2020年9月14日月曜日

【読書感想文】闘う相手はそっちなのか / 小川 善照『香港デモ戦記』

このエントリーをはてなブックマークに追加

香港デモ戦記

小川 善照

内容(e-honより)
逃亡犯条例反対に端を発した香港デモは過激さを極め、選挙での民主派勝利、コロナウイルス騒動を経てなお、混迷の度合いを深めている。お気に入りのアイドルソングで気持ちを高める「勇武派」のオタク青年、ノースリーブの腕にサランラップを巻いて催涙ガスから「お肌を守る」少女たち…。リーダーは存在せずネットで繋がり、誰かのアイデアをフラッシュモブ的に実行する香港デモ。ブルース・リーの言葉「水になれ」を合い言葉に形を変え続ける、二一世紀最大の市民運動の現場を活写する。

2014年に香港で大規模なデモがおこなわれた。いわゆる「雨傘運動」だ。

中国共産党により香港での普通選挙が拒否され、中国政府の指名を受けた人物しか立候補できないことに市民が反発しておこなわれたデモだ。

結論から言うと、雨傘運動は失敗に終わった。
香港の民主化は進まず、指導者は逮捕され、デモをおこなっていた団体は分裂した。中国共産党の姿勢はいっそう強硬なものになった。

そして2019年から2020年、香港では再びデモがおこなわれている。
デモの発端は2019年に提出された逃亡犯条例改正案だ。刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことができるという法律。中国政府に目をつけられたら、中国に無理やり送られる可能性があるわけだから、香港市民からしたら怖すぎる法律だ。

そもそも香港が中国に返還されたときに「2047年までは一国二制度(中国のやりかたを押しつけない)」と約束していたのに、その約束を反故にしつつあるのが最大の原因だろう。


香港のデモについては日本でも報道されているが、どうしても対岸の火事。

しかし、香港の状況は決して例外的な事例ではない。古今東西、同じようなことはあちこちで起こっている。

ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』を読み、政治も経済も一部の権力者が牛耳っている国が多いことに驚かされた。
自由な競争が保たれている国のほうがむしろ例外なんだと気づかされる。

我々があたりまえのように享受している民主主義は決して普遍的なものではなく、ちょっとしたきっかけで奪われてしまうものなのだ(そして権力者は私権を制限したいものなのだ)。

中国共産党がずば抜けて悪なのではなく、権力者はどこも同じような志向性を持っている。
アメリカだって日本だって、中国と同じ道を歩む可能性は十分にある(もう近づいていっている気がする)。

えらそうに語っているぼくだって、自分が国家を動かせる権力を持っていたら、その権力を強化し国民の権利を制限するほうを選ぶだろう、きっと。
「こっちのほうが民衆のためだ」なんて言って。

権力の暴走を防げるのは理性ではなくシステムだけ。

だから権力者を縛るシステムはぜったいに緩めちゃいけない。
権力側が言いだした「憲法改正」なんて話にはぜったいに乗ってはいけないのだ。



現地に何度も足を運んで香港のデモ隊についての生の声を拾ったルポルタージュ。

現地の温度感を知るにはいいが、ほぼ一方の声しか拾っていないので、デモに関しての全体的な状況はわかりづらいかもしれない。

また第五章の『オタクたちの戦い』にいたっては「デモをしているメンバーには日本のアニメや漫画が好きなオタクもいるんですよ」ってことが長々と書いてあるのだが、正直いって「だから何?」という感想しか出てこない。

それを言うなら、香港警察や中国共産党の側にだって日本のアニメが好きなオタクはいっぱいいるだろう。

まあ「デモをしているのも日本にいるのと変わらないような若者なんだよ」って言いたいんだろうけど、「オタク」「パリピ」といった言葉をくりかえしてむやみに分類するやりかたは好きじゃないな。

そういう姿勢がいらぬ分断をあおるんだよ……と言ったら言いすぎだろうか。


とはいえ、現地に足を運んでいるからこそ見えてくるものもある。

 警察はそうした過激な抗議活動に対して、確実に潰しにかかっていた。
「ネット上で一二日の呼びかけを行った人物はデモの前夜に警察に逮捕されたと聞きます。暴動を呼びかけたということで。だから、今現在は、みんなネットの書き込みにさえ『○○で警察を見た』ではなく、『○○に警察がいる夢を見たんだが』というような現実ではない報告の形にしています」

こういう「生の情報」は現地に行かないとなかなか手に入らないだろうし、このエピソードだけでいかに警察によるデモ隊への締め付けが厳しくなっているかが伝わってくる。

「警察を見た」とネットに書き込むだけで逮捕される可能性があるのだから、言論の自由などはもうとっくになくなったに等しい状況にあるのだろう。

ぼくが漠然とおもっていたよりも香港の状況は深刻なようだ。



雨傘運動にしても2019年のデモにしても、デモの直接的なきっかけは政治や法改正なのだが、その背景には経済的な不満も大きいらしい。

香港も、日本と同じく数年前から中国から大量の観光客がやってきて“爆買い”をするようになったらしい。

そのせいで香港の物価は上がり、香港市民の生活は苦しくなった。

新築の標準的な3LDKのマンションの一室を買うのですら、日本円で一億円近くするため、持ち家は諦めざるを得ないという。
「公営企宅には抽選に当たれば入居できますが、その抽選自体が何年待ちという状態で、庶民はほとんど入居を諦めている状態です。それなのに、香港の大陸側の郊外である新界(ニューテリトリー)地区などには、高級マンションだけはどんどん建っています。そこもすごい価格なのにすぐに完売してしまうんです。それで、そのマンションには人がほとんど住んでいない。大陸の中国人の金持ちが投資目的で買うからです」

