マシュー・サイド(著) トランネット(翻訳協力)
(↑出版社HPの文章。「主席で卒業」じゃなくて「首席で卒業」だよね。学長じゃないんだから)
様々な研究結果をもとに、多様性がある組織がいかに強いかを解説した本。
たとえばCIA(アメリカ中央情報局)。当然ながらそこで働く職員は、みんな優秀な人たちだ。だが彼らは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を事前に見抜くことができなかった。実際にはテロリストの不穏な動きを示す様々なサインがあったので、多くの情報が集積するCIAなら事前に気づいてもおかしくなかった。
にもかかわらず彼らがサインを見落としていたのは、CIAの職員が白人、男性、アングロサクソン系、プロテスタントという似たバックボーンの人たちばかりだからだと著者は指摘する。
世の中には賢い人がいる。だが世界一賢い人でも、集団の力には適わない。
たとえば同じテストを100人が受ける。1位の人は95点だった。この人とまったく同じ考えをするクローンを4人集める。平均点は95点だ。
一方、テスト上位4人を集める。95点、94点、93点、92点の人たち。平均点は93.5点。
平均点は前者のほうが高い。だが実際の成績は後者のほうが良くなる。違った人たちを集めれば、足りないものを補い合えるからだ。
ここまでは納得しやすい話だろう。多様性は大事だ。最近SDGsだとかダイバーシティだとかよく聞くようになったけど、べつに道徳的正しさだけでなく、単純な損得のことを考えても、多様性は重要なのだ。
だが。多様性が大事だと理解していても、実現するのはむずかしい。
多様な人たちと同意するために話しあうのは大変なのだ。
なかなか答えの出ない問題(たとえば安楽死に対する議論のような)に対して、「日本生まれ日本育ちの世襲政治家四人」で話しあうより、「障碍者の高齢男性、外国人専業主婦、フリーターの青年、女子中学生」で話しあうほうが、様々な立場から異なる意見が出る分、良い答えは出やすい。でも、後者のほうがずっと大変でストレスのかかる作業になるだろう。
多様性が大事とわかっていても、それを実際の行動に落とし込むのは容易ではない。だから政治家でも企業でも「意思決定の場はおじさんばっかり」になっちゃうんだろうね。そしてちっとも賢明でない結論を導きだしてしまう。
多様性の実現を妨げる要因のひとつが、ヒエラルキーだ。
多様性が力を持つのは、それぞれの立場の人が臆することなく意見を言えるからこそ。だが人が集まるとヒエラルキー(上下関係)が生まれ、それが自由闊達な意見の交換を妨げる。
ヒエラルキーがあると、上司の意見に逆らえなくなる。結果的に「上司の言うことを復唱するだけのコピー」が量産されることになる。こうなるとメンバーに多様性があっても意味がない。
ヒエラルキーが部下を萎縮させる力はすごい。
なんと「上司に正しい意見を告げないと自らが命を落とす」ような場面ですら、人は意見を言うのをためらってしまう。実際、それが原因で多くの人が命を落とす登山事故や飛行機事故が起こっている。
それは、いわゆる“えらい”リーダーがいるから。えらいリーダーがいると、
「こんなことを指摘したらリーダーが機嫌を損ねるから」
「悪いことが起こっているのに気付いたが、とっくに上司は気づいているにちがいないとおもった」
などの理由で、メンバーたちの自由な意見を封じることになってしまう。
そこで、良い意見を集めて組織をブラッシュアップさせていきたいと考えるのなら、下からでもものを言いやすい“仕組み”が必要になる。「さあ忌憚のない意見を聞かせてくれ」でおもったことを自由に言えるなら苦労はしないわけで。
話す前に読む、地位の低い者から意見を言う、アイデアを匿名化する。なるほど、これならいろんな立場・性格の人から意見を集められそうだ。良いチームは良い仕組みを取り入れている。
逆に上司が「おれは~とおもうんだけど君たちはどうおもう?」なんてやってる会議は無駄だからすぐにやめたほうがいい。劣悪上司の劣化コピーをつくっているだけなので。
人間が集まると自然とヒエラルキーが生まれる。ただそのヒエラルキーには「支配型ヒエラルキー」と「尊敬型ヒエラルキー」の二種類があると筆者は書く。
前者は「おれが上の立場だからおれに従え」と居丈高にふるまうリーダーのいるヒエラルキー。後者は、知恵や人徳で周囲からの尊敬を集め、自然にできるタイプのヒエラルキー。言うまでもなく、後者のほうが自由闊達な議論がなされ、正しい決定を導きだす可能性が高い。
が、支配型ヒエラルキーにも(少ないながらも)いい面もあるという。それは、上意下達に向いていること。「法改正でこうなったから従うように!」のような、絶対に従わなきゃいけないルールを守らせるのは支配型ヒエラルキーのほうがスムーズだ。
だから軍隊でも官僚組織でも、末端に関していえば支配型ヒエラルキーのほうがうまくいくかもしれない。問題は、その意識のまま意思決定権のあるトップにまで昇りつめてしまうこと。こうなるとよくない。
「おれが言ったことに黙って従え!」タイプは旅団程度の小さな組織のトップ(つまり中間管理職)には向いているかもしれないが、師団や軍団のような決断を強いられるポジションには向いていない。なぜなら「おれが言ったことに黙って従え!」タイプのもとには価値のある情報が集まってこないから。耳に痛いことを進言してくれるタイプがいなくなるので(いても冷遇されてしまうので)、「リーダーが聞きたい情報」しか入ってこなくなる。政治家なんかでもよく見るタイプだね。
