限界国家
人口減少で日本が迫られる最終選択
毛受 敏浩
みんな知っているように、日本の人口は減少している。
これから先もどんどん減る。少なくともあと百年は自然人口増加に傾くことはないだろう。
「いやなんとかして増やせ!」といってもそれはムリ。そもそも二十代三十代が減っているんだから、増えるわけがない。
「じゃあ人口減を受け入れていくしかないか」と諦められるかというとそれも厳しい。
なぜなら全体的に縮小していくのではなく、高齢者は増え、働き手が減っているからだ。
このような人口構成の変化を受け入れるということは、医療や介護や治安やインフラや教育や国民の便利な生活などを捨てるということである。
「昔は良かった」と口にする人だって、日本だけが百年前の暮らしをすることを望んでいるわけではまさかあるまい。
生産性を上げれば経済成長するとか、イノベーションを起こせば生産性は向上するとかいう人がいるが、圧倒的多数の老人に支配されている国で生産性が上がったりイノベーションが起こる可能性が高いとおもっているのなら、その人の脳内は相当お花畑だ。
人口は減る、その中で少なくとも今の生活水準を保つにはどうしたらいいのさ?
……という問いに対する著者の回答が「移民の受け入れ」だ。
まったく同感。
移民の増加以外に、日本人が「今の暮らしをそこそこ保つ」方法はない。
だが、移民に対する反発はまだまだ強い。
「治安が悪くなる」「日本人の仕事が奪われる」といった、ぼんやりとした不安を抱えている人は多い。ぼくもそうだった。
今の日本は人手不足だし、この程度はこの先どんどんひどくなる。仕事を奪われる心配よりも働き口そのものが消失する心配をしたほうがいい。
高度経済成長期は働き手がどんどん増えていったわけだけど、仕事を奪われるどころか仕事はどんどん増えていった。
なぜなら労働者は消費者でもあるからだ。どんどん来てどんどん稼いでどんどん使ってくれれば、日本人にも恩恵があるはず。
無制限に受け入れるならともかく、ちゃんと移民の属性や量をコントロールすれば、好影響のほうが多いはず。
移民増加による治安の悪化を心配する人も多いが、むしろ今の移民受け入れに消極的な姿勢こそが治安の悪化を招いていると著者は指摘する。
居場所も行政が管理しやすい。犯罪をしたら強制送還される。
ふつうに考えれば、移民のほうが犯罪をやりにくいんじゃないだろうか。
ところが「治安が悪くなるから」という漠然とした理由で移民受け入れに反対していたら、本当に治安を悪くするような外国人しか来てくれなくなる。
また技能実習生制度に代表されるように来日外国人の待遇が悪いから、まともな仕事を続けることができなくなって犯罪に走るようになる。
移民に対する偏見・差別こそが外国人犯罪を生んでいるのだ。
移民は受け入れたほうがいい。
これはもうぜったい。
だが問題は、日本で働きたい外国人がいるのか、という問題だ。
たとえばぼくが外国人で「海外に出稼ぎに行きたい」とおもってたとして……。まず日本は選ばない。
だってぜんぜん魅力的じゃないもん。排他的だし、日本語はつぶしがきかないし、衰退途上国だし。
三十年前の日本ならいざしらず。
「どうやって来てもらうか、どうやって受け入れていくか」を議論しなければならないのに、まだ「受け入れて大丈夫か」とのんきなことを議論している。
すでに「移民受け入れの絶好のタイミング」は失われつつある。
かつては日本に働きに来ることの多かった中国人は、自国が経済成長しているのでどんどん来なくなっているらしい。
他の国も後に続く。
そりゃそうだろう。
ただでさえ独自の言語である日本語というハンデがあるのに、政府が受け入れに積極的じゃないんだから。
前にも書いたけど、問題は人口が減ることそのものより、日本の多くのシステムがいまだに「人口が増え続けること」を前提としたものであることなんだよね。
自動車とか住宅とかまちがいなく衰退産業でしょ。人口が減るんだから。だからってただちになくせとはいわないけど、縮小させてゆく心づもりをしなくちゃならない。
いまだにものづくり大国とか言ってんだから笑っちゃう。
竹田 いさみ『物語オーストラリアの歴史』によると、オーストラリアはかつては白豪主義という差別的な方針をとっていたが、今ではどんどん移民を受け入れてうまくやっているそうだ。
日本の最大の弱点は「状況が悪くなっていること」ではなく「状況が悪くなっているという事実を受け入れられない」ところかもしれない。
全体的に「移民受け入れが必要、受け入れるためにやることはたくさんある」著者の主張には賛成なのだが、以下の考え方にはまったく賛同できない。
こういう考え方、すごく嫌い。
手段と目的が入れ替わっている。
「不便になる」のが嫌だから「人口減少を止める」話をしてたはずなのに、「人口減少を止める」ことが目的になって、そのためなら「なにがなんでも」やるべきだと言っている。
本末転倒だ。
すべての地域を守るのは不可能だ。
だいたい、今日本人が住んでいる土地の多くはここ百年以内ぐらいに切り開かれた土地だ。
本来なら人が住めるような場所ではなかった場所に、人口が増えたからという理由でむりやり住んでいる。
だから人口が減ったら見捨てるのはいたしかたない。
(ぼくも戦後に切り開かれた住宅地で育ったのでふるさとが消滅する可能性があるが、悲しいけどそれもやむをえない。思い出を守るために不便な生活はしたくない)
間引きをしないとすべての果実が大きくならないのと同じように、消滅集落をどんどんつくるのが共倒れを防ぐ方法だとぼくはおもう。
移民受け入れはいいとおもうんだけど、この本の論調は移民受け入れそのものが目的になっているフシがあるなあ。
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