2020年10月7日水曜日

【読書感想文】貧すれば利己的になる / 藤井 聡『なぜ正直者は得をするのか』

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なぜ正直者は得をするのか

「損」と「得」のジレンマ

藤井 聡

内容(e-honより)
財布を拾っても交番に届けない人や、チップ式トイレでお金を払わない人が跡を絶たない。本書では、そんな利己主義者が損をして不幸になり、実は正直者が得をして幸せになることを科学的に実証!さらに、利己主義者が正直者のふりをしても簡単に見透かされる心のしくみを解き明かす。どんな性格の人が結果的に得をし、幸せになれるのか。生きる上で重要なヒントを与えてくれる画期的な論考。

藤井聡さんの『超インフラ論 地方が甦る「四大交流圏」構想』や『クルマを捨ててこそ地方は甦る』はおもしろかったのだが、これはイマイチだったな……。
都市工学を語らせたらおもしろい人なんだけどな……。


本の内容としては、
「正直者が馬鹿を見るというけれど、じつは利己的な人は長期的には損をするんですよ。昨今の日本では利己的な人が生きやすいように制度設計されているのでますます利己的な人が増えて社会全体が衰退に向かっているけど、正直者が得をするという前提で制度設計していけば全体としてハッピーになるよ」
ってなことを書いている。

主張自体は納得いくし個人的にはおおむね賛同できるんだけど、どうも結論ありきでそれに合致する実験例などを持ってきている感がする。
希望的観測が含まれすぎているというか。

囚人のジレンマゲームなどを引き合いに出して
「利己的な者ほど損をする選択をする」
って主張してるんだけど、それって因果関係が逆なんじゃないの? とおもう。

利己的な者が損をするんじゃなくて、貧しくなれば利己的な行動をとるようになるんじゃないかとおもうんだよね。

経済的に余裕があれば
「信頼して金を貸してあげるよ」「友だちが困っていたら助けてあげるよ」「人助けのために金を使う」
といった選択ができる。
ギリギリの状況で生きている人は余裕がないから
「自分さえよければいい」「失うものはないんだから今さえよければ後がどうなったっていい」「自分の選択で社会がめちゃくちゃになってもかまわない。むしろ自分を苦しる社会なんか壊れたほうがいい」
って選択になる。
ぼくは毎月、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)にわずかばかりの寄附をしてるけど、これは自分の生活に余裕があるから自己満足を買うためにやっているだけだ。
自分の生活が傾いたら真っ先に切る出費である。金に余裕があるから利他的な行動をとれるのだ。

もちろん世の中には困窮しても襟を正して人道的に生きる人もいるし、困ってないのに助成金など使えるものはなんでも使うぜっていう性根が卑しい人もいる。
けどやっぱり一般的な傾向としては、貧すれば利己的になる。

それをもって「ほら利己的な人ほど貧しいデータがあるんですよ」っていうのは、あまりにも貧乏人に厳しい。




 以上のような背景から、「人間は純粋なる利己主義者である」という前提に立つミクロ経済学の論理を信じる人々は、市場原理主義に陥り、公営企業の民営化や、規制緩和、構造改革を推し進めるべし、という意見を持つに至るのであるが、もし仮にミクロ経済学について全く無知であったとしても、「人間は純粋なる利己主義者である」と強固に信じれば、それだけで民営化論や規制緩和、構造改革の推進に、大いに賛同するようにもなり得る。なぜなら、「人間は純粋なる利己主義者である」と信じる人間は、「公共のために働く人や組織が存在する」ということそのものを信じることが不可能であり、行政不信にならざるを得ないからである。

(中略)

 したがって、公務員が仕事をする基本的な動機は、利己的なものではなく、あくまでも公的なものなのである。  しかし、「人間は純粋なる利己主義者である」と信じている人には、「公務員が、公共的な動機に基づいて、行政上の判断を行っている」というこの事実が、どうしても受け入れられない。それゆえ、彼らは、公務員が様々な行政活動を行っている背後にも、必ず何らかの利己的な動機が潜んでいるだろうと「勘ぐる」ようになる。

藤井聡さんは橋下徹氏とよく喧嘩してるらしいけど、その根底にはこういう考えがあるからなんだろうな。
維新の会って「人間はすべからく利己的である」という思想に基づいて政策決定してるもんね。そりゃぶつかるわ。


いっときほどではないが、今でも「公務員叩き」は存在する(十数年前はほんとひどかった)。
特にぼくの住んでいる大阪は、〝お上嫌い〟の風潮が根強いので、よりその傾向が強い(だから大阪維新の会が人気があるんだろう)。

じっさい公務員の中には不祥事をする人もいる。
けど、総じてみれば公務員は民間企業にいるより優秀な人が多いし(なにしろ公務員試験をくぐりぬけているのだから)、仕事熱心な人も多い。
できる範囲でいい世の中にしようとおもって働いている人がほとんどだ。

