2025年1月1日水曜日

M-1グランプリ2024の感想


 M-1グランプリ2024の感想。

 いつもは早めに書くんだけど、今年はあまり書く気がおきなかった。つまらなかったわけではなく、むしろ逆で、「いいものを観たー!」と満足してしまって、何かをつけたしたいという気にならなかったんだよね。

 それぐらいいい大会でした。


敗者復活戦

 個人的におもしろかったのは、

・顔だけで蝶の羽化を表現したダンビラムーチョ(深夜だったら優勝だったかも)

・強いフレーズで舞妓の世界を描いたマユリカ

・人の性と理性というテーマで漫才をした男性ブランコ

・大したことを言ってないのになぜだかずっとおもしろかったシシガシラの浜中クイズ

 ドンデコルテはまだまだ良くなりそうな気がした。いいフォーマットを見つけたね。二年後ぐらいに決勝行くかもねえ。

 敗者復活戦ではしっかり作りこまれたネタよりもばかばかしい漫才の方が映えるね。



■1st Round


令和ロマン (理想の苗字)

 「どんな苗字がいい?」という導入ではなく、「子どもにどんな名前をつけるか」という話から広げていく構成がうまい。令和ロマンの漫才って、唐突なところがまったくないんだよね。すべてが流れるように進んでいく。相当練りこまれているのを感じる。

 全体の流れがスムーズだから、ちょっと難しめのボケでもパワーで押し切ってしまう。ふつうさ、ビャンビャン麵、幼卒、刀Yなんて文字にしないと伝わらないじゃない。それで笑わせる力がすごい。

ビャンビャン麺のビャン

 令和ロマンのうまいところは、難解なボケとわかりやすいあるあるを混ぜてくるところだよね。ほけんだよりの風船とかね。テレビで観てたら「保護者会で漫才したいだろ」でなんで拍手笑いが起こるのかわからないんだけど(本来ならジャブ程度だよね)、そこにいたるまでの雰囲気や口調でねじ伏せてしまう。きっと生で観たらもっとおもしろいんだろうな。


ヤーレンズ (おにぎり屋さん)

 なんかちょっと間が悪かったな。本人たちも感じていたのか、ちょっと言葉に詰まっていた箇所が。ヤーレンズのようなテンポが命のコンビがリズムをくずされたら致命的だよなあ。

 テンポとネタがあってないように感じた。石川啄木、石川さゆり、KAT-TUNなどのこみいったボケはもうちょっと時間をかけてくれないと処理しきれない。

 緩急を少なくしてボケを詰めこんだことが去年の躍進の原因だったが、今年はそれが裏目に出てしまったなあ。疲れてきた時間帯に出てきたらもっとよかったんだろうけどね。


真空ジェシカ (商店街ロケ)

 毎度感心するのが導入の鮮やかさ。「子育て支援だろ、おまえがちゃんと否定しろこういうときは」と、導入でもきっちり強いパンチを叩きつけてくる。

 一個一個ボケの強度もすごいんだけど、真空ジェシカのすごいところはそれを単発にしないところ。

 ジャンプみたいな商店街→「ジャンプは最後までおもしろいんですけど」→「出口が近そうだな」の鮮やかさ(「迷走してる店が増えた!」と明言しないところがオシャレ)。

 武田よく寝た→もらい画像→ゆうじという人、「偏った政党のポスター」偏った政党大喜利→「今年の都知事選みたい」のように二つ三つ追撃を入れてくるのがすごい。

 都知事選もそうだが、「TVer?」や薬指を立てるボケのようなあぶなっかしさも魅力。いやあ、真空ジェシカってずっとクオリティ高いんだけどそれがさらにレベル上げてくるんだからすごいねえ。

 ネタもすごかったけど、ネタ後の「優勝するかもしれませんからね」に対する即座の「それみんなそうですから」も見事だった。天才だ。


マユリカ (同窓会)

 令和ロマンや真空ジェシカの緻密で隙の無いネタを観た後だったので、いろいろ粗さが目立ってしまった。同窓会という設定なのに女の子が校歌をはじめて聞いた設定とか。

 あとツッコミのセリフもいろいろ間違えてなかった?「どんな顔して明石海峡大橋渡ったん?」とか、最後の「なんでゆで卵担当せなあかんの」に「あんたらモーニングセットの」をつけたしたところとか。それがベストではないのでは、という気がした。

