2020年10月27日火曜日

姉という厄災

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七歳の長女と二歳の次女を見ていておもう。

次女にとって、長女の存在は〝厄災〟かもしれない、と。


ことわっておくと、長女は基本的に妹に対して優しい。

自分のおこづかいで妹のために千円ぐらいのおもちゃを買ってあげたりする。誕生日でもなんでもない日に。優しすぎて涙が出る。ええ子や……。

そういう面もあるが、妹が自分の持ち物にふれると怒る。

まあ当然といえば当然だ。

なんせ二歳児ときたら、たださわるだけではあきたらず、折れるものは折り、曲げられるものは曲げ、書けるものは書き、はずせるものははずし、バラバラにできるものはバラバラにするのだから。キノコや細菌に匹敵するぐらいの分解者だ。

だから妹が自分の持ち物をさわっていたら、問答無用でひったくる。

親なら「ごめんね、これは大事なものだから遊ぶのはやめてね。その代わりこっちで遊んでいいから」といったソフトなアプローチをするが、姉はそんなことしない。
中国共産党のように強大な力のみで解決する。

妹は泣きわめいて、親に泣きついてくる。

わけもわからず遊び道具をひったくられて泣いている二歳児が気の毒ではあるが、だからといって長女に「学校の宿題のプリントぐらいびりびりに破かせてあげなさい!」と説教するわけにもいかず、次女に対しては「そっかー。せっかく楽しく遊んでたのになー。悲しかったんやなー」と共感してやることしかできない。


そんなことをくりかえすうちに、二歳児なりに学習したらしい。

姉が使っているものには決して手を出さない。
はるかに強い力でひったくられるだけだと知っているから。

しかし、姉が席を外すと、すかさず姉の机に近づき、おもちゃや勉強道具で遊びだす。
姉はぜったいにかなわない相手だと知っているので、ちゃんと目を盗んでいたずらをするのだ。

これは、〝厄災〟に対する人類の接し方といっしょだ。

地震だとか噴火だとか台風だとか猛暑だとかの天災に対しては、基本的に「やりすごす」ことしかできない。

地震や噴火を鎮めたり天候を操作することはできない。
だから大規模な厄災に対しては、「なるべく被害の大きい地域から離れる」「じっとしてひたすら身を守る」みたいな対応しかできない。

真正面から立ち向かっても太刀打ちできるはずがない。


妹にとっての姉の存在は〝自然〟のようなものなのだろう。

恩恵をもたらすこともあるが、ときどき猛威を振るう。そういうときにはどうあがいても対抗できず、ただ距離を置くだけが唯一の対策となる。

こうして圧倒的な力の前にはただひれふすことしかできないと学ぶのも必要だ。
世の中には理不尽なこともたくさん起こるのだから。

君よ、強く育て。


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