2018年7月26日木曜日

中学生が書いたサラリーマン小説

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「わかっているだろうな、ホンダくん。これは我が社の命運を賭けたビッグ・プロジェクトだ。決して失敗は許されんぞ」
部長が鼻髭をさわりながら言った。おれは「承知いたしました」と軽く頭を下げて席に戻った。後ろの席の女性社員たちがこちらを見ているのを感じながら、あくまでクールに席についた。

「どうせ失敗に決まってるさ。部長、失敗したらこいつクビですよね」
同期のカワサキが薄笑いを浮かべながら言う。ほんとうにいやなやつだ。社内の噂話と上司へのごますりしか頭にない男だ。おれは聞こえないふりをしながらコンピュータを起動した。二万テラバイトのハイパースペック・マシン。こないだのビッグ・プロジェクトを成功させたお祝いに部長が買ってくれたものだ。こんなところにも部長からおれへの期待が現れている。

「こないだのビッグ・プロジェクトすごかったわね。今度のビッグ・プロジェクトも期待してるわ」
おれの机に湯のみ茶碗を置きながら、会社のマドンナであるレイコさんがささやく。ささやきついでに、おれの手をぎゅっと握りしめていった。カワサキの歯ぎしりがここまで聞こえてくるようだ。思わずにやにやしてしまう。

おれはノートをとりだして、複雑な計算式を書きはじめた。ビッグ・プロジェクトの見積もりを作成するのだ。この計算式はおれにしか書けない。だからいくらカワサキが悔しそうににらんだところで、ビッグ・プロジェクトを任せられるのはおれしかいないのだ。

出た。なんと105万円。
ついに100万円の大台に乗った。たくさんのビッグ・プロジェクトを手がけてきたおれでも、これほどビッグなプロジェクトははじめてだ。
検算をして見積もりにまちがいがないことを確認して、おれは見積もりを真っ白な紙に清書した。

ネクタイを締めなおし、清書した見積もりを部長に手渡した。窓の外に目をやり、横目で部長の反応をうかがう。
「ひゃっ、105万円……」
部長の声が震えている。当然だろう、なんせ会社の運命を握っているビッグ・プロジェクトだ。
部長の声を聞いていた同僚たちがさざめきあう。「105万円だって……」「いくらビッグ・プロジェクトだからって……」そんな驚嘆の声が聞こえる。
ビッグ・プロジェクトのビッグさに一瞬たじろいでいた部長も、すぐに落ち着きを取り戻して見積もりの内容を確かめはじめた。さすがだ。今はこんな小さな支社にいる部長だが、かつてはニューヨーク支社で数々の大胆な見積もりを世に出してアメリカ中のビジネスマンを驚かせ、東洋の見積もり王の名を欲しいままにしたと聞く。もしかすると、おれの強気の見積もりを見てかつての栄光の見積もりを思いだしているのかもしれない。

「完璧な見積もりだ……。この見積もりなら我が社の危機は救われる……」
うめくように部長が云った。当然だ、百年に一度の新入社員と呼ばれたおれの渾身の見積もりなのだから。
「この見積もりをあれだけの短時間で完成させるとは、まったく大した男だな。ホンダくんは」部長が顔をほころばせる。「それにしても105万円の見積もりとはおそれいったよ、これはもはやビッグ・プロジェクトではない。大ビッグ・プロジェクトと呼んだほうがいいだろうな」
「ははは、部長、大ビッグだと意味が重複していますよ」
「それもそうだ、こりゃあ一本とられたな」
おれの鋭いツッコミに、部長がおでこに手を当て大声で笑った。つられたように社内全体が笑いだす。ひとり苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのはカワサキだ。

そのとき扉が大きな音を立てて開いた。顔を出したのはなんと、本社にいるはずの社長だった。
「おや、楽しそうな話をしているな。わしも混ぜてくれんかね」
社長の横では、タイトなワンピースに身を包んだ切れ者秘書のエリカさんが細メガネを光らせている。
「こ、こ、これは社長。どうしてここへ」
部長があわてて椅子から立ちあがる。カワサキがさっそく社長の後ろにまわりこんで、肩をもみはじめる。まったく、わかりやすいぐらいのごますり野郎だ。
だが社長はハエでも追いはらうかのようにカワサキの手を払いのけた。
「完璧な見積もり、という声が聞こえたような気がするが……。それともわしには教えられんような話かね」
社長の目がぎらりと光った。今ではすっかり好々爺然とした社長だが、戦後の闇市で怒涛の見積もりを連発して財を成し、そこから一代でのしあがっただけのことはあり、ときおり見せる鋭い眼光は社員を威圧する。
「ととととんでもございません。たった今、ホンダくんが見積もりをつくったところでして、ぜひとも社長にもお見せしたいと思っていたんですよ」
部長が平伏せんばかりの勢いで見積もりを社長に手わたすと、すかさず秘書のエリカさんが老眼鏡をさしだす。
「ほうほう、これをホンダくんが……」
にこにことした表情で見積もりを眺めていた社長の顔つきが、突如豹変した。「まさか……」「いやしかし……」と独り言が漏れる。
最後まで読みおえると、社長は見積もりを丁寧に封筒に収め、深く息をついた。社長も無言、部長も無言、部署全体が静まりかえっていた。
やがて社長はすっと指を二本立てた。秘書のエリカさんがそこにタバコを差しこみ、流れるような動きで火をつけた。あわてて立ちあがろうとしていたカワサキが「出遅れた」という顔をした。

「いやはや驚いたよ。こんな優秀な社員がうちにいたなんて」
社長はタバコの煙を吐きだしながら声を漏らした。
「わしは長いことこの仕事をやっているがこんなすごい見積もりを見たことはない。このビッグ・プロジェクト、まちがいなく成功する!」
わっと歓声が上がった。社長の威厳の前にぶるぶると震えていた部長が安堵のため息をついた。表情を変えていないのはおれだけだ。ずっと余裕の笑みを浮かべていたからだ。

「よしっ、ボーナスをはずもう。ホンダくん、このビッグ・プロジェクトはすべて君に一任するよ!」
社長とおれはがっちりと握手をかわした。


【次回予告】
完璧な見積もりにより完璧なスタートを切ったビッグ・プロジェクト。すべて完璧かと思われていたが、なんとライバル会社であるイリーガル社がまったく同じ見積もりを作成していたことが判明。完璧だったはずのビッグ・プロジェクトに暗雲が立ちこめる。ビッグ・プロジェクトの見積もりをライバル社に漏らしていたのはいったい誰なのか……。
次回、『カワサキの謀略』。乞うご期待!


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