 ネタのうまさで魅せるコンビではなく、関西の漫才師に多いしゃべりのうまさで勝負するタイプなので、その分パワーのあるネタを持ってきてほしかった(その点敗者復活戦ではこの二人が舞妓を演じているだけでおもしろかったのでよかった)。

 去年もネタ後のトークがおもしろかったけど、今年も「大急ぎで負けに来たんですか?」「うんこサンドイッチの顔」などしっかり強い印象を残してくれた。


ダイタク (ヒーローインタビュー)

 ずっとストロングなしゃべくり双子漫才をやってきたダイタクが、ラストイヤーでM-1グランプリに合わせたこじんまりした枠に収める漫才をしているのを見てちょっと寂しくなってしまった。枠がある分笑いやすいけど、広がりを感じなかった。

 でも地元のショッピングモールに営業に来ていちばん笑うのはダイタクなんだろうな。とにかくわかりやすいし、どこを切り取ってもおもしろい。

 M-1の場にはちょっと合わなかったけど、THE SECONDにはあってるとおもうので、来年以降のダイタクが楽しみ。


ジョックロック (医療ドラマ)

 最初の「やっぱりちょっとカードつくるの怖いなー」がめちゃくちゃ良くて、次の「あんまぴんとこない人は健康な人生で良かったですねー」も良かっただけに、後半がしりすぼみになってしまった。あれだけたっぷり間をとってツッコむんなら、相当パワーがないとね。

 間が長いので、野外ステージとかでやったらすごくウケそう。

 とはいえ、システムが明るみになったここからは大変だろうね。余計な心配かもしれないが、南海キャンディーズが最初のインパクトを超えられなかったのを思い出してしまう。


バッテリィズ (偉人の名言)

 アホ漫才と言われていたが、とんでもない。すごく精密に練られた漫才だった。「悩んだことない」「名前書き忘れて落ちた」「毎日楽しいぞ」でしっかりエースのアホさを伝えておいて、徐々に名言に対するピュアなツッコミを聞かせてゆく。

 ただのアホにならないよう、楽しませたるわ、謝れるのはえらい、生きるのに意味なんかいらんねんなどポジティブな言葉でエースの魅力を伝えていく。たぶんほとんどのお客さんはバッテリィズは初見だったとおもうのだが、この数分間でみんなエースを好きになったんじゃないだろうか(だからこそ最後に頭を叩くツッコミをしたのは余計だったかな)。

 コントラストを利かすために寺家さんが落ち着いた口調で引き立て役に徹していたのも見事。こういうコンビで、相方が目立った時に負けじと前に出てくるツッコミも多いのだが、ネタ中もネタ後も寺家さんは後ろに引いていてすばらしい立ち居振る舞いだった。名捕手だなあ。


ママタルト (銭湯)

 ママタルトの漫才の魅力は檜原さんの長ツッコミにあるとおもうんだけど、初めて見る人はやっぱり大鶴肥満さんの巨躯に目を奪われてしまうのでこんな感じになっちゃうよなあ。もっとわかりやすいネタがあったとおもうんだけど。

 みんなの桶が、とか、子どもが車道に、とかは絵が浮かんできておもしろかったんだけどね。あんな感じのファンシーなネタを期待しちゃったな。「こんなにシャンプー丁寧やのに」とか、長々と待ったわりには伝わりにくかったな。

 審査員の点数が出るたびに顔を作っていたのがおもしろかったよ。


エバース (桜の樹の下で待ち合わせ)

 ツカミもなく、丁寧にフってからのボソッと「さすがに末締めだろ」はしびれる。声を張りたくなるとこだとおもうけど。勇気あるなあ。

 強靭なストーリーもさることながら「土地開発か」「女の子って空間把握能力ほとんどないもんね」「女町田」など、フレーズも言い方もおもしろい。強面のツッコミなのに優しさがにじみ出ていてどんどん引き込まれている。

