少女葬
櫛木 理宇
おおお……。
「ちょっとイヤな気持ちになる小説」は好きなんだけど、これはキツかった……。
めちゃくちゃイヤだった。
小説は寝る前に読むことが多いんだけど、『少女葬』を途中まで読んでそのまま寝るのはイヤだったので、他の本でいったん口直ししてから寝ていた。
この小説のことを考えたくない! という気持ちになった。
おもしろくないわけじゃないんだよ。
めちゃくちゃ引きこまれるんだよ。引きこまれるというより引きずりこまれるといったほうがいいかもしれない。
だからこそ「この小説の世界から抜けだしたい!」という気持ちになる。
「途中の展開も後味も最悪」ということを覚悟してから読むことをおすすめする。
まず冒頭で、少女が壮絶なリンチの末に殺されることが明かされる。
ある少女が死に、別の少女がその死を弔っているシーン。
時間がさかのぼって、シェアハウスで暮らすふたりの少女が描かれる。
読者には「このふたりのどちらかがやがて殺されるんだな」とわかる。
バッドエンドがわかっているので、ページを読み進めるのがつらい。
ページをめくっていけば確実に凄惨なラストが待っているんだから。
ふたりの少女、綾希と眞実の境遇は似ている。
問題のある親に育てられ、家出をし、安いだけがとりえのシェアハウスに転がりこむ。
シェアハウスの住人はモラルのない人間ばかり。
風俗嬢、もうすぐ死にそうな病人、犯罪に手を染めているらしい人間。持ち物が盗まれたり他の住人に嫌がらせをしたりするのが当たり前の環境だ。
劣悪な環境で身を寄せるようにして心を通わせる綾希と眞実。
だが、彼女たちの運命は徐々に開きはじめる。
綾希は優しい人たちに出会い、将来について考えるようになり、仕事で金を稼ぐ喜びを知り、ささやかな幸せを手にするようになる。
眞実は金をばらまくように使い派手な暮らしをしている連中と交流を持ち、快楽と虚栄を追いかけるようになる。
さあ問題は「どちらが殺されるのか?」である。
ふつうに考えれば、眞実のほうだ。
明らかに良からぬ仕事をしている連中と付き合っている。仲間には一見優しいが自分にとって必要なくなったとおもえばかんたんに牙を剥く連中ばかりだ。
だが、そうかんたんに話は進むのだろうか。
あえて序盤で「どちらかが殺される」ことを示し、眞実のほうはどんどんヤバい世界に入っていく。
あからさまな「死亡フラグ」だらけ。
これはミスリードでは……?
ってことは綾希のほうが?
えっ、暴君の父親とその言いなりになっているだけの母親のもとから抜けだして、読書を愛し、劣悪な環境でも決して水商売の道には進もうとせず、悪い誘いははねのけ、優しい人たちに囲まれ、まじめにこつこつ働いて新たな道を切り開こうとしている綾希が?
それはいやだ。それだけは。
いくらフィクションとはいえ、こっちの子がむごたらしく殺されるなんて、そんなことがあっていいはずがない。
頼む、眞実のほうであってくれ……。
と、祈るようにしてページをめくる。
そして気づく。
眞実だって殺されるようなことはなにひとつしていない。
やはり置かれた境遇が悪かっただけで、ちょっと世間知らずだっただけで、人を傷つけたり他人から奪おうとしたわけじゃない。
居場所が欲しいと願い、いい暮らしがしたいとおもい、助け合える仲間が欲しいと望んだだけ。
誰にでもある欲望を叶えようとしただけ。
ただ近寄ってきた人間が悪かっただけ。めぐりあわせが悪かっただけ。
ちょっとタイミングがちがえば、眞実も綾希のように平凡な幸せをつかめたはず。
ぼくらは痛ましい事件のニュースを見ると、被害者に同情するとともに、被害者の落ち度を探してしまう。
「あんな人についていったのが悪かったんだ」
「夜道をひとりで歩いてたせいで」
「悪いやつらと付き合ってたんだからそういう危険はあるよね」
と。
「だから殺されて当然だ」とまではおもわないが(言う人もいるが)、心のどこかで「被害者にも落ち度はあったのだ。自分はそんなへまはしない」と考えてしまう。
そう考えるほうが「めぐりあわせが悪ければ、殺されたのは自分や家族だったかもしれない」と考えるよりずっと楽だからだ。
でも、残念ながら世の中はそんなに単純じゃない。
善人であっても用心深くても強欲でなくても理不尽に殺されることはある。つまらない理由でひどい目に遭わされることがある。
悪人が最後に笑うこともある。
地震に遭うかどうかは日頃のおこないとまったく関係がないのと同じで。
「頼む、殺されるのは眞実のほうであってくれ! 綾希は幸せになってくれ!」と願いながら読む己の姿に、「被害者の落ち度を探す自分」を発見した。
ちなみに、綾希と眞実のどっちが殺されるかは読んでたしかめてください。
確実にイヤな気持ちになるのでおすすめはしないけどね。
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