2020年9月2日水曜日

【読書感想文】刺身はサラダなのだ / 玉村 豊男『料理の四面体』

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料理の四面体

玉村 豊男

内容(e-honより)
英国式ローストビーフとアジの干物の共通点は?刺身もタコ酢もサラダである?アルジェリア式羊肉シチューからフランス料理を経て、豚肉のショウガ焼きに通ずる驚くべき調理法の秘密を解明する。火・水・空気・油の四要素から、全ての料理の基本を語り尽くした名著。オリジナル復刻版。

料理はむずかしい。

なんせやることが多い。
「動詞」が多いんだよね。

焼く、炒める、煮る、炊く、茹でる、湯がく、炊く、蒸す、揚げる、燻す、さっとくぐらす、チンする。
加熱する系の動詞だけでもこんなにある。

それにくわえて、捌く、和える、切る、割る、剥く、おろす、漬ける、浸す、研ぐ、砕く、こねる、冷ます、包む、混ぜる、調える、濾す、くわえる、絞る、かける、混ぜる、寝かす、発酵させる……。

もうやることが多すぎてわけがわからん。


『料理の四面体』では、そんな複雑きわまりない料理の工程を大胆に因数分解して、シンプルな構造に落としこむ試みをしている。

著者は、火、空気、水、油の四つを重要な要素と置き、あらゆる料理はその四つの関わりによって位置づけることができると説いている。

火に空気の働きが介在してできるのが「焼きもの」
火に水の働きが介在してできるのが「煮もの」
火に油の働きが介在してできるのが「揚げもの(炒めもの)」

である。
豆腐を例にとれば、火と空気を用いれば焼き豆腐、火と水をくわえれば湯豆腐、火と油を加えれば厚揚げ、火と油を加えたのちに火と水を与えれば揚げ出し豆腐、火を使わなければ冷奴……。

程度の差こそあれ、いずれも「火、空気、水、油」との関わりによって説明できるとしている。

ふうむ。
なるほど。そんなふうに料理をとらえたことがなかった。

 実は名前や由緒にこだわらなければ、基本の手順をひとつ知っているだけで、素人にも二〇や三〇のソースの種類はたちどころにつくりわけることができるのだ。いや二、三〇ではきかない、一〇〇、それどころか一〇〇〇種類といっても言い過ぎではないかもしれぬ。これは冗談でも誇張でもない、本当の話である。 
 肉を炒めたあとのフライパンに〝汁〟を入れて油脂・肉汁をこそげ落し混ぜ合わせることをフランス料理の言葉で、〝デグラッセ(霜とり)〟と称するが、デグラッセする〝汁〟のほうはワインでも生クリームでもブイヨン(出し汁)でもなんでもよい。つまりこの〝汁〟を変えることだけでさまざまの種類のソースができることになる。
 ワインでデグラッセすればワインソース。
 生クリームでデグラッセすればクリームソース。

 刺身はサラダである。
 本当だ。
 マグロの刺身というものは、マグロの刺身だ、と思って眺めると、マグロの刺身としか思えない。
 しかしマグロの刺身を、これはサラダなのだ、と思って眺めると、だんだんサラダに見えてくるから不思議である。
 いま眼前に、美しい皿にかたちよく盛られたマグロの刺身があるとしよう。
 皿の手前に、赤い部分と、ピンク色に脂肪ののった部分のほどよく混じりあった、しっとりした肌をなまめかしく輝かせているマグロの切り身が数片並んでいる。
 そのマグロの身をうしろから支えるように、大根の千六本がこんもりと敷かれ、その横にミョウガのセン切りが少し置かれ、背後にはシソの大葉がピンと立てられていて、わきにレモンの輪切りが一枚飾られていて、端にワサビがある。
 その皿の手前に、小さな皿があって、その中には醤油が入っている。
 どうだろう。まったくサラダではないか。
 これがサラダであることがまだ認識できないならば、ハシをとって、皿の上にあるものをすべてぐちゃらぐちゃらに撹拌してみればよろしい。マグロの身もツマの野菜もすべて渾然とミックスして、その上から小皿の醤油を注ぎ、もう一度かきまわす。
 どうだろう。ミックス・サラダではないか。
 材料はマグロと大根とミョウガとシソ葉。
 ドレッシングはレモンから出た汁と醤油。スパイスはワサビである。
 しばらく置くとマグロの身の脂肪分がいくらか溶け出してドレッシング液に油滴が光りはじめ、ますます一般的概念の〝サラダ〟に近い姿になって行く。
 つまり刺身はサラダなのだ。

こんな感じで、大胆に料理をくくっていく。

たしかに、刺身とサラダの明確な境界線なんてないよなあ。
刺身はふつう野菜といっしょに出されるし、サラダにツナとかタコとかサーモンが入っていることはめずらしくない。

刺身はサラダ。たしかになあ。
おもいもよらなかったけど、言われてみればそのとおりだ。

けっきょく刺身と海鮮サラダの間に明確な差異があるわけではなく、認識の違いでしかないんだよね。

「天丼の主役は当然エビ天でしょ」という人もいれば、
「いやいやエビ天がなくても天丼になるが、ご飯がなくては天丼とはいえない。やはり天丼の主役はほかほかのごはんだ」という人もいるし、
「天丼の主役はタレに決まってるだろ。私はタレを食べるために天丼を食べている」という人だっているだろう。

魚を主役とおもえば刺身、野菜を中心としてとらえればサラダ。それだけ。



ってな感じで各料理を「火、空気、水、油」との関わりでくくっていけば、世の中にごまんとある料理もじつはいくつかのパターンの組み合わせでしかないことに気づく。

……というのが『料理の四面体』の内容だが、はっきりいってこれに気づいたところで何の役にも立たない。

料理が上手になるわけでもないし、出された料理がおいしく感じられるわけでもない。

ただ「料理って意外と単純かも」とおもえるだけだ。
料理はややこしいとおもっている人からすると、ちょっとだけ苦手意識が薄れるかもしれない。

でもまあ、それでいいんじゃないかな。
役に立つようで立たない、理屈のような屁理屈のような話を読むのはただ単純におもしろかったから。

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