 エバースはどのネタもすばらしいし二人の魅力も優れているし、完璧なコンビだよね。

 ぼくはエバースを大好きなんだけど、今回負けたことでちょっと安心した。ああよかった、これで来年以降もエバースの漫才をM-1で観られる。まだまだいいネタいっぱいあるし、キャラクターが知れ渡っても不利になるタイプじゃないし。一回で優勝しちゃうのはもったいない。それぐらいいいコンビ。


トム・ブラウン (ホストクラブに通う女の子の肝臓を守りたい)

 ふはははは。客にぜんぜんハマってないのが余計におもしろかった。ずっと何やってんのかわかんねえんだもん。

 二発撃つことにまったくツッコまないとか、「『Night of Fire』アラームにすんなよ!」のツッコむところそこじゃねえだろ感とか。コンテストの場じゃなくて、みんなで「何やってんだよ!」とか言いながら見るのにふさわしいネタだよなあ。

 いやあ、トム・ブラウンが世に認められる世界でよかったなあ。


■最終決戦


真空ジェシカ (ピアノがでかすぎるアンジェラ・アキのコンサート)

 いやあ、すばらしかった。これまでにM-1で観た二百本以上のネタの中でもトップクラスのおもしろさだった。

 ピアノがでかすぎることや歌詞がめちゃくちゃであることやぶちぎれるアンジェラ・アキが怖すぎることの説明が一切ないのがいい。わからないのにわかる。震えているガクさんの姿だけでも似合いすぎてずっとおもしろい。

 むちゃくちゃな設定なのに「信じる神によるけど」や「静かすぎて隣の長渕がうっすら聞こえてくる」といった深いボケが真空ジェシカらしい。ボケのためのボケじゃなくて、ちゃんとその世界に入りこんでいるからこそ出てくる発想だよね。

 トム・ブラウンのばかばかしさと、令和ロマンの緻密さの両方を兼ね備えたすばらしいネタだった。


令和ロマン (タイムスリップ)

 あの短時間で一人何役もこなしているのにスムーズに見られる表現力がすごい。

 一本目の席替えのネタとはうってかわって、なぜか固い、無言の乗馬、じじいの知ったか、泣く子には勝てないなど重めのボケが連なる。そして2.5次元、バトルシーン、歌で後半に盛り上がり所をつくる。憎らしいほど隙のない構成。

 所作のひとつひとつまでじっくり計算されているんだろうなあ、と感じた。


バッテリィズ(世界遺産)

 うーん、構成がしっかりしすぎてるな。お墓の畳みかけとか、芝居がかった言い回しとか。客がバッテリィズに求めていたのはこういうんじゃなかったんじゃないかなあ。もっとシンプルなつくりでエースの魅力が全面に出てくるような。

 まず最初に「世界遺産ってのがあるらしいねんけど」とエースが振るのがちがうんじゃない?

 とはいえ、お餅焼いてるとこが楽しいとか、公園や鍵穴にわくわくするとことか、エースのピュアさを伝えるのには十分すぎるネタ。



 いやあ、すばらしい大会だったね。

 2009年大会もそうだったけど、優勝候補とされているコンビが前半に出てくると、お客さんが後のことを気にせずめいっぱい笑える感じがある。後半のコンビへの期待が高まりすぎないのもいいしね。


 どのコンビもおもしろかったけど、やっぱり令和ロマンと真空ジェシカが頭ひとつ抜けていたように感じる。1本目の1位はバッテリィズだったけど、そこは出番順次第で変わってただろう。でも令和ロマンと真空ジェシカはどの出番順でも高確率で最終決戦に進めたんじゃないだろうか。それぐらい完成度が図抜けてた。

 もう来年の大会が楽しみ。真空ジェシカやエバースはまだまだいいネタあるだろうしなあ。


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2024年12月28日土曜日

2024年に読んだ本 マイ・ベスト10

 2024年に読んだ本の中からベスト10を選出。

 去年までは12冊ずつ選んでいたけど、今年は10冊にしました。

 なるべくいろんなジャンルから。

 順位はつけずに、読んだ順に紹介。


奥田 英朗

『オリンピックの身代金』



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 小説。

 昭和39年開催の東京オリンピック。その直前の東京を舞台にした、クライムサスペンス。

 息をつかせぬスリリングなストーリー展開も見事なのだが、感心したのは、小説内で描かれる「国民の命よりも体面を気にする国家の体質」が現実の2021年東京オリンピックでも発揮されたこと。見事な予言小説にもなっている。汚職にまみれた2021年東京オリンピックを知っている身としては、犯人がんばれ、オリンピックを中止にしろ! と犯人を応援してしまう。






