料理の四面体
玉村 豊男
料理はむずかしい。
なんせやることが多い。
「動詞」が多いんだよね。
焼く、炒める、煮る、炊く、茹でる、湯がく、炊く、蒸す、揚げる、燻す、さっとくぐらす、チンする。
加熱する系の動詞だけでもこんなにある。
それにくわえて、捌く、和える、切る、割る、剥く、おろす、漬ける、浸す、研ぐ、砕く、こねる、冷ます、包む、混ぜる、調える、濾す、くわえる、絞る、かける、混ぜる、寝かす、発酵させる……。
もうやることが多すぎてわけがわからん。
『料理の四面体』では、そんな複雑きわまりない料理の工程を大胆に因数分解して、シンプルな構造に落としこむ試みをしている。
著者は、火、空気、水、油の四つを重要な要素と置き、あらゆる料理はその四つの関わりによって位置づけることができると説いている。
火に空気の働きが介在してできるのが「焼きもの」
火に水の働きが介在してできるのが「煮もの」
火に油の働きが介在してできるのが「揚げもの(炒めもの)」
である。
豆腐を例にとれば、火と空気を用いれば焼き豆腐、火と水をくわえれば湯豆腐、火と油を加えれば厚揚げ、火と油を加えたのちに火と水を与えれば揚げ出し豆腐、火を使わなければ冷奴……。
程度の差こそあれ、いずれも「火、空気、水、油」との関わりによって説明できるとしている。
ふうむ。
なるほど。そんなふうに料理をとらえたことがなかった。
こんな感じで、大胆に料理をくくっていく。
たしかに、刺身とサラダの明確な境界線なんてないよなあ。
刺身はふつう野菜といっしょに出されるし、サラダにツナとかタコとかサーモンが入っていることはめずらしくない。
刺身はサラダ。たしかになあ。
おもいもよらなかったけど、言われてみればそのとおりだ。
けっきょく刺身と海鮮サラダの間に明確な差異があるわけではなく、認識の違いでしかないんだよね。
「天丼の主役は当然エビ天でしょ」という人もいれば、
「いやいやエビ天がなくても天丼になるが、ご飯がなくては天丼とはいえない。やはり天丼の主役はほかほかのごはんだ」という人もいるし、
「天丼の主役はタレに決まってるだろ。私はタレを食べるために天丼を食べている」という人だっているだろう。
魚を主役とおもえば刺身、野菜を中心としてとらえればサラダ。それだけ。
ってな感じで各料理を「火、空気、水、油」との関わりでくくっていけば、世の中にごまんとある料理もじつはいくつかのパターンの組み合わせでしかないことに気づく。
……というのが『料理の四面体』の内容だが、はっきりいってこれに気づいたところで何の役にも立たない。
料理が上手になるわけでもないし、出された料理がおいしく感じられるわけでもない。
ただ「料理って意外と単純かも」とおもえるだけだ。
料理はややこしいとおもっている人からすると、ちょっとだけ苦手意識が薄れるかもしれない。
でもまあ、それでいいんじゃないかな。
役に立つようで立たない、理屈のような屁理屈のような話を読むのはただ単純におもしろかったから。
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