このへんの状況は日本とよく似ている。

香港市民の反中感情が高まる一方で、中国企業、観光客、中国政府のおかげでお金を儲けている香港人もおり、香港市民間の溝が深まっていたこともデモの背景にあるようだ。

だから香港市民の中にも反中派と親中派がいる。
みんながみんなデモに賛成しているわけではないのだ(大半はどっちつかずなんだろうが)。

 香港市民は無意識に新しく知り合った相手が黄色(イエロー)か藍色(ブルー)か、「どちら側なのか」を考えるようになっている。それはデモをめぐっての立場、黄色(デモ隊支持)か、藍色(警察支持)だ。香港では今、そのことによって、すべての行動を定義してしまうようだ。
 香港の取材相手と食事をするとき、「どちら側の店が近くにあるか」が重要になってくる。香港では、黄色い店、藍い店のリストがあり、まとめられたサイトではマップと連動しており、近くにどんな店があり、その店は黄色か、藍色かが表示されるのだ。
「黄色経済圏として、どうせお金を落とすならば、デモ隊支持の自分たちの仲間のところで、ということなのです。逆に親中派の店には、一銭も落としたくないと。飲食店から金融機関など、あらゆる店舗やサービスが、分類されているのです」

こうやって香港人同士が憎みあって分断していく姿は、悲しい。

香港人同士で対立して互いを敵視して、それこそ中国共産党の思うつぼなんじゃないの、と海の向こうから見ているとおもえてしまう。

中国にしたら香港人が一致団結するより、分断して対立しているほうが統治しやすいんじゃないかな。
強引な締め付けをしたって、市民の怒りは中国政府じゃなくて香港政府や香港警察や親中派香港人に向かうんだもん。こんな楽なことはない。


そしてデモをしている香港人も、一枚岩ではない。
中国本土も含めた民主化を望む比較的穏健な「民主派」、香港のことは香港で決めるという「自決派」、大陸ではなく香港こそが本土なのだという「本土派」、その考えをさらに極端にした「独立派」などいくつもの派閥に分かれている。

それぞれの派閥の中でも、平和・理性・非暴力を掲げる穏健派「和理非派」と、過激派の「勇武派」があり、さらにそれぞれが内ゲバをくりひろげている。


勇武派のデモ参加者のインタビューより。

――こうした破壊をして、今どんな気持ちか?
「こんなことはしたくない。でも、自分たちの未来のためだ」
 そう話しながら、彼は少し間を置いて、こう言い切った。
「こんなことをしても変わらないなどと言う人もいるが、やらずに後悔はしたくない」
――勇武としての活動は、ずっと続けるのか?
「逮捕されるまでは絶対に続ける」
 彼は、そう断言した。彼の決意に衝撃を受けた。「香港独立」でも「五大要求貫徹」でもなく、彼のゴールは、強制終了である「逮捕」なのだ。その結果、暴動罪に問われたら、最高で一〇年間の禁錮刑となってしまうことも理解しての言葉だ。
「逮捕されることは問題ではない」
 わずか一八歳の少年が自分たちの未来を、自らの自由と引き換える固い決意をもって、自らの手で変えようとしている。一瞬、彼が警官に取り押さえられて逮捕される映像が浮かんでしまい、涙が出そうになった。

気持ちはわかる。気持ちはわかるんだけど……。

もはや目的と手段が入れ替わっている。
日本の学生運動の末期を見ているようで悲しくなる(その時代生まれてなかったけど)。

普通選挙もかなわないし平和デモも通用しない。だから実力行使で……という心情はわかるんだけど、武力闘争をして警察や中国軍にかなうわけがないし、むしろ軍の介入を許すきっかけをつくるだけだ。

武力闘争をしかけていけば、「デモには参加しないけど応援してる」という圧倒的多数の市民の支持を失うだけだろう。
警察に武力攻撃をしかけている映像が流れれば世界中からの支持も失う。

ほとんどの人は「自由を求める闘争で命を落とす危険」よりも「多少の自由は制限されても警察権力によって秩序や安寧が保たれる」ほうを選ぶんだから。


人が集まったら派閥に分かれるのは当然だけど、そうはいっても少数派が分裂して大きな敵にかなうはずがない。

思想の違いまで妥協しろとはいわないが、いったん棚上げしてまとまらないと、ぜったいに負ける。

大きな目標を達成する前から内部分裂してどうするんだ、と言いたくなる(日本の野党もだぞ!)。


だいたい香港警察相手に闘いをくりひろげているけど、本当の敵は香港警察じゃないだろ!
そいつらは生活のために大陸の言いなりになっているだけで、本当に戦うべき相手はそっちじゃないだろ!

と外部から見ていると言いたくなる。
まあデモをしている人たちだってそんなこと百も承知で、怒りをぶつける相手が眼の前にいる警察しかいないんだろうけど……。


ま、こんなふうに安全なところで高みの見物を決めこみながら「その戦略はまちがっている!」とえらそうに言ってるぼくのような人間こそ真に打倒すべき相手なのかもしれないけど……。


【関連記事】

【読書感想】陳 浩基『13・67』

【読書感想文】力こそが正義なのかよ / 福島 香織『ウイグル人に何が起きているのか』



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