マシュー・サイド

『多様性の科学
画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』 



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 ノンフィクション。

 多様性は重要だよ、という話。べつに道徳のお話ではなく、多様な考えをする人が集まったほうがより優れた知見を導きだせるから、という現実的な話。

 とはいえ多様性を確保するのは容易なことではない。多種多様な人で議論をするより、学歴や職業や趣味嗜好が近い人と話すほうがずっと楽だ。

 また多様な人を集めても、“えらいリーダー”がいると他の人が自由にものを言えず、結局似たような意見ばかりが提出されることになる。

 また、多様な人が集まりすぎると、その中でグループが生まれてかえって多様性が失われることになるという。

 組織というものについて考えるのに実に有益な本。



武田 砂鉄

『わかりやすさの罪』



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 エッセイ。

「わかりやすさ」ばかりが求められる時代だからこそ、わかりにくいことの重要さをわかりにくく伝える本。

 物事がわかりにくいのは、伝え方が悪いからとは限らない。「自分の前提知識や理解が足りないから」「断片しか明らかになっていないから」「誰かが嘘をついていてどれが真実なのか誰にもわからないから」「シンプルな理由なんてないから」などいろんな理由がある。

「わかりやすいもの」は、虚偽や嘘であることが多い。〇〇が××なのは悪いやつがいるから、という陰謀論はすごくわかりやすい。2024年の兵庫県知事選でも多くの人が「わかりやすい説明」に飛びついてしまった。

 わからないものをわからないまま置いておく。脳にストレスをかけることだけど、意識しておく必要はある。



渡辺 佑基

『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』



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 エッセイ。

 著者は、バイオロギング(生物に記録装置をとりつけてなるべく自然な行動を測定する方法)を使って野生生物の生態を研究している生物学者。

 生物について調べるためには物理学が必要なのだ。こういう複数の学問分野を横断する話は魅力的だ。

 マグロが100km/h近いスピードで泳ぐのはたぶん俗説だとか、鳥は早く飛ぶより遅く飛ぶ能力のほうが重要だとか、いろいろおもしろい知見があった。



小泉 武夫

『猟師の肉は腐らない』


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 エッセイ。

 著者が猟師の友人を訪問して山中に数日滞在した記録。あらゆる獣、小動物、魚、虫などを捕まえて食う描写がなんともうまそう。

 こんな生活いいなあ、とちょっとあこがれはするが、同時にぼくのような怠惰な人間にはぜったい無理だな、ともおもう。山の中で自給自足の生活を送ろうとおもったら毎日忙しく動きまわらないといけない。読書を通してお金のない生活を疑似体験をすることで、お金って便利だなと改めておもう。



『清原和博 告白』



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 インタビュー。

 ぼくの少年時代のヒーローだった清原和博。誰もが知るスーパースターだった清原選手は高校時代、プロ一年目と華々しい活躍を見せ、その将来を嘱望されていた。だが徐々に成績は低下し、かつて自信を裏切ったジャイアンツに入団するもおもうような結果は出ず、怪我にも苦しんだ。引退後は家族が離れてゆき、覚醒剤取締法で逮捕された。

「絵に描いたようなスーパースターの転落人生」だが、インタビューを読むと、清原和博という人は野球の才能に恵まれていたこと以外はごくふつうの人だったんだなとおもう。純粋でまっすぐな人だったがゆえに、周囲からの期待に応えられない自分にもどかしさを感じ、不安を取り除くために筋肉をつけ、酒を飲み、やがて覚醒剤に手を出してしまった。

 いろいろあったけど、やっぱりぼくにとってはスーパースターだ。



坪倉 優介

『記憶喪失になったぼくが見た世界』



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 エッセイ。

 バイク事故で一切の記憶を失った大学生とその母親の手記。一切というのはほんとに一切で、おなかがすいたらごはんを食べるとか、おなかがいっぱいになったら食べるのをやめるとか、そんなことまでわからなくなっていたのだという。もちろん言葉も。生まれたての赤ちゃんとまったくいっしょ。