トップは黙って耳を傾けるだけ、みたいなのがあるべき姿なんだろうな。
「多様性」の恩恵を受けるには、必ずしも多様な人々を集めなくてもいい。なんとある実験によれば「外国に住んでいるところを想像する」だけで連想力が向上したという。
研究分野を切り替える科学者がいい論文を書くとか、楽器や芸術活動にいそしむ科学者のほうがノーベル賞受賞者が多いとかのデータもあり、「自分が多様な人間になる」ことで思考の幅が広がるのだそうだ。
イノベーションを生みだすのは、ひとりの天才ではなく、知恵が結集されたときだという話。
よく言われるのは、ビートルズがあの時代のリバプールという小さな町で誕生した奇跡について。あれはべつに「世界的な音楽の才能にあふれる四人がたまたま同時期・近い場所にいた」のではなく、「そこそこ音楽の才能があった四人がいて相互に影響を与えたから世界的なバンドになった」のだろう。すごい人とすごい人がお互いに影響を与えあうことで、それぞれがもっとすごい人になる。
若い頃は「すごい人間になりたい」とおもって孤高の存在にあこがれたけど、社交的になってすごい人間の近くにいくことのほうが大事だったんだなあ。中年になってから気づいたよ。もっと早く気づきたかった。
互いに影響を与えあってイノベーションを生み出すのは個人だけでない。企業もまたそうだ。
1960~1980年代には、ルート128と呼ばれるボストン周辺の企業が繁栄を極めていた。だが、やがてイノベーションの舞台はシリコンバレーへと移ってゆく。その原因は、ルート128は互いに孤立していたからだと著者は指摘する。
「成功の秘訣」だとおもっているものなんて、大した価値はない。ほんとに貴重なアイデアは特許をとるだろうし、人を囲い込もうとすればかえって有能な人ほど離れてゆく。
そういえば。独創的なアイデアでもなんでもないけれど。
高校生のとき、ぼくは数学がよくできた。ほとんどのテストで満点だった。だから数学の授業の前になると、友人や、そんなに親しくもない同級生がぼくのもとに集まってきた。「宿題教えてくれ」「これどうやって解いた?」と。ぼくはどんどん教えた。親切心というより、教えるのは優越感を味わえて楽しいから。結果、ますますぼくは数学ができるようになった。他人に教えることで自分の思考も整理されるし、他人の解法を見ることで新たな発見もある。陥りやすいミスにも気づける。
自分の発見やアイデアなんてどうせたいしたことはない。どんどん他人に公開したほうが、結果的によいものが生まれる。
一方。多様性は重要だが、単に多くの人が集まると、かえって多様性は損なわれるという話。
大人数が集まる大学だと、自然と人種や階層ごとにコミュニティが生まれ、その中だけで過ごすことになる。反面、人数の少ない大学では、いやおうなくいろんな人種・階層の人が話す機会が増え、結果的に交流の多様性が高まるという。
SNSも同じで、全世界のあらゆる人とつながれる……というのはあくまで理論上の話で、実際は自分と似た属性・思考の人たちばかりフォローするようになってしまう。そのため多様な考えに触れるどころか、自分がもともと持っていた考えを補強するような意見ばかり集めてしまう、余計に思想が先鋭化してしまうのだ。
ぼくもいっとき旧Twitterで政治系のアカウントをあれこれフォローしていたからよくわかる。なるべく多方面の意見を見ようとおもっていても、やっぱり自分と真逆の考えに触れるのはストレスが溜まるから、どうしても近い思想の人ばっかりフォローしちゃうんだよね。それに気づいてもうSNSはほぼ見ていない。
それまでの流れとはちょっとちがうけど、『平均値の落とし穴』の章もおもしろかった。
「~は身体に良い」とか「~の食べすぎには要注意」なんていうが、あんまりあてにならないようだ。人間の身体というのは、我々がおもっているよりずっと多様で、それぞれ異なる性質を持っている。だからアイスクリームを食べると不健康になる人もいれば、アイスクリームで健康になる人もいる。
「~は身体に良い」というのはまったくの嘘ではないが、あくまで平均の話。そして身長・体重・その他あらゆる数値がすべて平均通りの人がいないように(すべて平均通りだとしたらその人はかなり異常だ)、みんな平均からそれぞれ離れている。
「~は身体に良い」の類は眉に唾をつけて聞いといたほうがいいね。
最近では個人の血糖値データなどを測定して「この人にとっては~が血糖値を下げるらしい」といった診断もできるようになってきているらしい。それが一般化したら「同じ食事が誰に対しても同じ効果を上げるとおもっていたなんて21世紀初頭はなんて乱暴な時代だったんだ!」となるかもしれないね。
ということで、ついつい引用が長くなってしまうぐらいおもしろい箇所だらけの本でした。ただ「多様性が大事!」だけじゃなくて、なぜ大事なのか、どうすれば多様性は損なわれるのか、それを防ぐためにはどうしたらいいか、などまで書いてくれているのがいいね。
その他の読書感想文は
こちら
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