寄居虫女(ヤドカリオンナ)
櫛木 理宇
いるよなあ。こういう、人の弱みに付け入るのがものすごくうまい人間。
ぼくは直接的な被害に遭ったことはないのだけど(なぜなら優しい人間じゃないから)、ニュースやルポルタージュを見ると「この加害者もひどいやつだけど、被害者のほうもお人よしすぎやしないか。もっと早めに反撃するなり警察に行くなりすればいいのに」と言いたくなる事件がある。
十年ほど前、豊田 正義『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』という本を読んだ。ある一家に入りこんだ男が家族全員を監禁・虐待によって奴隷状態にし、家族同士の殺し合いまでさせた事件のルポルタージュだ。
犯人よりも、家族の心理に疑問を抱いた。
なぜ言いなりになったのか。
大勢の人間に監禁されていたとかならわかるが、相手はたったひとり。何人かでかかれば力で押さえつけられるはずだ。
ずっと監禁されていたわけではないので、反撃するなり、逃げて警察に駆けこむなりできたはず。孤島の一軒家とかではなく、マンションの一室だったのだから。
でも被害者家族はそれをしなかった。
穏便に収めようとして、ずるずると深みにはまり、気づいたときには抜けだせなくなり、結果的にすべてを失った。
人間の理性って案外かんたんに壊れるものかもしれない。
眠いとか暗いとか怖いとか、そんな些細なことで、かんたんにまともな判断ができなくなってしまうのかも。
あと「家族がそろいもそろって騙された」というより「家族だからこそ騙された」ってのもあるかもしれない。
海外旅行でも、ひとり旅よりもふたり連れの旅行のほうが危ない目に遭いやすいと聞いたことがある。ひとりなら警戒するのに、ふたりだとお互いが相手に判断を任せてしまって、危険な場所にも足を踏み入れてしまうからだとか。
同じように、ひとり暮らしの家に誰かがやってきたら警戒する。ちょっとでもおかしなところがあれば追いだそうとするなり警察に相談するなりする。
ところが家族だと「なんか怪しいけど、ほんとにやばかったら自分以外の誰かがなんとかするだろ」とおもってしまって早めの防衛対策をとれなくなる。
頼れる人がいるときこそ気を付けなくてはならない。
『寄居虫女』では、巧みに家族の中に入りこみ、中からじわじわと家族関係を腐食させてゆく不気味な女の姿を丁寧に描いている。
この女の存在は不気味ではあるんだけど、ぼくとしてはぜんぜんこわくなかった。
ひとつは、この女が計算づくで動いてること。
本物のサイコパスって本能的に人を操る方法を心得てるんじゃないかとおもう。計画的に動いているので、得体の知れなさが薄れてしまっている。
もうひとつ、こっちが最大の理由なんだけど、現実に負けていること。
事実に忠実に書いたルポルタージュである『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』のほうがよっぽどこわかった。
『寄居虫女』は北九州連続監禁殺人事件を下敷きにしているらしいのだが(ストーリーはだいぶちがうが)、実際の事件を小説に仕立てるんなら現実を越えなくちゃだめだとおもうんだよね。
実際の殺人犯のやりかたのほうがもっと巧妙で、もっと得体が知れなくて、もっとえげつないことやってたからね。どうしても見劣りしてしまう。
あと、このラストは嫌いだなあ。
とってつけたように「いろいろあったけどちょっとだけ救われました」「犯人のほうにもこんな事情があったんです」ってつけてむりやり希望のあるまとめかたをしているようで。
ほんのわずかな救いを用意したところで「ああ、よかった」とはならないわけで、だったらとことんまでえげつない展開にしたほうがよかった。
『少女葬』のほうは最後まで容赦のない展開だったのでそれぐらいの強烈さを期待したのだが、ちょっと期待外れだったな。
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