 本人の記述もさることながら、お母さんの心中描写が胸を打つ。死なれるよりもショッキングかもしれない。

 記憶喪失後の生活に慣れてくると同時に、今度は記憶を取り戻してしまうことが怖くなる。そうかあ。そうだろうなあ。



浅倉秋成

『六人の嘘つきな大学生』


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 小説。

 就活の選考会を舞台にしたサスペンスミステリ。就活を舞台に選んだのはうまい。就活って異常なことがあたりまえにおこなわれる空間だからね。みんな嘘をつくし。

 さらに就活後にさらなる展開が待っている。すっきりと白黒がつく終わりにならないところも個人的に好き。世の中のたいていの出来事ってよくわからないままだからね。



逢坂冬馬

『同志少女よ、敵を撃て』



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 小説。

 いやあ、とんでもない小説だった。王道漫画のような手に汗握るストーリー。でも王道漫画とちがうのは、はっきりした正邪がないこと。みんなに正義があるしみんなが悪でもある。戦争という異常な空間で生きていくには狂っていないとだめなのだ。登場人物はみんな狂ってる。狂ってない人は死んでいく。

 デビュー作とおもえないほど精緻な取材にもとづいて書かれていて、戦記物としても冒険小説としても友情小説としても一級品。数年に一度の名作だった。



アントニー・ビーヴァー

『ベルリン陥落1945』


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 ノンフィクション。

 様々な証言をもとに、独ソ戦末期の様子を書く。ノンフィクションではあるが、数字などのデータは少なめ。証言を中心にまとめているので情景が浮かびあがってくる。

 教科書なんかだと、ナチスドイツはシンプルな悪だ。でも現実はそんなことない。ドイツ市民にも家族があり、生活があり、平和を望んでいる。ソ連軍もナチスに負けず劣らず残虐なことをしている。でも教科書に書かれるのはドイツが悪かったこと。勝者の歴史だけだ。

 読めば読むほど、戦争で負ける国ってどこも同じなんだなとおもう。都合の悪いニュースは報道せず、いいことだけを大きく伝え、美談で愛国心を煽り、一発逆転の無謀な作戦が採用され、愛国心を唱え威勢のいいことを言うやつから真っ先に逃げていく。日本と同じだ。

 戦争における生命の軽さがよく伝わってくる。



 来年もおもしろい本に出会えますように……。


2024年12月25日水曜日

【読書感想文】朝井 リョウ『武道館』 / グロテスクなアイドルの世界

武道館

朝井 リョウ

内容(e-honより)
「武道館ライブ」を合言葉に活動してきた女性アイドルグループ「NEXT YOU」。さまざまな手段で人気と知名度を上げるが、ある出来事がグループの存続を危うくする。恋愛禁止、炎上、特典商法、握手会、スルースキル…“アイドル”を取り巻く様々な言葉や現象から、現代を生きる人々の心の形を描き表した長編小説。

 かけだしのアイドルとして生きる少女を主人公にした小説。

 炎上やSNSでの批判を乗り越え、武道館ライブを目指すアイドルグループ。しかし主人公が幼なじみの男の子と恋仲になってしまい……。



 ぼくの話をすると、アイドルというものにはまるで興味がない。どっちかっていうと嫌いだ。

 特にぼくが音楽というものに興味を持ちだした90年代中盤は、アイドルなんてくそくらえという時代で、アイドルが好きとかいうより、そもそも女性アイドルがいなかった。

 ちょっと前はおニャン子とかがいて、90年代後半からはモーニング娘。が台頭してくるんだけど、ちょうどその間ってほんとに女性アイドルがいなかった。女性グループはあったけどSPEEDとかPUFFYとか「かっこいい女性」をめざしているような感じで、少女性を売りにしたようなアイドルグループは(少なくともメジャーには)存在していなかった。

 だから高校生になってはじめて、モーニング娘。という“いわゆるアイドル”を目にしたとき、とっさに嫌悪感をおぼえた。意識的に避けていたのをおぼえている。

 その理由が当時はわからなかったんだけど、今にしておもうと、その商品性が気持ち悪かったんじゃないかな。


 アイドルって「商品」感が強いじゃない。アーティストではなく、商品。その背後で糸を引いている大人の存在が強く感じられてしまう。

 もちろんロックシンガーだってシンガーソングライターだってその周囲にはたくさんの大人が商売として関わっているわけだけど、そこまで不自由な感じがしない。表現者としての意思を感じる。

