『インサイド ヘッド』
(2015)
頭の中の感情を擬人化するという、アニメーションでしか表現できないアイデア(あ、でもラーメンズが『心の中の男』でやってたわ)。
「頭の中」「頭の外」「他人の頭の中」が描かれるのでややこしくなりそうなものだが、さすがはピクサー、わかりやすく見せてくれる(一緒に観ていた四歳の娘はよくわかっておらず終盤で「ライリーって誰?」などと言っていたが)。
個人的な好みで言えば、今まで十本以上観たピクサー映画の中ではかなり下位の評価だった。『カーズ』シリーズとワースト一、二を争うぐらい。
ぼくは理屈で納得できないと先に進めないタイプなので、「抽象的なものを擬人化」「目に見えないものを具現化」するタイプの物語が苦手だ。「どうして短期的な感情の変化によって長期記憶を保管する部分がなくなってしまうんだ?」とか考えてしまう。深く考えずに観たらおもしろかったのかもしれないけど、なまじっかディティールがしっかり作りこまれているから理屈で追おうとしてしまうんだよね。
ストーリーとしては「ライリーが引っ越し先でうまくいかない」ということと「脳内司令部から長期記憶保管場所に行ってしまったヨロコビとカナシミが戻ってくる」という二点が錯綜しながら語られるわけだが、どちらも結末が読めてしまってハラハラ感がない。
子どもも楽しめるアニメーション映画なのだから「最後は友だちもできてハッピーになるんでしょ」「ヨロコビもカナシミも無事に戻ってくるんでしょ」ということが誰にでもわかる。
カナシミが序盤で厄介者として描かれている点も「序盤でこういう扱いをされているってことは最後にカナシミの大事さに気づくやつね」と容易に想像がついてしまうし、じっさいその通りに展開する(ネタバレしてもうた)。
「感情を擬人化」というアイデアはすごくおもしろいけど、そのアイデアを前面に活かそうとするあまりストーリーが単調なものになってしまったように思う。たとえば『トイ・ストーリー』でいえば「おもちゃが人間みたいに動いてしゃべってる。おもしれー」と思うのははじめの十分ぐらいで、その後はストーリーが魅力的だったからこそあんなにおもしろかった。『インサイド ヘッド』は「脳内でおこなわれていることをこんなふうに表現しました」を最後までやりつづけてしまった、という感じ。
短篇作品だったらすごくおもしろかったかも。
どうでもいいCMソングがなぜか頭にこびりついて離れなくなるとか、昔覚えた大統領の名前が忘れられてゆくとか、自分にとってパーフェクトで都合のいいイケメンが脳内にいるとか、猫の喜怒哀楽がランダムに決まってるとか、「脳内あるある」がふんだんに散りばめられていて、小ネタのひとつひとつはすごくおもしろい。
「なるほど、脳の中でこんなことが起こっているんだな」と思わされる説得力もある。たぶんきっちり脳科学のことを調べた上で作っているんだろう。
ところで、イライラ(Disgust)とイカリ(Anger)が別の個体として存在しているのがふしぎだ。イライラの激しいやつが怒りなんじゃないかと思うんだけど、アメリカでは別感情として扱われているのか?
それともじっさいの脳内ではべつの部分が担当しているのかな?
イライラの代わりにネタミとかオドロキとかワライとかがいたら、中盤の司令部のやりとりもネガティブ一辺倒ではなくもっと見応えがあったのかもしれないな。
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