子どもの貧困
日本の不公平を考える
阿部 彩
「日本は一億総中流の国」だとおもっているなら、その認識は三十年以上前のものだから早く捨てたほうがいい。
日本は格差社会だ。
他の先進国と比べて、圧倒的に格差が大きい。
子どもも例外ではない。
貧困世帯を、全世帯の中央値未満の所得の世帯と定義した場合、日本の子どもの七人に一人は貧困世帯にいるそうだ。
『子どもの貧困』は2008年の刊行なのでデータはやや古いが、残念ながらその後も貧困率は改善していない。
むしろ日本全体が没落するにともなって格差はますます大きくなっている。
今は貧しくたって、将来のために金を使っていたらまだ希望がある。
だが日本政府は子どもに使う金をまっさきに削っている。
これじゃ没落するのもあたりまえ。おまけに希望もない。泣ける。
誰だって貧しいのはいやだが、特に子どもの貧困の問題は公的な支援を必要とするところだ。
なぜなら子どもの貧困はほぼ百パーセント本人の責任ではないし、貧困家庭に生まれ育った子どもが将来も貧困にあえぐ可能性は高い。
一発逆転、立身出世は、不可能ではないがたいへんむずかしい。
貧しくてもがんばればなんとかなる、という人もいるかもしれないが
「将来の成功のために目先の欲求をはねのけて努力する」
というのもまた、裕福な家庭のほうが育まれやすい能力なのだ。
親の学歴や職業など、生まれながらの「不利」を背負った子は、やはり「不利」な学歴や職業に就くことが多い。
この傾向は近年ますます強くなっている。
「生まれは関係なく本人の努力次第でなんとかなる」傾向にあったのははるか昔の話で、団塊の世代以降は「どの家に生まれるか」が本人の成功を大きく左右することになっている。
「不利」が再生産されるのにはいろんな要因がある。
遺伝、親の指導力不足、住居環境が悪い、健康状態が悪い、ストレスが大きい、地域の環境、付き合う友だちの問題……。
だが、その中でも最大の要因は単に「金がない」ことにありそうだ。
金さえ出せばある程度解決する。だったら出せばいい。
子どもに一時的な金を出すことで彼らが生涯にわたって貧困から抜けだせるのであれば、国全体の所得も増える。
海老で鯛を釣るようなものだ。ぜったいにやったほうがいい。
じっさい、多くの国ではやっている。
だが日本ではやらない。
未来の日本を支える子どもよりも老人に金をまわすほうを選ぶから。
日本政府が子どもにかける金は、他の国に比べて圧倒的に少ない。
ちなみにこれは高齢者の比率が高いから、というわけでもない。
日本と同程度の高齢化率国でも、もっと多くの金を教育に投じている。
「米百俵」なんて言葉が力を持っていたのもはるか昔。
経済的に衰えただけでなく、品性まで貧しい国になってしまったのだ。悲しい。
まあ「日本政府は子どものいる貧困世帯を見捨てている」ぐらいならまだマシだよ(ぜんぜんよくないけど)。
現実はもっとひどい。
わかります?
日本だけ、税金や社会保険を徴収・分配した後のほうが、子どもの貧困率が高くなっているのだ。
つまり、日本政府は子どものいる貧困家庭からむしりとって、そうでない世帯にお金を移しているのだ。
なんとグロテスクなグラフだ。
おっそろしい。
基本的に政府に対して不信感を持っているぼくでも、まさかここまで悪辣なことをやっているとはおもっていなかった。
なぜこんなことが起こるのかというと、
- 所得税は高所得者のほうが多くとられるが、社会保険は逆累進的でむしろ低所得者のほうが所得に対して大きな割合でとられる
- 社会保険を負担するのは現役世代で恩恵を受けるのは引退世代だが、子育て世帯はたいてい現役世帯なので取られるほうが大きい
- 低所得者でも関係なくむしりとる消費税の負担が大きくなっている
ことなどが原因だ。
老人のために金を使い、そのために子どもに使うべき金をめいっぱい削っている。
絶望感しかないな。
日本政府の対応は、「貧困家庭、母子家庭はもっと働け」というスタンスだ。
就労支援をして所得を増やす……という方法もわからんでもないが、正直いって現実的でない。子育てをしたことない人間が政策をつくっているのだろうか。
うちには今七歳と一歳の子がいる。
子育て世代どまんなかだ。
子どもはしょっちゅう熱を出す。いろんな病気をもらってくる。ぐずる。目が離せない。じっとしてない。夜中も起きる。朝は起きない。
はっきりいって、仕事をしながら子育てをするのは超たいへんだ。
それでもうちは夫婦ともに残業がほぼなくてそこそこ休みをとれる職場だし、土日祝は休みだし、夜勤もないし、なにかあれば祖父母も来れないこともない距離だし、頼れる友人や親戚もいるので、まあまあなんとかなっている。
幸いにして子どもはふたりとも頑健なほうだし。
それでも「ギリギリなんとかなってる」って感じだ。
休みが少なかったり夜勤があったり頼れる親戚がいなかったり子どもが病気がちだったりしたら、あっという間にゆきづまってしまう。
だから「仕事を用意してやるからもっと働け」と言われてもムリだ。
残業がなくて急な休みを好きなだけとれて給料のいい仕事を用意してくれるならべつだが。
貧困にあえぐ子育て世帯に必要なのは就労支援ではなく、現金給付だ。
そして働ける高齢者に必要なのは仕事。
生きていくためには、金だけでなく「誰かの役に立ちたい」という欲求も満たす必要があるのだから(子育てをしていれば後者はいやというほど満たされる)。
でも今の政策は逆をやっている。
母子家庭は就労支援、高齢者は現金給付。
もちろん高齢者といってもひとくくりにはできないが、働きたい高齢者には金ではなく仕事を、貧困子育て世帯にはまず金を。
高齢者に金を使うなとは言わないが、優先順位がおかしいんだよね。
子どもは最優先だろう。
人道的な理由だけでなく、「それが長期的にはいちばん安くつく」から。
子どもに金を出せば、七十年後に「貧しい高齢者」が減ることになるのだから。
日本政府が子どものために金を使わないのは、政府だけの問題ではない。
「すべての子どもが最低限享受すべきとおもうのは何ですか?」と尋ねて「新品の靴」とか「誕生日を祝ってもらえること」とかの中からチェックしてもらうという意識調査をおこなったところ、日本人は他の国よりも「なくてもしかたない」と答える人が多かったという。
たとえば「少なくとも一足のお古でない靴」を「希望するすべての子どもに絶対に与えられるべき」と答えたのは40.2%、「自転車(小学生以上)」は20.9%だ。
多くの日本人は「親が貧しければ子どもが不便を強いられるのはしかたない。周りの子どもがみんな持っているものをひとりだけ与えられなくても我慢しろ」と考えているのだ。
日本人は貧乏人に厳しい。
その理由を、筆者はこう分析する。
筆者が「神話」と呼んでいるように、これらは全部ウソだ。
データを見れば明らかだ。
日本は圧倒的に格差が大きい社会。
生まれた家の経済状況が成功を大きく左右するので本人の努力での逆転は困難。
貧しいことはさまざまな問題を引き起こす上に、一生ついてまわる。
残念ながらこれが日本の現実だ。
子どもの貧困を減らすために政治や行政が手を打つことも大事だけど、まずは我々が
「日本には貧しい子が多いし、貧しい子のために金を使う気はない国だ」
という現実を直視することが大事なのかもしれない。
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