 アイドルは、当人たちの意思よりもその後ろにいる“大人たち”の意思が強く感じられる。あと子役も。だから気持ち悪い。




『武道館』は小説なのでもちろんフィクションなのだが、ある程度は事実に即している部分もあるのだろう。

 読んで、あらためてアイドルはグロテスクな稼業だな、とおもう。

 他にある? 恋愛禁止なんて決められる職業?

 それってつまり、アイドルは365日24時間アイドルでいなきゃいけないってことだよね。

 テレビでは明るく振るまっている芸人が私生活では物静かだったり、怖い役ばかりしている俳優が実は優しい人だったりしてもいいわけじゃない。「イメージとちがう」ぐらいはおもわれるだろうけど、それで所属事務所から怒られるということはないだろう。

 でも、アイドルに関しては私生活にまで干渉することがまかりとおっている。

 まあ実際は「恋愛するな」ではなく「恋愛するならばれないようにやれ」なのかもしれないけど、今みたいに誰もが写真や動画を撮って広めることのできる時代だとそれも厳しいだろう。

 そのアイドルを嫌いな人たちが、彼女たちが不幸になることを願うならば、まだわかる。だがもっとひどいことに、アイドルのファンたちが、彼女たちが恋愛をし、ステップアップし、歳をとることを拒絶する。応援している人たちが足をひっぱる。なんともグロテスク。もちろんそんなファンだけではないんだろうけど。


『武道館』はアイドル業界の暗部を描きながらも、最終的には希望をもたせたエンディングを見せている。

 でも、特にアイドルに思い入れがない、どっちかっていうと懐疑的に見ている人間からすると、ずいぶんとってつけたハッピーエンドに見えてしまう。まあ、アイドルファンはそうおもいたいよね。なんだかんだあっても最終的にアイドルが幸せになっているとおもいたいよね。自分たちが若い女性の人生をつぶしたとはおもいたくないよね。そんな願望を都合よく叶えるラストにおもえてしまう。


 アイドル好きが読んだらまたちがった感想になるんだろうけど、まったく興味のない人間が読むと「やっぱりアイドル業界って狂ってんな」という感想しか出てこないや。


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2024年12月20日金曜日

【読書感想文】今和泉 隆行『考えると楽しい地図 ~そのお店は、なぜここに?~』 / おじさんは道が好き

考えると楽しい地図

そのお店は、なぜここに?

今和泉 隆行(著)  梅澤 真一(監修)

目次
第1章 これも地図?いろんな地図をみてみよう
(地図マスターへの第一歩!どんなときにどの地図をつかう?他)
第2章 おぼえるときは地図をみながら!地図のやくそくごとを知ろう
(上下左右ってどっち?方位をつかって方向をしめそう他)
第3章 そこってどこ?地図を読む練習をしよう
(これでは会えない!ざんねんなまち合わせ他)
第4章 まちの歴史もみえてくる?地図から土地の特色を読みとろう
(地形を一気にかえるスーパーパワー!火山のすごさを地図から読もう他)
第5章 正解は人それぞれ!地図を読んで自分なりの考えをまとめよう
(もしこのまちに引っこすならどこに住みたい?他)

 空想地図作家(存在しない街の地図を空想で描いてる人)である今和泉隆行さんが子ども向けに地図のおもしろさを伝える本。

 問題(ただひとつの正解があるとは限らない)と解説がセットになっているので読みやすい。

 地図に関する幅広い内容を扱っているのでちょっと地図に興味がある、ぐらいの子どもにはちょうどいい内容かもしれない。

 今和泉さんのファンでありこれまでに何冊か著作を読んでトークショーを聴きにいったぼくにとってはほとんどが既知の内容だったけど……。



 地図は魅力的だ。ぼくは地図好きとは到底言えないレベルだが、それでも地図は楽しい。

 誰しも、近所の地図を描いて遊んだり、オリエンテーリングで地図を見ながら宝探しをすることに喜びをおぼえた経験があるだろう。

 地図がおもしろいのは、ありとあらゆることが地図につながっているからだ。

『考えると楽しい地図』では、地図のおもしろさを伝える問題をバランスよくとりそろえている。

 地図を見て、ラーメン屋を開くならどこがいいか、図書館を作るならどこが向いてるか、ここから見える景色はどんなのか、川や火口の近くにはどんな施設があるか、自分が江戸時代の藩主だとしてらどこに築城するのがいいか……。

