2024年7月22日月曜日

【読書感想文】坪倉 優介『記憶喪失になったぼくが見た世界』 / 記憶は過去であり未来でもある

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記憶喪失になったぼくが見た世界

坪倉 優介

内容(e-honより)
18歳の美大生が交通事故で記憶喪失になる。それは自身のことだけでなく、食べる、眠るなどの感覚さえ分からなくなるという状態だった―。そんな彼が徐々に周囲を理解し「新しい自分」を生き始め、草木染職人として独立するまでを綴った手記。感動のノンフィクション。


 バイク事故で記憶喪失になった美大生の手記。

 記憶喪失は漫画やドラマではわりと使われるものだが、漫画で描かれる「ここはどこ? 私は誰?」という固有名詞や出来事だけを失った記憶喪失とは違い、この人の場合はほとんどすべてを忘れている。

 すべてというのはほんとにすべてで、おなかがすいたらご飯を食べるとか、おなかがいっぱいになったら食べるのをやめるとか、お風呂に入るとか、お風呂が熱すぎたらぬるくするなり早めに出るなりするとか、そういう「生きていく上での最低限の知識」すら失われているのだ。赤ちゃんに戻ったようなものだ。

 周囲の人からすると、たいへんなんてもんじゃない。すべてがリセットされているのだから。韓国ドラマでよくある(韓国ドラマ観たことないけど聞くかぎりでは)、記憶をなくした素敵な異性とめぐりあって恋に落ちて……なんて美しい展開になるわけがない。だって中身は赤ちゃんなんだもん。



 ぼくが高校生のとき、クラスメイトのKが記憶喪失になった。Kはラグビー部で、試合中に頭をぶつけて記憶をなくしてしまったらしい。しばらく学校に来ず、ひさしぶりに登校する日には担任が「Kは記憶がないが無理に思いださせようとすると負担になるので、記憶を刺激するようなことは言わないように」と言った。

 Kが登校してきても、ほとんど誰も話しかけられなかった。そりゃそうだ。だって記憶を刺激せずに会話をすることなんてどうやってできるのだ? (デリカシーのないやつだけは話しかけていたが)

 Kはあまり学校に来なくなってしまった(一応卒業はした)。ぼくはKとほとんど話さなかったのでわからなかったが、彼は記憶を取り戻せたのだろうか? それとも一部を損失したまま生きていたのだろうか?



『記憶喪失になったぼくが見た世界』で書かれる手記は、読んでいて言葉を失いそうになる。

 いままで見たこともない人が、家にきて、事故まえのぼくのことを話して、かえっていく。どうしてあの人たちは、ぼくのことを知っているのだろう。
 いつも家の中にいる人にきくと「それは友だちだから」と言った。それに、友だちでも、とくべつなかがいい人のことを、親友と言うこともおしえてくれた。だとしたら、この人たちも、いつもやさしくしてくれるから親友なのだろうか。そうきくと笑って、「アルバムをもってきてやれ」と言った。
 目のまえにおかれた物の中には、うすっぺらな人がいる。動かないし、なにも話さない。
 ひとりの人がアルバムを見ながら「これが赤ちゃんだったころのゆうすけよ」と言う。でも、赤ちゃんと言われても、わからない。
 かあさんが、ぼくのまえになにかをおいた。けむりが、もやもやと出てくるの見て、すぐに中をのぞく。すると光るつぶつぶがいっぱい入っている。きれい。でもこんなきれいな物を、どうすればいいのだろう。
 じっと見ていると、かあさんが、こうしてたべるのよとおしえてくれる。なにか、すごいことがおこるような気がしてきた。だから、かあさんと同じように、ぴかぴか光るつぶつぶを、口の中へ入れた。それが舌にあたるといたい。なんだ、いったい。こんな物をどうするんだ。
 かあさんを見ると笑いながら、こうしてかみなさいと言って、口を動かす。だからぼくもまた、同じように口を動かした。動かせば動かすほど、口の中の小さなつぶつぶも動き出す。そしたら急に、口の中で「じわり」と感じるものがあった。それはすぐに、ひろがる。これはなに。

 最初は文字も書けなかったそうなので、この手記はだいぶ後になってから書いたものだろう(そのため写真というものを知らないのに「アルバム」という言葉を使いこなすような妙な記述がある)。

 なのでリアルな感覚とはちょっと違うかもしれない。数年の間に記憶が書き換わっている可能性は高い。

 でも、赤ちゃんがぼんやりとおもっているのってこういうことなんだろうな、という気もする。少なくとも大人の思考よりは赤ちゃんの感覚に近そうだ。もしも赤ちゃんの思考を言語化することができたらこういう形になるんだろう。

 白飯を食べる前に「すごいことがおこるような気がし」て、食べた後は「舌にあたるといたい」と表現し、「こんな物をどうするんだ」と感じる。きっと誰しもが経験した感覚なんだろう。

