『ジャスミンの残り香
「アラブの春」が変えたもの』
田原 牧
アラブの春。
2011年1月にチュニジアでデモをきっかけに政権が倒されたのを皮切りに(ジャスミン革命)、アラブ世界の各国でデモや革命が相次いで起こった。
日本では東日本大震災の時期と重なっていたこともあり大きく報道されなかったが、世界的には大きな運動だった。ぼくが見るかぎりでは「民主化バンザイ!」と手放しで賞賛する声が多かった。
民主主義が独裁政権を打ち破った、これからハッピーな世の中になるぞ、と。
『ジャスミンの残り香』を読むと、アラブの春はそんなに単純な物語ではなかったことがわかる。革命で政権を打倒した国が西欧諸国のように平和で民主的になったのかというと、答えはノーだ。
独裁政権後に政権を握った勢力も、ほとんどの場合がうまくいかなかった。旧政権側にいた人間を虐殺したり、市民を弾圧したり、内部抗争で自壊したり。
結果、再び旧政権が権力を握ったり、市民を巻き込んだ武力闘争に明け暮れたり、革命前より混乱した状況に陥っている国がほとんどだ。
だからといって「アラブの春は無駄だった」と結論づけるのはそれもまた早急すぎるけど、少なくとも手放しで褒められるものではなかった。
ヒトラーなどの影響で日本人の多くは「独裁=悪」と決めつけてしまうけど、必ずしもそうとはいえない。
江戸幕府は徳川家による独裁政権だったわけだが「江戸時代は民衆が虐げられていた悪しき時代だった」という人はほとんどいない。それなりに民衆が暮らしやすくする政策も多かった。
現在の中華人民共和国は一党独裁だが、言論の自由が制限される一方で、党が決めた場合は環境保護でも人権保護でも経済政策でもすばやく行動に移せるというメリットもある。一概に悪とは言えない。
リビアは、カダフィ大佐が強権を握る独裁国家だった。だがその反面、高福祉国家でもあった。
教育費、医療費、電気代は無料だった。新婚夫婦はマイホームを買うために50,000ドルを政府から支給されていた。アフリカの中でも治安の良い国として知られていた。産油国だったからこそできた太っ腹だったが、これを知ると「私利私欲と自身の名声のために人々を苦しめる独裁者」というイメージは変わるだろう。
言論の自由などは制限もあったが、体制に批判的でなければわりといい暮らしを送ることができた。その点では、今の日本とそう変わらないかもしれない。
だがリビアのカダフィ大佐は、内戦により殺害された。樹立された新政府はイスラム系武装勢力の台頭を抑えることができず、二つの政府と過激派組織が勢力を競う混乱状態に陥った。外国の軍事力を借りている組織も跋扈している。
リビア人の知り合いがいないので想像するしかないが「独裁政権時代のほうがずっと良かった」と思っているリビア国民は少なくないだろう。
独裁政権を打ち破ることが人々を幸せにするとはかぎらない。
著者は、革命をしないほうが良かったと語る市民はほとんどいないと書いている。
革命後の世界はたしかに良いものではなかったかもしれない。だが革命は目的ではなく手段だ。革命によって市民は武器を手に入れたのだ、と。
そうかもしれないと思う反面、生き残った人はそう言うかもしれないけど、という冷ややかな目もぼくは向けてしまう。
筆者は日本での学生運動に身を投じていた人なので、基本的に「革命をする側」の立場で書いている。革命という行為そのものを賛美しているような文章も散見される。
でもぼくは、ほとんどの革命は悪であると思う。革命という悪が「もっと悪」を打ち倒すことはあるにせよ。
革命後の混乱によって殺された人、家族を亡くした人は「革命やってよかった」と言えるだろうか。大多数の市民にとっては、平和に暮らすことが第一の願いだ。
現代のフランスに生きる人のほとんどは「フランス革命があってよかった」と思うかもしれないが、革命の巻き添えをくらって死んだ人たちはやっぱり生きたかったと思う。
世の中の多数は「革命をする側」でも「革命をされる側」でもない。
この考え方も、とても立派なことは言っているが、不服従の精神が現実的に人々の幸福に貢献するかといわれるとぼくは懐疑的だ。
たしかに革命を起こす力を持っている市民は権力者にとって脅威だろう。だが市民の手に入れた武器は、自らを攻撃する凶器にもなる。
権力者が「このままだと革命を起こされるかも」と思ったときに、「だったら革命を起こされないように市民の声も尊重しよう」と考えてより穏健な政治をしてくれるだろうか。逆に「だったら革命を起こされないように市民の力を奪って弾圧しよう」と考える権力者のほうが多いんじゃないだろうか。
一度政権を失ったアラブの独裁政権を見ていると、そっちに転がっているように感じる。
日本も同じだ。一度政権の座を奪われた自民党は、政権に返り咲いた後、国民の声に耳を傾けるようになっただろうか。むしろ逆で、「批判の声に耳を傾ける」ではなく「批判の声を上げさせない」に力を注いでいるように思えてならない。
虐げられている人が声を上げ、立ちあがることはすばらしい。だけどその行為は誰も幸福にしないかもしれない。それでも立ちあがる人だけが革命家たりうるのだろう。
自分も敵も家族も友人も不幸にしながら起こす革命が正しいのか。ぼくにはなんとも言えない。だったらどうすりゃいいんだと問われると何も言えなくなる。
革命を肯定することも否定することもできない。あいまいな態度でいることが、革命の外にいる人間にとっての誠実な態度なのかもしれない。
アラブの春、そしてその後の混乱がぼくらに教えてくれるのは、権力を握ると集団は腐敗するということだ。アラブの春にかぎらず、古今東西いたるところで権力は腐敗している。
だから民主主義を守るためにもっとも必要なものは、国家権力を縛りチェックするための仕組み、すなわち憲法だ。
国民は代表者を信任して権力を委託する。だが権力者は必ず自らの利益のために権力を濫用しようとするので、憲法を定めて暴走を食いとめなければならない。
この仕組みがあるから民主主義国家は成り立っている。
権力者が改憲しようと言いだすのは、囚人が「刑務所の警備をゆるくしよう」と言いだすようなものだ。何ぬかしてんだ立場わかってんのかバカ、と一蹴しなければならない話だ。
でもそのバカなことが今の日本で着々と進もうとしている。自分たちの手で憲法を勝ち取った経験のない国民は、危機感を抱いていない。
ぼくは改憲そのものには反対しないが、「国家の権力を強くする」方向への改憲は大反対だ。逆ならまだしも。
本書の趣旨とはあまり関係がないが、おもしろかったくだり。
著者が入国が禁じられていたシリアに入ろうとしていたときのエピソード。
ライバルから盆栽を自慢された有力者が「盆栽を持ってきてくれるのならなんとかできるかも」という話を持ってきたのだ。
この後著者は、検疫でも引っかからず(検疫は持ちこみを防ぐためのものなので持ちだしには甘い)、飛行機の機内持ち込み禁止リストにも盆栽はないため、首尾よく盆栽を持っていってシリア入国を果たすことになる。
この盆栽の一件だけで、シリアがいかに混乱と腐敗の状態にあるかが伝わってきておもしろい。
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