 経済、歴史、行政、地学、軍事、法律、あらゆることが地図と密接に関係している。

 城下町は敵に攻めこまれにくくするために曲がり角が多いとか、江戸時代は家の間口が広いほど税が高かったので古い町は今でも細長い敷地が多いとか、地図を見ると昔の生活が浮かびあがってくる。


 以前、あるラジオで「おじさんは道の話が好きだよね」という話をしていた。

 車で□□に行く、という話をしているとすぐにおじさんが寄ってきて、それだったらどの道を通るのがいい、ここで高速を降りて下道を通ったほうが早い、と言いだす、という話だった。

 たしかに。世のおじさんには道好きが多い。今まで生きてきた中で蓄えてきたあれやこれやがみんな道につながるから、歳をとると道を好きになるのかもしれない。


 今和泉さんのトークショーの中で「より正確な地図を書くためには地形の成り立ちを知る必要があるからプレートテクトニクスを勉強している」という話があった。

 そうやってどんどん興味の幅が広がっていくのはすごく幸せなことだ。知に対する興味が衰えない人は一生楽しめる。


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2024年12月19日木曜日

小ネタ28 ( でかい顔の市 / おばけなんてないさ )

でかい顔の市

 日本三大「市のくせに県よりでかい顔をしている市」といえば、神戸市、横浜市、金沢市であることは全国民が知っているところだ(次点で仙台市)。

 奇しくも、神戸市には兵庫区があり、横浜市には神奈川区がある。「兵庫(神奈川)の中に神戸(横浜)があるんじゃない、神戸(横浜)の中に兵庫(神奈川)があるんだ」というために兵庫区(神奈川区)をつくったのだろう。あいつらならそれぐらいのことはやる。

 だが石川区はない。そもそも金沢市は政令指定都市ではない。

 金沢区はあるが、石川県ではなく、神奈川県横浜市の中にある。横浜はどこまでも貪欲だ。


おばけなんてないさ

 童謡『おばけなんてないさ』の一番の歌詞はみんなよく知っているように
「ねぼけたひとが みまちがえたのさ」だ。

 あまり知られていないが、あの歌は五番まであり、二番以降はAメロを二回くりかえす。

 二番は「ほんとにおばけが でてきたらどうしよう れいぞうこにいれてかちかちにちちゃおう」

 三番は「だけどこどもなら ともだちになろう あくしゅをしてから おやつをたべよう」

 四番は「おばけのともだち つれてあるいたら そこらじゅうのひとが びっくりするだろう」

 五番は「おばけのくにでは おばけだらけだってさ そんなはなしきいて おふろにはいろう」


 いい歌詞だ。世界の広がりがある。

 一番はただ今の心情を歌っているが、二番では「でてきたらどうしよう」と心配から空想になる。

 三番、四番はその空想を発展。「ほんとにおばけがでてきたら」「こどもなら」「つれてあるいたら」と想像の上に想像を重ね、ともだちになったおばけと歩く空想までしている。

 五番では「そんなはなしきいて おふろにはいろう」と一気に現実に引き戻される。夢オチみたいなものだ。ここだけ、前の章とのつながりが途切れているように感じる。

 だが、“おばけだらけだってさ” “そんなはなしきいて”を読むと、歌い手におばけの話をしてくれた者がいることがわかる。それは誰か。おとうさんやおかあさんとも考えられるが、ぼくは“おばけのともだち”じゃないかとおもう。おばけのくにの話を聴かせてくれるのはおばけだろう。

 つまり五番は現実に引き戻されたわけではなく、まだ空想の中にいるのだ。空想の中で空想のおばけから空想の話を聴いて、空想の中でおふろに入ろうとしているのだ。

 どこまでも広がってゆく空想。空想に終わりなんてないさ。