 そういえばうちの子がはじめてイチゴを食べたとき「なんだこれ」って顔をしながら口に入れ「すっぱ!」という驚きを見せ、少し遅れて「あれでもこれ甘くておいしいな」という表情に変わり、「これをもっと渡せ!」と手振りで要求してきたなあ。あのときの子どももこんな気持ちだったんだろう。



 ちょっと気になったのが、この人の文章からは異性に対する関心がまったく読み取れないこと。若い男だったらたいてい持っているであろう性欲がまったく感じられない。記憶をなくす前に友人だった女性と再会するシーンでも、まったく関心がなさそうだ(もちろんほんとは強い関心を持っていたけどとりつくろって書いてないだけ、という可能性もあるけど)。

 幼児の感覚に戻っているので性欲も消えていたのだろうか。それよりもっと世界について知りたいから女どころじゃない、という感じなのかもしれない。

 そういや以前、断食をしていた人の話を聞いたことがあるが「腹が減っていたときはずっと食べ物のことを考えていて目の前をいい女が通ってもなんともおもわなかった。飯を食ったとたんにエロい気持ちが湧いてきた」と語っていた。もっと強い欲求の前では恋だの性だのは後回しにされるんだろうな。



 この人の手記は、現実離れしすぎていていまいち共感できない。

 すごくたいへんなんだろうな、とはおもうけれど、どんなに想像してもこの人の気持ちを理解することなんてできやしないだろうなともおもう。記憶なんてあるのがあたりまえだもん。「もし小学生に戻ったら」と想像することはあっても「もし0歳児に戻ったら」とはおもわない。だってそれってもう別人になるようなものじゃないか。

 本人にはあまり共感できないが、間に差し込まれるお母さんの手記を読むと胸が痛くなる。

 息子が事故で助かったと安心したのもつかぬま、赤ちゃんに戻っているんだもの。

 記憶を失くすということは、単に過去を忘れて今を生きるということではないのです。過去を失った人間は、こんなにもろいものかと、優介を見てつくづく思いました。

とお母さんは書いている。その胸の内、想像すらできないほどつらかっただろうなあ。


 このお母さん(とお父さん)、息子が記憶がなくして、文字も書けないのに、大学に通わせたり、またバイクに乗ることを許可したりしている。

 傍から見ると「それはどう考えても早すぎるだろ」とおもってしまう。文字が書けないのに大学に行ってもつらいだけだろ、と。

 でも「なんとかして元の姿に戻ってほしい」という強い焦りがそうさせたんだろう。言ってみれば、愛する人が一度死んで、「よみがえるかもしれない」とおもえばなんだってやるような気持ちだろう。藁にでもすがりたいだろう。

 それに大学に行ったことで、記憶はそんなに戻らなかったけど新たな生きる道を見つけられたわけだから、復学させたのは結果的には正解だったんだろうな。まあ記憶喪失の人に対して何をさせるのが正解かなんて、専門の医者ですらわからないんだろうけど。

 また心は赤ちゃんに戻っても、社会的には十八歳の青年で、ずっと世話をしてやるわけにはいかないわけだもんな。心配であっても本人の自立をうながすのもまた親心かもしれない。

 自分が親になったので、自分の子が記憶喪失になったら……とあれこれ考えてしまう。


 

 記憶がないことでいろいろな不自由を強いられ、一日も早く記憶を取り戻そうともがく著者。断片的に記憶は戻るものの、事故以前の自分には戻れない。

 だが記憶を失ったものとして大学に通い、日々を過ごすうちに新たな人間関係ができ、新たな生活ができるようになってくる。そして訪れる心境の変化。

 何年か前までは、昔の自分に戻りたくて仕方がなかった。どうしたら記憶が戻るのだろうと考え、高校時代と同じ髪型にしたり、事故の前に読んだ本やマンガを読み返したりした。
 今のぼくには失くしたくないものがいっぱい増えて、過去の十八年の記憶よりも、はるかに大切なものになった。楽しかったことや、辛かったこと、笑ったことや、泣いたこと。それらすべてを含めて、あたらしい過去が愛おしい。
 今いちばん怖いのは、事故の前の記憶が戻ること。そうなった瞬間に、今いる自分が失くなってしまうのが、ぼくにはいちばん怖い。ぼくは今、この十二年間に手に入れた、あたらしい過去に励まされながら生きている。

 

 記憶をなくして困るが、記憶がよみがえってもまた困る。

 この人の場合は、性格もぜんぜん別のものになったそうだ(と周囲の人たちから言われている)。性格も記憶によってつくられているんだな。認知症になったら性格が変わるというのも聞くし。

 ということは記憶というのはほとんど自分そのものなんだよな。過去であり、それと同時に未来をつくるものでもある。


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