ますます「若者のリベラル離れ」は進んでいくのだろう。
リベラルが支持を集めるためには自分たちの既得権益を捨てる覚悟が必要なのだが、ま、それは無理だろうな……。


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