2018年7月6日金曜日

【読書感想文】 瀬木 比呂志・清水 潔『裁判所の正体』

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『裁判所の正体
法服を着た役人たち 』

瀬木 比呂志 清水 潔

内容(e-honより)
裁判所には「正義」も「良心」もなかった!良心と憲法と法律に従って判決を下す「正義の府」。権力の暴走を監視する「憲法の番人」。しかし実態はそれとは懸け離れたものだった!最高裁を頂点とした官僚機構によって強力に統制され、政治への忖度で判決を下す裁判官たちの驚愕の姿を暴きだす。

『殺人犯はそこにいる』『桶川ストーカー殺人事件:遺言』などの超絶骨太ノンフィクションで知られる清水潔氏が、元裁判官である瀬木比呂志氏から裁判官の姿について聞きだした本。
瀬木さんが、いくら辞めたとはいえここまで言っちゃっていいのかな、とこちらが勝手に心配してしまうほどずけずけと裁判官の内情を暴露している。

あくまでひとりの元裁判官が言っていることなので裁判官全体を表しているわけではないし偏った見方もあるんだろうけど、「転職会議」気分で話半分で読む分にはおもしろい。
ふつうのサラリーマンの愚痴っぽいところもあるけどね。「上司にうまくごまをすってるやつばっかり出世する」とか。それはたいていの組織であるだろう。

いや、途中までは暴露話を聴いている感じでおもしろがっていたんだけど、途中から怖くなってきた。日本の司法ってここまで腐敗してたのか。



序盤の「暴露話」風のやりとりから。

清水 実際に事故が起きてしまったとか、起こしてしまった裁判官の話とかは聞いたことありますか。

瀬木 ええ。裁判官の話も聞いたことあるし、その家族の話も聞いたことありますね。大事故だともちろん刑事裁判ということになりますけど、それほどのことでもないと、起訴されないようにしたり、そういうことは、かつてはありました。検察に便宜を図ってもらって起訴を免れる、みたいなことですけど。

清水 便宜ですか。やはりそういうことはあったんですね。露呈すればマスコミでも話題になったりするわけですけど、たとえば交通違反とか、飲酒運転とかで、「ちょっと何とかならないの?」みたいなことがあったわけですね。

ひゃあ。今もあるんだろうなあ。
飲酒運転はともかく、軽い交通違反ぐらいだったら「反則金を払う」と「もみ消しがばれたときのリスク」を天秤にかけたら圧倒的に素直に反則金のほうがいいと思うんだけど、それでもやっちゃうのが人間くさいというか。誰よりも公正であらねばならない立場にある人でも目先の損から避けるために誤った道へ進んでしまうというのがおもしろい。おもしろがってちゃいかんか。
裁判官であっても自分のことになると冷静な判決は下せないんだね。



さっきの「交通違反をごまかしてもらう」はまだ許せるというか、「裁判官も人間だなあ。しゃあないな」と思わず笑ってしまう気持ちになる。少なくとも心情は理解できる。

しかし、次に書かれるような話は、とても許せるものではない。

清水 今おっしゃった「統治と支配」の根幹にふれる事件には、たとえばどんなケースがありますか?

瀬木 近年の例から一つ挙げますと、たとえば夫婦別姓については、まさに「統治と支配」の根幹にふれ、自民党主流派の感覚にもふれますから、絶対さわらない(最高裁二〇一五年〔平成二七年〕一二月一六日判決)。だけど、非嫡出子の相続分については、そんなに大きな問題ではないので、民主的にみえる方向の判断を下す(最高裁二〇一三年〔平成二五年〕九月四日決定)。やや意地悪な見方かもしれませんが、日本の最高裁の判断を注意深くみていくと、大筋としてはそんな感じでバランスを取っている傾向が強いと思います。そして、国際標準の民主主義にかなう判決は、わずかなのです。

清水 今ものすごい話を聞いてしまったので(笑)、このまま続けてうかがいたいんですが、「統治と支配」にかかわる部分にさわらないというのは、つまり今であれば自民党の顔色をうかがうということでしょうか。

瀬木 そうですね。その時々の権力者、ことに、その時々の自民党の中枢の顔色をうかがうという傾向は強いですね。

これはあくまで瀬木さんの見方にすぎないが、内閣のほうを見ながら仕事をしている裁判官がいるとしたら憤懣やるかたない。中学校の公民の教科書からやりなおしてこいと言うほかない。

瀬木さんの話によれば、国政の方針にそぐわない判決を出した裁判官は地方支部を転々と飛ばされる、なんてこともあるんだとか。大飯原発の運転差し止め判決を出した裁判長が地方裁判所から外されて家庭裁判所に異動になった、というエピソードも載っている。
ぼくが思っているよりも裁判所という機関は、こと政治分野に関しては腐敗しきっているようだ。

もちろん個人レベルで見れば、己の良心に従って判決を下している裁判官もいるのだろう。だがそういう裁判官は出世できないから、上級審に行くほど権力者の顔色をうかがう裁判官にあたる可能性が高くなる。結果、権力者に睨まれた人は裁判で勝つことはできない。たとえ勝っても控訴審でひっくり返されてしまう。
本来不正から国民を守るための再審制度が、権力者を守るための制度に成り下がってしまっているというのが実情のようだ。情けないことに。



