清原和博 告白
著者名が清原和博となっているが、これはウソ。Numberの記者が清原和博氏にインタビューしたものをまとめたもので、インタビュー中にライターが受けた印象などもしっかりと書かれているのでゴーストライターというわけでもない。自伝ではなくインタビューをまとめたものなので、著者名を清原和博とするのは明らかに誤りだとおもうのだが……。自伝っぽく見せたほうが売れるとおもってこんな嘘をついたのかな。
赤裸々な告白、というのを売りにしているのに、その本自体を嘘で売りだすってどういうことよ。
いい本だっただけに、ちゃんと著者名を出して刊行してほしかった。
今いちばん有名な野球選手は大谷翔平だろう。野球に興味のない人でもまず知っている。うちの小学生の娘が唯一知っている野球選手が大谷翔平だ。
その前はイチローだった。その前は……野茂かな。メジャーリーグ(当時はみんな大リーグと言っていた)に挑戦したとき。そしてその前は、清原和博じゃないかな(今気づいたんだけどみんなパ・リーグ出身者だ)。
ぼくがプロ野球に興味を持つきっかけになったのはキヨハラ選手だった。清原和博選手ではない。コロコロコミックに連載していた漫画『かっとばせ!キヨハラくん』である。
『かっとばせ!キヨハラくん』から野球に興味を持ったぼく(とその友人)は、ルールブックを読んで野球のルールを覚え、公園で野球をするようになり、テレビでプロ野球の試合を観戦し、新聞のスポーツ欄を隅々まで読むようになった。
入口がそうだったから清原和博選手のファンだった(ジャイアンツに行くまでは)。当時はテレビでパ・リーグの試合なんてまったくといっていいほど放送していなかったため、実際の清原選手の活躍を観るのは日本シリーズぐらいだったにもかかわらず。
清原和博は、まちがいなくスーパースターだった。甲子園で今も記録に残る華々しい活躍を見せ(ただし当時は甲子園球場にラッキーゾーンがあった)、ドラフトで悲劇のヒーローになり、プロ野球に入って1年目から活躍。1986年に記録した、打率.304、31本塁打、78打点は、高卒新人記録として今も破られていない。さらなる活躍をして球界を代表する打者になることを誰もが予想していた。
が、彼の栄光は徐々に陰りを見せる。当初は王貞治以上のペースでホームランを打っていたが、徐々に落ち込む。1997年に巨人に移籍するも期待されていたほどの活躍はできず、怪我にも苦しみ、2005年戦力外通告。翌年オリックスに移籍したが膝の怪我が治らぬまま2008年に現役引退。結局、ホームラン王も打点王も一度も獲得することはなく、“無冠の帝王”と呼ばれた。
現役引退後は野球解説者やテレビタレントとして活動していたのだが、やがて覚醒剤に手を出す。家族は家を出ていき、それがさらに覚醒剤の使用量を増やすことに。そしてとうとう2016年、覚醒剤取締法違反で逮捕。野球界からも実質的に追放されることとなった。絵にかいたような“転落人生”だ。
他人事であれば「絵にかいたような転落人生」で済むのだが、こうして本人による独白を読むと、胸が痛くなってくる。
清原和博という人は野球の才能にはめぐまれていたけど、それを除けばごくごくふつうの人だったんだろうなと本を読んでいておもう。ということは、もしも清原和博と同じ人生を歩んだなら、多くの人が心を折られてしまうんじゃないだろうか。
高校時代の回想。
日本一のバッターと呼ばれても、絶対の自信を持つことはできず、不安と闘う。
世間一般的には恵まれた野球人生を歩んできた天才バッター、豪放磊落な番長キャラとして認知されていたが、実際のところは不安と闘いつづけたごくふつうの人間だった。
一度は約束を反故にされた巨人への未練を捨てきれず、巨人に移籍。
だがそこには松井秀喜という、打者としても精神面でも一流の後輩打者がいて、「松井を敬遠して清原と勝負」という場面も増え、自信を喪失してゆく。
そして清原選手は“肉体改造”のため筋トレに励む。
ぼくの知人にも身体を鍛えている人がいるけど(ダイエットとか健康のためじゃなくてマッチョになるため)、みんな総じて繊細だ。自信がないから筋肉にすがるのだろう。ばかでかい車やバイクに乗る人もそうだが、強い鎧がないと不安で仕方ないのだろう。ちなみにぼくにとっての鎧は知識であったり読書であったりする。
清原選手は、年齢を重ねて成績が落ちてきた。部外者からすると「スポーツ選手が歳をとったらパフォーマンスが落ちるのはあたりまえじゃん。そういうもんだから次のステージを考えるしかないよね」とおもうんだけど、当事者からするとそうかんたんに受け入れられるものじゃないのかな。
年齢による衰えをとりかえすためにとにかく筋肉をつける、って素人のぼくから見てもそれはちがうだろとおもうんだけど、持っていたものを失いつつある人からするとそんなに平静ではいられないのだろう。「俺はこれだけやったんだという自信が欲しくてバットを振っていた」高校時代と、あんまりメンタルは変わっていなかったのかもな。
治療や手術を重ねても膝の怪我を治せなかった清原選手は、とうとうかつての輝きを取り戻せないまま現役を引退。
引退後も喪失感は消えず、酒を飲み、そして覚醒剤に手を出してしまう。
一流スポーツ選手や成功したミュージシャンなど、強い達成感や恍惚感を味わった人は、その反動で鬱病になりやすいという。ふつうの人がとても味わえないような昂奮を知ってしまうと、なかなか他のことでは埋められないのだろう。
この独白を読んでいておもうのは、清原和博という人間は、とにかく純粋でまっすぐな人だったのだろう。とにかくホームランを打ちたかった。人より遠くへボールを飛ばしたかった。そして観客を喜ばせたかった。
王貞治、イチロー、松井秀喜、大谷翔平といったスター選手は、自分を厳しく律し、なるべくメンタルを安定させ、常に高いパフォーマンスを出してきた。
だが清原和博はそういう選手ではない。サヨナラ安打(20本)、サヨナラ本塁打(12本)、オールスター通算打点(36打点)、オールスターMVP(7回)の最多記録を持っており、日本シリーズにも強い。「ここ一番」にめっぽう強く、その分、勝敗に関係ないような場面では成績が落ちた。期待されればされるほどバットで応える、そんな人間くさい選手だった。きっと野球が大好きだったのだろう。
そんな純粋な人間であるがゆえに、加齢、怪我、引退によってホームランが打てなくなると、その喜びをとりかえすことができなくなった。金銭や名誉が目的であれば他の手段で手に入れることができたかもしれないが、「大きなホームランが打ちたい」という欲求は、もうどうやっても叶えることはできない。
決して得られないホームランを求めつづけ、ホームランによって人生を狂わされてしまった男。
その人間くささこそが清原和博の欠点であり、魅力でもあったんだよなあ。仮にぼくが恵まれた身体と運動神経を持って生まれたとしてもイチローや大谷翔平にはなれないだろうけど、ひょっとしたら清原和博のような人生を歩んだかもしれないとおもわせる何かがあるんだよなあ。いろいろあったけど、今でもぼくにとってはスーパースターだ。
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