でかい顔の市
日本三大「市のくせに県よりでかい顔をしている市」といえば、神戸市、横浜市、金沢市であることは全国民が知っているところだ(次点で仙台市)。
奇しくも、神戸市には兵庫区があり、横浜市には神奈川区がある。「兵庫(神奈川)の中に神戸(横浜)があるんじゃない、神戸(横浜)の中に兵庫(神奈川)があるんだ」というために兵庫区(神奈川区)をつくったのだろう。あいつらならそれぐらいのことはやる。
だが石川区はない。そもそも金沢市は政令指定都市ではない。
金沢区はあるが、石川県ではなく、神奈川県横浜市の中にある。横浜はどこまでも貪欲だ。
おばけなんてないさ
童謡『おばけなんてないさ』の一番の歌詞はみんなよく知っているように
「ねぼけたひとが みまちがえたのさ」だ。
あまり知られていないが、あの歌は五番まであり、二番以降はAメロを二回くりかえす。
二番は「ほんとにおばけが でてきたらどうしよう れいぞうこにいれてかちかちにちちゃおう」
三番は「だけどこどもなら ともだちになろう あくしゅをしてから おやつをたべよう」
四番は「おばけのともだち つれてあるいたら そこらじゅうのひとが びっくりするだろう」
五番は「おばけのくにでは おばけだらけだってさ そんなはなしきいて おふろにはいろう」
いい歌詞だ。世界の広がりがある。
一番はただ今の心情を歌っているが、二番では「でてきたらどうしよう」と心配から空想になる。
三番、四番はその空想を発展。「ほんとにおばけがでてきたら」「こどもなら」「つれてあるいたら」と想像の上に想像を重ね、ともだちになったおばけと歩く空想までしている。
五番では「そんなはなしきいて おふろにはいろう」と一気に現実に引き戻される。夢オチみたいなものだ。ここだけ、前の章とのつながりが途切れているように感じる。
だが、“おばけだらけだってさ” “そんなはなしきいて”を読むと、歌い手におばけの話をしてくれた者がいることがわかる。それは誰か。おとうさんやおかあさんとも考えられるが、ぼくは“おばけのともだち”じゃないかとおもう。おばけのくにの話を聴かせてくれるのはおばけだろう。
つまり五番は現実に引き戻されたわけではなく、まだ空想の中にいるのだ。空想の中で空想のおばけから空想の話を聴いて、空想の中でおふろに入ろうとしているのだ。
どこまでも広がってゆく空想。空想に終わりなんてないさ。
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