2020年10月9日金曜日

【読書感想文】老人の衰え、日本の衰え / 村上 龍『55歳からのハローライフ』

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55歳からのハローライフ

村上 龍

内容(e-honより)
晴れて夫と離婚したものの、経済的困難から結婚相談所で男たちに出会う中米志津子。早期退職に応じてキャンピングカーで妻と旅する計画を拒絶される富裕太郎…。みんな溜め息をつきながら生きている。ささやかだけれども、もう一度人生をやり直したい人々の背中に寄り添う「再出発」の物語。感動を巻き起こしたベストセラーの文庫化!

小説のうまい現代作家は誰かと訊かれたら(誰がそんなこと訊くんだ)、ぼくは村上龍氏だと答える。
特に短篇のうまさには舌を巻く。『空港にて』は目をひくような派手な仕掛けはないが、ぼくの好きな短篇集のひとつだ。

『55歳からのハローライフ』もやはりすばらしい出来だった。
アールグレイ、ミネラルウォーター、コーヒー、プーアル茶、日本茶といった飲み物がそれぞれの中篇でいい小道具として機能している。うまいなあ。

登場人物は、夫と離婚して結婚相談所に登録した女性、ホームレスになった旧友と再会する男性、早期退職後に再就職をめざすがうまくいかない男性、夫の代わりであるかのように愛情を注いでいたペットの犬が死んでしまう女性、トラック運転手として働いていたが今は孤独を抱えて暮らす男性。主人公はいずれも五十五歳ぐらい。村上龍氏と同世代であり、団塊の世代でもある。

老後、経済状況、健康、仕事、夫婦関係、家族、介護、生き甲斐。事情は異なるがみんなそれぞれ不安や悩みを抱えている。
そのどれとも無縁で生きられる人はいないだろう。ぼくはまだ三十代で今のところは大した悩みもなく生きているが、あと何十年かしたら確実に同じ問題に直面することになる。いやひょっとしたら一年以内に悩むことになるかもしれない。

『55歳のハローライフ』は、こうした悩みに対してハッピーな解決も明確な答えも出してくれない。
それでいい。答えなんかないし、解決することもまずない問題なのだから。



高齢者の悩みが深刻である最大の理由は、この先よくなる見通しが立たないことだろう。

若ければ貧乏でも仕事がなくても病気になっても恋愛がうまくいかなくても家族とうまくいかなくても、いつかは好転する可能性がある。
だが歳をとると、たいていの物事は悪くなる一方で良くなることはまずない。
高齢者の自殺が多いというのもわかる気がする。クサいことを言いたくないけど、やっぱり〝希望〟がないと人は生きていけないものだ。

『55歳のハローライフ』で描かれる閉塞感は、高齢者の閉塞感であると同時に、今の日本の閉塞感であるように感じる。

55歳の悩みが好転する可能性がほぼないのと同じように、高齢化した今の日本の問題が好転することもまずありえない。
経済、人口構成、財務状況、仕事、国際競争力、都市の老朽化……。今後よりいっそう悪くなることはあっても、長期的に改善することはまずないだろう。
この先、生きづらい国になることはほとんど宿命づけられている。

『55歳のハローライフ』で描かれる問題は、日本全部の問題だ。
すっかり年老いて、これから衰退していく一方であることがわかりきっている国。

『55歳のハローライフ』に出てくる人たちは、まだ幸せなのかもしれない。自分の老いの問題だけを抱えていかなくてはならないのだから。
それより下の世代は、国の老いもいっしょに背負いながら老いていかなくてはならないのだ。



『キャンピングカー』より。

 富裕の計画とは、中型のキャンピングカーで、妻と日本全国を旅することだった。夢といってもよかった。アメリカの映画などを観ると、退職したあと、キャンピングカーを大自然の中を旅する夫婦がよく登場する。単なる観光旅行ではない。思うままに好きなところを訪ね、美しい山や海や湖を眺めながら時を過ごすのだ。計画は、妻には内緒にしていた。びっくりさせようと思ったのだ。(中略)妻はもともと温泉好きだったし、喜ぶに違いなかった。絵が趣味で、何度も美術団体展で入賞し、友人が経営する喫茶店などを借りて個展を開くほどの腕前だった。子どもたちが働きはじめてからは、近所の文化センターで水彩画と油絵を教えている。北海道ニセコや九州阿蘇の雄大な風景を前にして、スケッチしている妻と、その素子を救笑みながら見守りコーヒーを沸かす自分の姿を、富裕は何度となく思い描いた。

この文章を読んで「あーこれはだめなやつだ……」とおもわなかった人は離婚に気を付けたほうがいい。

結婚生活でいちばん大事なことは「ひとりの時間をもつこと」だとぼくはおもう。自分が結婚してよくわかった。
結婚前は四六時中ずっといっしょにいられたが、それは一日二日のことだからだ。毎日いっしょにいるのはきつい。
「ひとりの時間」というのは自分ひとりの時間でもあるし、妻ひとりの時間でもある。

うちの家の土曜日の夜の過ごし方。
子どもが寝た後、ぼくは本を読んだりパソコンでブログを書いたり。妻は別の部屋でアニメを観たり手芸をしたり。まったく干渉しない。「何してるの?」とか「それなんて本?」とかの会話もない。
同じ家にはいるが、極力関わろうとしない。電車のボックス席にたまたま乗り合わせた他人と同じだ。
この「お互い口を聞かない時間」がすごく大事なのだ。

結婚相手に求める条件として「趣味が合う」はよく言われることだが、趣味は合わないほうがいいとおもう。
「嫌いなタイプが一緒」「好きな味付けが一緒」という意味での趣味が合うことは大事だけど、「登山が好き」とか「映画鑑賞が好き」とかの趣味はむしろ合わないほうがいい。

夫婦で旅行なんてぞっとする。
妻は妻で友だちと旅行、夫は夫で友だちと旅行。そんな夫婦のほうがうまくいく気がする。

この小説の「妻とのキャンピングカー旅行を計画。しかも妻には内緒で」なんて最悪だ。
これで喜んでもらえるとおもっているのがどうしようもない(実際この後妻から断られる)。
こんなことするぐらいなら、まだ「女ともだちと旅行」のほうがマシなんじゃないかとおもうぐらい。


ぼくがこの世でもっとも理解不能な職業のひとつが夫婦漫才師だ。
家でもいっしょにいて、ふたりで仕事をする。
よく発狂しないものだとおもう。
ぼくだったらぜったい無理だ。
桑田佳祐と原由子がソロ活動したくなるのもわかる。


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