アントニー・ビーヴァー (著) 川上洸(訳)
イギリスの歴史作家が書いた、1945年(つまり戦争末期)の独ソ戦争の情景。
読んでいて感じるのは、おそらく意図的だろうが、数字が少ないこと。「○万人が命を落とした」といった事実の羅列はほとんどなく、体験談を中心に、ひとりひとりの生の物語を書いている。おかげで戦争の悲惨な光景が眼の前に立ち上がってくる。これがストーリーの力。教科書に書いてある「百万人が命を落としました」よりも、たったひとりの体験記のほうがはるかに強いメッセージを放つ。
第二次世界大戦のドイツといえばヒトラー、ナチス、ゲシュタポ、ユダヤ人弾圧、強制収容所……と、とにかく「ドイツはひどいことをした」話ばかりを教わった。
だがことはそう単純ではない。ドイツの人々も苦境にあえいだ。劣勢に追い込まれた1945年は特に。
こういう「戦時下での悲惨な暮らし」って、日本のものはよく知っているんだよ。いろんな小説や漫画や映像作品でも扱われているから。でも日本だけじゃないんだよな。どの国も同じなんだよな。
読めば読むほど、戦争でやることはどの国も同じだな、とおもわされる。
戦争末期のドイツにはびこっているのは根性論。決して退くな、最後の最後まであきらめず戦え。勝てる見込みのない無謀な作戦(まるで訓練されていない少年や老人で組織された国民突撃隊、武器を積んだ自転車で戦車につっこむという実質特攻隊……)、悪いことは知らせない大本営発表、冷静な意見は排除されて無謀なことを言うやつだけが重用される。
そして、威勢のいいことを言うやつほど真っ先に逃げ出すところもどの国もおんなじ。ドイツでも、無謀な命令で部下を死なせた上官が、いざ危なくなるとすぐに降伏したり逃げだしたりする。
想像力がないんだよね。想像力が欠如しているからこそ他人に強く言える。想像力が欠如しているから自分の身に危険が迫ったときのことを本当に想像できない。だから危険が現実のものになると泡を喰って逃げだす。少なくとも犬ぐらいの思慮があれば「逃げずに戦えばいい!」とは言いださないものだ。
戦争末期のドイツ国民は大いに苦しんだが、それは敵国に苦しめられたというよりむしろ、過去のドイツが自分自身にかけた“呪い”のせいだ。
逃げてはいけない、退却する兵士は殺す、上層部の指示に対する批判をするやつは粛清、ソ連の人間は劣っていて野蛮だ……。戦況が良いときはそれなりに効果を上げた言説が、劣勢に追いこまれたときには自分たちを苦しめる“呪い”となった。
どんなに戦況が悪くても退却できない、上層部が無謀な作戦を指示しても従うしかない、勝てるわけなくても赤軍に降伏できない……。自国の教えがすべて呪いとなって自国民にはねかえってくる。多くのドイツ国民たちは、赤軍に殺されたというより、自国の司令部に殺されたんだよな。もちろん日本も同じ。
「愛国心」なんて言葉は、他人をコマとして都合良く利用するための口実でしかない。
大戦前、大戦中のドイツはひどいことをした。でも、1945年のドイツで起こったことを読むかぎりでは、赤軍(ソ連軍)のほうがずっと悪だとおもう。
掠奪、強姦、無抵抗な民間人や子どもへの虐殺……。「ドイツにひどい目に遭わされたからその復讐」という気持ちもあっただろうが、それだけではない。ドイツ軍に捕らえられた捕虜や、ドイツに支配されていたポーランド人に対しても残虐の限りを尽くしている。
ドイツが悪くないとは言わないが、負けず劣らずソ連もひどい。
正しい戦争なんてないってことよね。戦場においてルールやモラルなんてかんたんに破られる。ルールを守っていたら死ぬから。正しいも悪いもない。戦場において兵士は基本的に悪をはたらく。あるのはばれるかばれないかだけ。勝てばもみ消せる。戦争の歴史は勝ったものの歴史だ。
スターリンやヒトラー、およびその取り巻きたちの話も多いのだが、読んでいておもうのは「なんと命の軽いことか」ということ。
ここに軍を投下、数万人が死ぬがしかたない、みたいな作戦の立て方をしている。将棋で歩兵を捨てるぐらいの感覚なんだろう。まあそれぐらい割り切ってないと軍略なんてできないのかもしれないが、「ちょっとタイミングがちがえば自分がその数万分の一の歩兵だったかもしれない」という想像力があればそんな作戦立てられないよな。想像力がないから戦争をできるのだ。
この本では、命を落とし、家族を失い、レイプされ、生活のすべてを奪われる市民たちの姿と交互に、各陣営トップたちの「政治」の様子も描かれている。
もはや大勢は決した。ドイツが負けるのはまちがいない。ソ連は英米より先にベルリンを落としたほうが戦後の世界情勢で有利に立ち回れる。なんとしてもベルリンを先に落とさねば。「祖国を守るため」の戦いならまだしも、政治のために命を賭けて戦わされる兵士たちが気の毒でならない。
そしてドイツはドイツで、負けることはわかっているが、ひどいことをしたソ連に占領されるより英米の占領下におかれるほうがまだ有利に事が運びそうということで、政治的な目的で降伏を遅らせる。その間にも市民たちがばたばたと死んでいるのに、政治のほうが優先される。
なんともやるせない話だ。国民が死ねば死ぬほど命の重さは軽くなってゆく。
戦時国際法で、捕虜や民間人への攻撃などを禁止しているけど、あまり意味がない。そんなのより「戦争が起こったときは元首、総司令官が最前線に立つこと」というルールをひとつ設けるだけでいいとおもうよ。それだけで、残虐行為や無謀な作戦はきれいになくなるだろう。それどころか戦争そのものも。
『同志少女よ、敵を撃て』でも引用されていたけど、いちばん印象に残った文章。
ドイツ国内に赤軍が攻めてきて市民たちが逃げまどっている列車での風景。
戦争が泥沼化して終わるに終われなくなる理由が「もし相手が勝ったなら、そしておれたちが占領地でやったことのほんの一部でも敵がここでやったら、ドイツ人なんか数週間で一人も残らなくなるんだぞ」という一文に表れている。
その他の読書感想文は
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