それを「公務員はノルマがないから放っておくとすぐにサボる。監視を厳しくしよう」なんてしたら、監視コストはかかるし、公務員のモチベーションは低下するし、いいことなんかない。

「おれはバレなければすぐにサボる」という利己主義者は、他人も自分と同じにちがいないと思いこんでしまう。
あんたがなくしたがっているズルは己の中にあるんだぜ。


よく考えてみたら、公務員が問題を起こしたときだけ「税金返せ!」と声高に叫ぶのはヘンだよね。
お菓子メーカーの社員が不祥事を起こしたからって「おれが払ったお菓子代をそんなことに使いやがって! お菓子代返せ!」とは言わないのに。

どっちも同じことじゃない。
自分は被害を受けていない。
お菓子メーカーの社員が不祥事を起こしていなかったとても百円のポテトチップスが九十円になっていたわけではない。
それと同様に、公務員が問題を起こそうが起こすまいが自分の徴収される税金は変わらない。

なのに「税金返せ!」って言うのは、文句を言いやすいところに言ってるだけだよね。
(まあ政権政党にだけ極甘な検察はマジで国民全体の奉仕者じゃないので給料返上してほしいとおもうけど)

だいぶ話がそれた。
ま、公務員を叩いても誰も得をしないどころか全員が損をするのでやめましょう、ってことです(正確にいえば、公務員叩きで票を獲得する政治家のみが得をする)。あ




規制緩和、構造改革について。 

 これまで論じてきたことに基づけば、利己主義者を規制する社会的規範が存在しているなら、そのジレンマを回避することができるであろうことが、ごく自然に考えられるようになる。(中略)しかし、今日の日本では、構造改革や規制緩和という名称の下、様々な社会的ジレンマ問題における社会的規範が、一つひとつ撤廃されていったのである。
 もちろん、政府は日本社会を破壊しようと考えて、そうしたのではない。そうすることで市場が活性化するだろうと期待していたのであり、それはむしろ「よかれ」と思って実行したことだった。
 しかし、遺憾ながら、その期待は多くの場合、裏切られてしまった。タクシー問題において、そうであったことは述べたが、同様の問題が、都市計画の分野における自由化でも、派遣労働の自由化でも、そして、郵政の自由化においても、生じてしまったのである。ただし、こうした結果がもたらされるのは、社会的ジレンマ研究の見地から考えれば、当たり前のことであった。なぜなら、緩和されたその規制とは、そこに潜む社会的ジレンマを〝飼い慣らす〟ために、社会が長い時間をかけて編み出してきたものだったからである。それゆえその規制が撤廃されるや否や、それまでおとなしくしていた、様々な社会的ジレンマが〝暴走〟し、利己主義者が跋扈する事態を招いてしまったのである。

規制緩和だの岩盤規制改革だの構造改革だのといった言葉は、「なんかやってる感」を演出するのにうってつけで、派手なパフォーマンスを好きな為政者に好まれやすい。

こういう考えを、ぼくもかつては支持していた。
既得権益を吸ってうまいことやってるやつは許せない! と。

で、今世紀初頭ぐらいに流行って、いろんな規制緩和がなされて、その結果どうなったか。弱肉強食がいっそう進み、持てる者はさらに富み、持たざる者は搾取され疲弊していった。

業界内で「まあまあ持ちつ持たれつでやっていきましょう」というなれ合いの関係はたしかに公平ではないが、メリットもあった。横同士の競争にリソースを割かなくて済むことだ。

誰でも参入可能とするのは公平だが、小さいものが知恵や戦略で勝つ余地はほとんどなくなり、大資本を持つもの(そして多くは海外資本)が根こそぎ奪っていく世の中になった。
そして終わりなき価格競争にさらされて誰もが疲弊している。

はたしてその〝自由〟は幸福につながったのかというと、甚だ疑問だ。
世の中には自由じゃないほうがいいことはいっぱいある。


体重別の階級もなく、外国人力士の参入が容易になった大相撲のようだ。
力士の大型化が進み、でかくて力が強い者が勝つようになり、番付上位は外国人力士だらけになった。
それが悪いというわけではないが、軽量力士が技で勝てる時代はもうやってこないだろう。





この本でくりかえし語られる
「利己主義者は必ず敗北する」
という主張は楽観的なようで、まったくそんなことはない。

なぜなら、

非利己的な人々から構成される集団そのものが淘汰=消去されてしまうことを通じて、結局は、利己主義者が完全勝利することはないのである。
 ただし、残念ながら、彼らは、同一集団に居合わせた正直者や利他的な人たちを全員、〝道連れ〟にしてしまう。

だそうだから。

自由競争、規制緩和、構造改革、革新、刷新、維新。
こんな言葉に乗せられないように気を付けなければ。


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