特に近年、名誉棄損訴訟で、原告が勝ちやすくなっている(あるいは罪の一部を被告に認めさせやすくなっている)と瀬木氏は指摘している。

瀬木 アメリカでは、名誉毀損訴訟では、原告はきわめて勝ちにくいということになっています。ことに、公人といわれるような人々についてはそうですね。これは、民主主義社会の基盤としての「表現の自由」を最大限に尊重するということです。ヨーロッパは、日本とアメリカの中間くらいでしょうか。日本では、法律の仕組み、判例としては、名誉毀損は簡単に成立して、むしろ被告のほうに証明責任が負わされるという形になっているのですが、この形自体が、アメリカに比べると、随分被告に不利なんです。

清水 そうですね。これがまさに訴えられた時の真実性・相当性の立証責任ということですね。

瀬木 被告の側に証明責任があるんです。僕は、少なくとも真実性については、反真実性の立証を原告にさせるべきだと思います。原告にとっては難しいことではないはずですから。現に、アメリカ法ではそうなっています。でも、かつての裁判所は、実際には、真実性・相当性は、常識的なところで認めていたんです。これはまあ真実だよな、あるいは、そういうふうに信じたのも無理はないよな、という事案では、棄却していたんです。民主主義国家の裁判所としては、それは当然のことで。

清水 取材、執筆時に真実だろうと判断した、その理由をきちんと立証できればよいと。

瀬木 ところが、最近、全然それを認めないんです。そうすると、本当に、これは、ある意味で、表現の自由の封殺ですよ。本当にこんなに暴走していいのかと近年強く感じる一つの分野が、名誉毀損です。そういう方向性がスラップ訴訟の温床にもなる。

清水 いろいろうかがっていくと、裁判所が、国民のためではなく、やはり権力側についてしまっている。この国のすべてのシステムが、そちらに向かっているというかバランスが崩れてきています。そんなふうに感ずるのです。

「報道される」「わざわざ訴訟を起こす」という時点で、名誉棄損裁判の原告の多くは権力者だ。政治家だったり、大手企業だったり。
つまり原告が勝ちやすくなっているということは、権力者が勝ちやすいということでもある。

そうなると、大企業や大政党の政治家のように金を持っている側が「余計なこと書いたら訴えるぞ」と脅しをかけやすくなる。
すると表現をする側が委縮してしまう。

ぼくなんかこうやってインターネット上に好き勝手なことを書いていて、表現の自由という権利を当然のように享受しているけど、じつは表現の自由というものはきわめてあぶなっかしい状態にあるのかもしれない。



政治家や官僚が嘘をついたり、重要な文書を改竄したり、存在する文書を隠蔽したりというニュースが相次いで報じられている。
ぼく個人としては「だめな政治家だなあ。さっさと辞めてほしいな」と思うけど、当の政治家や官僚に対してさほど怒りは湧いてこない。なぜならはじめから彼らに対して公明正大であることを期待していないから。
「だめな政治家だなあ」と思うのは「かんたんにばれる嘘をついてだめなやつだなあ」という意味である。嘘をつくことそのものがだめだとは思わない。「やるんならもっとうまく嘘をつけよ」と思う。

上手に嘘をつく知性が足りない政治家はさっさと辞めろ、とは思うが、彼らがいついかなるときも正直であるべきと信じているほどピュアではない。

文書を隠蔽する政治家にも官僚にも呆れるばかりで腹は立たないが、それに対して立ち向かわない司法に対しては憤慨している。検察庁も裁判所も仕事してんのかよ。


誰しも権力を持つと腐敗するものだから、総理が近しい人に便宜をはかることなんて、現政権に限らず今までもあったんだろう。人間が政治をやっている以上、完全になくすことはできないだろう。
だからこそ三権分立とか司法の独立とかの内閣をチェックして暴走を止める仕組みがあるのに、今はそれが機能していない。

今、ぼくが中学校の社会科教師だったら「裁判所には違憲審査というチェック機能があります。ま、これはあくまで名目であってまったく機能してませんけどね」と言うしかない。
大阪地検特捜部が文書改竄を指示した官僚の立件を見送ったというニュースを見ると、三権分立はどこにいったんだと憂鬱な気持ちになる。



田中角栄氏は現職総理大臣でありながら逮捕された。ぼくが社会の教科書でそれを知ったときは「総理が逮捕されるなんて情けない時代だったんだな」と思った。でも今にして思うと「総理が逮捕された」ってのは司法が正常に機能しているということの証明でもあるわけで、むしろいい時代だったんだと思う。
今なら、首相が汚職事件に手を染めていたとしても検察は目をつぶるだろう。

裁判所ってもっとまともな組織だと思っていた。政治や警察や検察が腐敗しても、裁判所だけは良心を持っていると。ぼくがピュアすぎただけなんだろうか。

司法の公正を信じている人ほど、厳しい取り調べを受けたときにいわれのない罪でも「ここは嘘の自供をしても裁判所では真実を明らかにしてくれるはず」と思って嘘の自白をしちゃうんだろうなあ。
とても悲しいことだけど、ぼくはもう裁判所を信じるのはやめる。裁判所は国民を守るためのもの機関ではないと思って生きていくことにする。


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