小学一年生数人と公園で遊んでいたときのこと。
子どもたちが“うんてい”をやっている。
猿のようにすいすい渡っていく子もいれば、何度挑戦しても途中で力尽きて落ちてしまう子もいる。
ひとり、まったくやろうとしない子がいた。Kくん。
「Kくんはやらないの?」
「うん、うんていできひんねん」
「失敗してもいいからやってみたら? 挑戦してみないといつまでたってもできるようにならへんで」
と言っていたら、近くにいたKくんのおかあさんに言われた。
「彼は『できるようになりたい』とおもってないんですよ」
はっとした。
そうか。
ぼくは知らず知らずのうちに、自分の価値観を押しつけていた。
「周囲の子がうんていをできるのに自分だけできない子は、うんていをできるようになりたいとおもっている」
と思いこんでいた。
特に自分の娘が負けず嫌いな性格なので、すべての子どもがそうだと思いこんでいた。
Kくんがうんていに挑戦しないのは、
「失敗するのが怖い」
わけでも
「失敗してみんなに笑われるのが怖い」
わけでもなかった。
Kくんは「うんていをしたくないからうんていをしない」子だったのだ。
もしぼくが、筋トレマニアから
「なんで筋トレしないの? 笑われるのが怖いの? はじめはみんな初心者なんだからぜんぜんベンチプレスできなくても大丈夫だよ。そうやって尻込みしてたらいつまでたってもベンチプレスできるようにならないよ」
と言われたら、
「うるせーえよ。こっちはべつにベンチプレスできるようになりたいとおもってねえんだよ。みんながみんなおまえみたいに筋肉ムキムキにあこがれてるとおもうなよバーカ」
と反発するだろう。
すまない、Kくんよ。
うんていなんてできるようにならなくてもいいんだった。
「できるようになりたい」とおもう必要すらないんだった。
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