なぜ正直者は得をするのか
「損」と「得」のジレンマ
藤井 聡
藤井聡さんの『超インフラ論 地方が甦る「四大交流圏」構想』や『クルマを捨ててこそ地方は甦る』はおもしろかったのだが、これはイマイチだったな……。
都市工学を語らせたらおもしろい人なんだけどな……。
本の内容としては、
「正直者が馬鹿を見るというけれど、じつは利己的な人は長期的には損をするんですよ。昨今の日本では利己的な人が生きやすいように制度設計されているのでますます利己的な人が増えて社会全体が衰退に向かっているけど、正直者が得をするという前提で制度設計していけば全体としてハッピーになるよ」
ってなことを書いている。
主張自体は納得いくし個人的にはおおむね賛同できるんだけど、どうも結論ありきでそれに合致する実験例などを持ってきている感がする。
希望的観測が含まれすぎているというか。
囚人のジレンマゲームなどを引き合いに出して
「利己的な者ほど損をする選択をする」
って主張してるんだけど、それって因果関係が逆なんじゃないの? とおもう。
利己的な者が損をするんじゃなくて、貧しくなれば利己的な行動をとるようになるんじゃないかとおもうんだよね。
経済的に余裕があれば
「信頼して金を貸してあげるよ」「友だちが困っていたら助けてあげるよ」「人助けのために金を使う」
といった選択ができる。
ギリギリの状況で生きている人は余裕がないから
「自分さえよければいい」「失うものはないんだから今さえよければ後がどうなったっていい」「自分の選択で社会がめちゃくちゃになってもかまわない。むしろ自分を苦しる社会なんか壊れたほうがいい」
って選択になる。
ぼくは毎月、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)にわずかばかりの寄附をしてるけど、これは自分の生活に余裕があるから自己満足を買うためにやっているだけだ。
自分の生活が傾いたら真っ先に切る出費である。金に余裕があるから利他的な行動をとれるのだ。
もちろん世の中には困窮しても襟を正して人道的に生きる人もいるし、困ってないのに助成金など使えるものはなんでも使うぜっていう性根が卑しい人もいる。
けどやっぱり一般的な傾向としては、貧すれば利己的になる。
それをもって「ほら利己的な人ほど貧しいデータがあるんですよ」っていうのは、あまりにも貧乏人に厳しい。
藤井聡さんは橋下徹氏とよく喧嘩してるらしいけど、その根底にはこういう考えがあるからなんだろうな。
維新の会って「人間はすべからく利己的である」という思想に基づいて政策決定してるもんね。そりゃぶつかるわ。
いっときほどではないが、今でも「公務員叩き」は存在する(十数年前はほんとひどかった)。
特にぼくの住んでいる大阪は、〝お上嫌い〟の風潮が根強いので、よりその傾向が強い(だから大阪維新の会が人気があるんだろう)。
じっさい公務員の中には不祥事をする人もいる。
けど、総じてみれば公務員は民間企業にいるより優秀な人が多いし(なにしろ公務員試験をくぐりぬけているのだから)、仕事熱心な人も多い。
できる範囲でいい世の中にしようとおもって働いている人がほとんどだ。
それを「公務員はノルマがないから放っておくとすぐにサボる。監視を厳しくしよう」なんてしたら、監視コストはかかるし、公務員のモチベーションは低下するし、いいことなんかない。
「おれはバレなければすぐにサボる」という利己主義者は、他人も自分と同じにちがいないと思いこんでしまう。
あんたがなくしたがっているズルは己の中にあるんだぜ。
よく考えてみたら、公務員が問題を起こしたときだけ「税金返せ!」と声高に叫ぶのはヘンだよね。
お菓子メーカーの社員が不祥事を起こしたからって「おれが払ったお菓子代をそんなことに使いやがって! お菓子代返せ!」とは言わないのに。
どっちも同じことじゃない。
自分は被害を受けていない。
お菓子メーカーの社員が不祥事を起こしていなかったとても百円のポテトチップスが九十円になっていたわけではない。
それと同様に、公務員が問題を起こそうが起こすまいが自分の徴収される税金は変わらない。
なのに「税金返せ!」って言うのは、文句を言いやすいところに言ってるだけだよね。
(まあ政権政党にだけ極甘な検察はマジで国民全体の奉仕者じゃないので給料返上してほしいとおもうけど)
だいぶ話がそれた。
ま、公務員を叩いても誰も得をしないどころか全員が損をするのでやめましょう、ってことです(正確にいえば、公務員叩きで票を獲得する政治家のみが得をする)。あ
規制緩和、構造改革について。
規制緩和だの岩盤規制改革だの構造改革だのといった言葉は、「なんかやってる感」を演出するのにうってつけで、派手なパフォーマンスを好きな為政者に好まれやすい。
こういう考えを、ぼくもかつては支持していた。
既得権益を吸ってうまいことやってるやつは許せない! と。
で、今世紀初頭ぐらいに流行って、いろんな規制緩和がなされて、その結果どうなったか。弱肉強食がいっそう進み、持てる者はさらに富み、持たざる者は搾取され疲弊していった。
業界内で「まあまあ持ちつ持たれつでやっていきましょう」というなれ合いの関係はたしかに公平ではないが、メリットもあった。横同士の競争にリソースを割かなくて済むことだ。
誰でも参入可能とするのは公平だが、小さいものが知恵や戦略で勝つ余地はほとんどなくなり、大資本を持つもの(そして多くは海外資本)が根こそぎ奪っていく世の中になった。
そして終わりなき価格競争にさらされて誰もが疲弊している。
はたしてその〝自由〟は幸福につながったのかというと、甚だ疑問だ。
世の中には自由じゃないほうがいいことはいっぱいある。
体重別の階級もなく、外国人力士の参入が容易になった大相撲のようだ。
力士の大型化が進み、でかくて力が強い者が勝つようになり、番付上位は外国人力士だらけになった。
それが悪いというわけではないが、軽量力士が技で勝てる時代はもうやってこないだろう。
この本でくりかえし語られる
「利己主義者は必ず敗北する」
という主張は楽観的なようで、まったくそんなことはない。
なぜなら、
だそうだから。
自由競争、規制緩和、構造改革、革新、刷新、維新。
こんな言葉に乗せられないように気を付けなければ。
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